01.
サッカー部の朝練を終えて校舎へ向かう途中、ドキッと心臓が大きく脈打ったのは俺の中の大半を占めている女の子が見えたからだ。
「名前ちゃん、おはよう」
『あ、佐々倉君おはよう!毎日部活大変だね、ご苦労様です』
「好きでやってる事だから別に大変でもないよ」
『そうなんだ?そうやって頑張れるものがあるって凄いよね』
「そんな事――」
『名前ー!おはよう!』
『真秀ちゃん!おはよー!』
「、…………」
手を伸ばせば届く距離に居たのに彼女は簡単にするりと背中を向けて離れて行く。
今日は、明日は、今度こそ永く一緒に居たい、話したい、何度そう思ったかなんて数え切れない。現実は簡単な挨拶程度しか出来なくて酷く煩い心臓の音だけが名残惜しく余韻に浸る。
見てるだけじゃ満足出来ないくらいに想いは募ってるのに何で上手く行かないんだろって。何で彼女には上手く伝えられないんだろうって、自分が不甲斐ない。
溢れるのはモヤモヤを吐き出す溜息だけだった。
「ハァ…」
『佐々倉、お前今日何回目?』
「、先輩」
『溜息ばっか聞かされてちゃこっちまで滅入ってくるっての』
「あ、すんません…」
『つーか、聞こえて無かったみたいだけど、もう今日上がりだかんな』
「、まじっすか?」
最近はいつもこんな感じだ。気付いたら学校は終わってて、気付いたら部活も終わってる。
肩を強めに叩いて来た先輩は『良い事もあるって。また明日な』なんて他人事に言って。そりゃ事実、他人事だし先輩は何も知らないんだけどさ。
「良い事、ね」
そう簡単に言わないで欲しい。
それが叶うなら俺はこんなに病んでないって話しだし。
もう一度「ハァ」息を吐いて部室へ荷物を取りに行こうと顔を上げれば、俺の視界にはある筈無いモノが鮮明に映った。
「なん、で…?」
グラウンド脇に見えたのは眉を寄せて憂愁を見せる彼女が居た。良い事って、これ?先輩、知らないフリして知ってたって事か…?
想像も出来なかった現実を前に、瞠若が先走って此処から動けない。それを理解した様にこっちへ走って来る彼女から眼を反らせなかった。
『佐々倉君、何してるの…』
「何、って、」
『ずっと辛そうな顔してるし、怪我したのも放っといてるし』
「、」
憂愁に加えて怪訝な表情を交えた彼女が言った言葉の意味を理解するのは今の俺には安易じゃなくて。彼女が此処に居るのも、自分怪我をしてた事も良く分からなかった。
ただひたすらドクドクと心臓がまた煩くなって頭に血が昇った気分。
『脚、消毒しよ?』
「あ、血出てたんだ…」
『結構酷い傷なのに気付いてなかったとは言わないよね?あんな豪快にポストに突っ込んでったくせに』
気付いてなかった、というよりはあんまり覚えて無い、が正解だった。冴えない頭を吹き飛ばしたくてがむしゃらにボールを追い掛けて、だけどどうやったって彼女が頭から消えないから。
痛いって、そう思うのは脚より心臓だったんだよ。
「っ、」
『染みる?痛い?』
「…へーき」
『痩せ我慢しなくて良いんだよ、我慢したってアタシは心配するから』
「本当に?」
『凄い音、だったよね。何で直ぐに治療しないのかもどかしかった』
さっきから気になってたんだけど…怪我をした時の事を知ってるのは、見てた、って事、なんだよな…?
どうして?
『今日ね、ちょっと図書室寄ってたんだけど帰り際に窓からサッカー部が見えたんだ。ちゃんと見るのって初めてだったから、格好良いんだなって、見惚れちゃって…それで佐々倉君がポストにぶつかってビックリして直ぐにグラウンドまで来たんだよ…?』
「――――――」
『余計なお世話かもしれないけど、怖いから、怪我しないで』
お願い
そう言われるともう、心臓なんか止まってしまえって。
ガーゼを当ててくれる彼女の手が傷口に触れる度に化膿してしまいそうな程熱くなって、今度は手を伸ばせば届く距離を正直我慢出来なかった。彼女を触れて、腕の中へ誘うしか出来なかった。
『っ!』
「期待、しても良い?」
『え…?』
「今は無理でも、きっとこっち見てくれるって」
『佐々倉君、』
「俺もう参っちゃってさ、お手上げ状態なんだよ」
『ど、どういう意味?』
「めちゃくちゃ好きで、本当に好きでどうしようもない」
なのに上手く行かないから、きつかった。ずっと。
笑う顔も、呼んでくれる声も、全部好きだった。だけど小さくなる背中を見るのは苦手で、追い掛けられない自分が焦れったくて悔しかった。
ゆっくりゆっくり紡ぐ俺を急かさないで聞いてくれる彼女の身体は思ってた以上に小さくて尊い。誰にも渡したくないって欲が湧く。
『佐々倉君、』
だけど彼女は簡単に俺の腕を擦り抜ける。
やっぱり一方通行じゃ満たされないんだ。
「ごめん、急に…」
『あ、あのね、アタシ、まだ良く分かんないんだけど…そうなのかも、しれない』
「え?」
『佐々倉君が心配なのも、見惚れちゃったのも、』
「!」
身体が離れて不意に掴まれた右手、彼女はそのまま自分の左側の胸元へ持って行く。
“ほら、早い”
気恥ずかしそうに赤くなってクシャクシャに笑う顔とは裏腹、右手に伝うのは俺がずっと感じてたスピードと同じ心臓の音。ドキドキ、バクバク、2つの音がシンクロしてるみたいだった。
『ちゃんと自覚するまで、待ってくれる…?』
「――、も、何だよソレ…」
『え、やっぱり駄目?』
「ううん。そうじゃなくて」
『うん…?』
「すっげー、幸せだなって、そう思っただけ」
『そ、それは、照れますね…』
やっと伝えられた想いに喜悦して、届きそうな想いに暖かさを噛み締める。
ついさっきまで悩んでたのが馬鹿らしく思えるけど、結局前へ進めたのは全て彼女が居たお陰だから。
「この先好きだって言って貰う迄もそれからも、俺絶対幸せにする」
『、』
「大事にするし、俺ももっと好きになる」
『さ、ささくらく、』
「だからその時は、名前ちゃんの気持ち全部俺に頂戴」
『っ!』
益々赤くなって困った顔したのを見れば、今日から彼女の為に全てを捧げたいと誓った。
ただ傍に居るだけじゃ駄目だって、気付かされたから。
(20120613)
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