デイドリーマーズの回顧録 私の世界にはいつもミシンがあった。ガタガタと大きな音をたてるソレはいつも同じようにお祖父さんが同じ格好をしながら踏んでいた。小さな頃から、そう、本当に生まれた頃からそこにいたから当たり前にあってその音がしないときは寂しくてソワソワと落ち着かなかったりしたもので、私の両親は働きに出ていたしあまり私に興味がなさそうだったからぞんぶんにおじいさんとその仕事部屋を独占できたりした。 「ねぇ、この鋏はなんでこんなに大きいの?」 自分の手に余る鋏をオモチャのように持った時、普段温厚だったおじいさんが激昂して私の手からその鋏を取り上げたのを覚えている。それはきっと危険であるからと、自分の魂のようなモノを例え身内にでも触らせたくなかったからなんだと、今ならわかる。 :::::::::: 「…メローネさんて過去に興味なさそうなのにね」 「興味ない人間の過去には興味がないだけさ」 作業台の上で、メローネさんはお客さんようのちょっとだけいい革の椅子に腰を掛けて雑談をしていた。時刻は深夜になろうとするけれど、メローネさんは帰ろうとしないから私はそのままに話に耽っていく。 その日、やっぱり閉店間際にメローネさんはノックをする前に窓ガラスからこちらを覗いた。カーテンを閉めようとしたときにガラス越しに眼があって、私は笑いながらドアを開けて招き入れた。メローネさんは珍しくその手にパスティッチェリアの箱なんてぶらさげていた。あけるとアマレーナのソースがかかったチーズケーキが入っていて、奥で切り分けると甘酸っぱい匂いが立ち込めて、やっぱり安い紅茶だけれど淹れてケーキをいただいた。ペロリと食べ終えてしまったわ!本当に美味しいアマレーナのソース!メローネさんもさっそく食べ終えたらしく、話をふりだしに戻してきた。 「で、ミサは逃げたのかい?」 「むしろ興味が湧いたわ。そんなに執着してどうするの?って、でもモノに興味はなかったから残念なことに今でもこの作業場のドコに何があるかわからないのよ」 ぐるりと見渡してみた。低い天井には板がはりつけてあってソコからぶら下がるまあるい電気の傘がくすんでる。作業台にミシン、ロックにアイロン台、自分の手元の道具くらいはわかるけれど、ミシンの後においてある小さな棚の中に詰みこまれたボビンやらなんやら全くといっていいくらいわからない。お祖父さんのものだから、手をつけたくないのかしら、なんて思いながら、やっぱりお祖父さんのものだからそのままにしておこうと思ってしまった。 私は空になったメローネさんのカップに紅茶を注いで、目の前にだしていたクッキーをさらに箱から出して足した。それを待っていたようにメローネさんは一つを摘んですぐに口にいれる。サクッといい音がした。さっきのケーキに比べたら安い菓子だけれど、口寂しいのは癒してくれている。 「まぁ継いだからにはいつか私の仕様になるだろうけれど、まだお祖父さんの店でいいのよ」 「謙虚だな」 「残念ながら、腕が伴わないわ」 街一番、なんて言われたお祖父さんが仕立てるジャケットは本当にきれいで後姿なんてホレボレするようだった。型崩れだって殆どしないし、なにより耐久年数が素晴しい。選定眼っていうのかしら、その人の癖やスタイルなんかをよく見抜いていたんだと思うわ。 「オレはミサだっていい腕だと思うぜ」 「ありがたき幸せ」 「早く、ホラこっちにおいで、褒美を取らす」 メローネさんのお芝居が始まって、腰掛けていた作業台から降りて前にいけば、足を組んだメローネさんがまるで女王のように私の手を座りながら握りキスをした「光栄至極!」、膝を折ってひざまづけば満足したように笑ってくれた。そんなメローネさんの椅子に寄りかかるように私は床に直接座って凭れた。目の前にストーブがあるから、顔が熱いわね。自然上目にメローネさんを見ると、その細面がこっちをみていた。 「でも、本当よ。街の人はまだお祖父さんの店だと思ってる」 「憧憬さ」 「仕立てたジャケットだって直しの方が最近じゃ多いのよ。やっぱりまだ、お祖父さんのようにいかないわ」 「年季ってモンがある」 「…今日は随分優しいわね」 「オレはいつだって優しいだろうが」 そうかしら。そのセリフが面白くてフフと笑ってしまった。その様子にさらにメローネさんが笑ったのがわかった。そうね、と小さく言ったら、メローネさんが低い声で呟いた「過去ってのは甘美だ」。 「え」 「いつも思うんだ。興味ある過去というのは傷を抉るのに似ている。歴史と一緒だな」 「難しい」 「ミサならわかる日がくるさ」 「…」 時々、そう、時々メローネさんは怪しく笑う。私は見逃してるだけかもしれないけれど、まるですべてを見透かしたみたく笑う。だからその顔に私はよくトキメくけれどそれは秘密にしているわ。まぁ見透かされているようだけれど。立ち上がって自分の紅茶のカップを手にしてまた戻った。一口下すとやっぱりストーブの側で喉が渇いていたのか、美味しく感じられた。過去は甘美、まるで三文小説の一説だわ。口の中で繰り返してから、自分の記憶が甘美なものにぶつかった。 