3日目



「いってきまーす!」
「んー行ってらっしゃい」


こうやって苗字さんを見送るのも3度目となると慣れたもんで、毎日のようにアルバイトに出かける彼女の体が少しばかり心配にもなる。
残された俺がすることと言えば、もっぱら読書かネットサーフィン、気がついた時には少し掃除なんかもするが……
朝練に学業に放課後の部活や委員会。今までの生活を考えると時間の進みが遅く感じるほどに暇でしょうがない。


「テニスしたいわ……」


誰もいない部屋に俺の呟きが虚しく消えた。
そもそも元の世界に戻れるんやろか、そういえば苗字さんとはそういう話をしない。俺に気を使ってくれてるんやろな。
向こうでの俺はどうなってるんやろ、行方不明?それとも小説やドラマにありがちな戻れば時間は過ぎていないというご都合設定なのか……

走り込みでもしよか……

どうも1人でじっとしているとマイナス思考になりがちだ。これならまだ体を動かしていたほうがマシで、昨日もそうして走ってるうちに苗字さんのバイト先まで行ってしまったわけなんだが。


しゅぽんっ


「ん?苗字さん?」


思考の渦に身を投じておざなりに持っていただけになっていた小説を閉じて通知の届いたパソコンを見る。
連絡手段を持ち合わせていない俺に苗字さんが提案したのは通話やらチャットのできるこの無料のアプリだ。まぁ使ったのは今が初めてだが
チャットの内容を見ると、夕方から入っていたバイトがなくなり帰りが早くなるというもので、一緒に送られてきた顔文字を見ると
どんな顔でこの文字を打っていたのかが容易に想像できて頬が緩む。


苗字名前という人は異世界からきた俺を受け入れてしかも家に置いてくれているお人好しな大学生のお姉さんや。
お姉さん、という感じは正直なくて……偉そうやないし、怖くないし、うちの姉貴とは大違いや。
なんやあの人の周りはほんわかした空気がでとって、一緒におると退屈しないし何より気分が和らぐんがわかる。

一度彼女の事を考え出すと、先程まで沈んでいた気分が少し軽くなる。

どこか抜けているところがあって少しおっちょこちょいで、多分彼氏はいない、おったらいつ居なくなるかもわからん男を置いておくわけない。
そもそも俺を居候させてる時点で彼女の危機管理能力が心配になるのだが……そういや昨日は絡まれとったし。

まぁ中学生である俺を異性として見ていないという線もあるが、普通に照れたり、からかえば怒ったりと良くいえば感情表現が豊かで、本人に言ったら怒られるやろうけど少し子供っぽいっちゅーか……せやのにこっちがドキッとするくらい大人に見える時もあって……

まだまだ苗字さんのことを知るには時間がかかるんやろな


そこまで考えて、先程までいつ帰れるのかと不安になっていた自分がまるで彼女と長い時間居るつもりのような言葉に気づき、思わず苦笑いをこぼす。

ふと目に入った時計を見れば、さっきまでは止まっとるんちゃうかと思うほど遅く感じていた針の動きがだいぶ傾いていて、俺はただ持っていただけの小説を改めて開いた。
これは昨日買い物に行った時に、彼女が好きだと言っていた作家の本だ。
正直ミステリー小説は推理しながら見る性分のため頭が疲れるから、続けて読むことは避けていたのだが、あの時の本のことを語る彼女の笑顔を思い出す。

『同じものが好きって嬉しくなるもん』

彼女の笑顔は何度も見ているが、あの時の笑顔が一番印象に残っている……
俺がこの本を読んで話しができたなら、またあの笑顔が見れるんかな

俺は苗字さんが帰ってくるまでにこのシリーズを読んでしまおうと今度こそ本の世界へ旅立った。




それからどれくらい時間が経ったんだろか、気がつけば3冊目を手に取ろうとしていて一度本を置く。


「ふう……」


やはり物語に触れたあとのこの余韻はたまらない。ミステリーもさることながら彼女の言った通り人間模様の描写が良かった……早く続きを見たいが時計を見れば時間はちょうどお昼時で、たしか彼女がバイトの終わる時間がそろそろである。俺は本を机に置くと買ってもらったばかりのカーディガンを羽織り玄関へ向かった。どうせ走り込みをするならば昨日のように苗字さんを迎えにでも行こうかと思ったのだ。
バイト先は昨日と同じだと聞いているし今から行けば丁度いいだろう。家の扉を締め鍵をかけたことを確認し、外に出て軽くストレッチをしてから緩やかに走り出したのだった。




「忍足くん?」
「お疲れさん」


予定している通りの時間にたどり着くと、昨晩よりも人通りは少ない駅の改札近くに目的の人物を見つけて手を振った。相手も俺にすぐ気が付いてくれて驚いた顔をでこちらに走り寄ってきてくれた。
また走ってきたの?と可笑しそうに笑う彼女に今日はお迎えがメインやと伝えると一瞬の間をおいて嬉しそうに、でも素直に喜ぶのは恥ずかしいのか少し抑揚をおさえた声でアリガトウと返ってきてほんまにおもろい人やなぁと笑ってしまった。



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