「私、メローネさんが初めて来た日もよく覚えている」 「今オレもその話をしようと思っていた」 「ね、ところでメローネさん、今日は帰らなくていいの?」 「用事なんてねぇよ」 「なら、ゆっくりとお話しましょう」 嘘と脚色もふんだんに盛ってしましょう。心の中だけで思って私はミシンの椅子に置いておいたひざ掛けを掴んで自分に引き寄せた。背中だけ寒かったのよね。それに帽子屋から借りていたキャスケットを目深にかぶってみせた。いつもの作業用のエプロンにキャスケットでまるで靴磨きの小僧だけれど、これで準備はいいわ。私の様子を見たメローネさんは肘置きにその形のいい腕を立てて顎を指先に乗せた。 :::::::::: 「コンコンコンって、最初そのドアをノックしたのよね」 「ああ、オレはノックは三回の主義なんだ」 「私はまだお祖父さんの見習いの、洋裁学校の学生だったわ」 私には兄がいたけれど、兄は早々にこの店と街に見切りをつけて出て行ってしまったから、必然的に私がその店を継ぐ形になった。裁縫は嫌いではなかったし、この店から出ることなんて考えたこともなかったからソレを当然のように受け入れて早くからお祖父さんの手伝いをしていたから、なんとなく、感覚で仕立て屋の仕事を覚えていったように思えるわ。針仕事以外にはこれといった趣味もなく、たまに気が向いたら本を読んでは窓の外を眺める私に両親は相当心配したようだけれど、お祖父さんはそんな私を気に入ってくれていたみたいだった。 「オレはミサのじいさんの店の評判を聞きつけてやってきたんだ」 「どんな評判だったの?」 「上手いとか在り来たりな評判じゃない。スタ、‥いや、精神的なものというか、そう、とにかく尋常じゃないってね」 「フフフ、なんとなく、みんなそう言うわ」 お客さんはみなお祖父さんの服には何かが潜んでいるって言う。その何かを的確に言い当てる人はまだいないけれど、メローネさんが言うのが一番近い気がするわ。私にもわからない、尋常ではない出来上がり「小人の靴屋さん、って知ってる?」。 「夜中に作ってくれるっていう」 「そう、それよ!私、そういうのだと思うのよね」 「ハハ、メルヘンだな」 「おじいさんはいつもこの作業台の上で何かとにらみ合っていたのよ?もしかしたら、私には見えない何かが居たのかもしれないわ!」 にやりとメローネさんが笑ったのがわかった。すぐにその表情を崩していつもの、サラリとした笑い方をしたけれど。 「ミサは見えない何かを見たいかい?」 「そうね、…見たい気もする、けれど。メローネさんが言うように年季が必要かも知れないわね!」 「初めて会ったとき、ミサはオレを見て変な事言ったな」 「え?」 「アナタ、ソコで若い男性と出会わなかった?彼、自分の恋人が死んだ時の為に喪服を用意するんですって!アナタも?って」 すごいわね!一言一句違わずに覚えているなんて!感動すら覚えるわ。けれど私はその時嘘をついていたのよ。若い男性なんて、実はいなかったのよ。 「メローネさんは真顔で「そうだ」って答えたわよね」 「あぁ」 「その時私、メローネさんとならお話できそうって思ったのよ!」 紅茶を一口含んでまた口の端をあげて笑う。この人はどれくらいの数の笑い方をもっているのかしら。そしてそれは全部知る人はいないのよね、あぁ知る人になりたい! 「メローネさんはそれからも何度も足を運んでくれたわね」 「まぁじいさんに用事があったんだが。だがそれからすぐにミサには魅了されちまった!」 そういいながら私の顎まで手をのばしてツルリと撫でてくれたわ「ありがとう!」。 「過去のお話なんて、夜にやるもんじゃないわね」 「まるで暗闇に引きずりこまれるようだからかい?」 「そうよ、そして帰ってこれなくなっちゃうの。道しるべも街灯もない夜は目を瞑って静かにやり過ごすのが無難なんだわ」 「だからこそ、甘ったるい過去の話をするんだ」 メローネさんが歯をたててクッキーを砕いたのがわかった。 「いいかい?過去を拒絶するのはコカイン漬けになった自分と他人から逃れる為に自分だけの空間でいじける男や、人一倍くだらねぇことによく怒るガキだとか、そういうので十分なんだ。男女が冷たい夜に出会った過去を語り合う、それだけでステキだと思わないかい」 「フフフ、また、ステキな言い回しね」 「本気だぜ」 「あら、いつ口説いてくれたのかしら」 「ミサの話を聞きにくる時はいつも口説き文句を並べてるつもりなんだがな」 アハハ!つい大きな声でわらってしまった。今まで振り返ってもステキな口説き文句なんか片方の手で足りるくらいしかきいたこと無いわ!メローネさんはその様子に少しいやらしく舌なめずりをした。赤い舌が本当、エロチック! 「それでもメローネさんはおじいさんに頼んだのはジャケット一つだったわね」 「あぁ、十分だった」 「十分?」 「オレにはジイサンが作った服よりも、ミサの存在のがこの店に来る理由になったわけだ」 「だから私にばかり作らせていたのね!」 顔を見上げればストーブにあたってか、すこしだけ頬を赤くしながらメローネさんは目を細めて「ミサに作って欲しかったのさ」、そう言った。 |