6.淡い色が邪魔をする
午後七時。家に帰るにも少し早くて、もっと遊びたいと我儘を言った。すると、峯さんの提案でバッティングセンターへ行くことになった。カラオケとかボウリングとか、遊ぶ場所が色々ある中で、なぜバッティングセンターなのかは謎だ。
「バットの持ち方がおかしい」
ネットの外側で、腕を組んで見ていた峯さんが呟いた。
「実は、バットを持ったことないの」
「こうやって握るんだ」
持ち方を正しくしたら振り方もましになった気がする。だけど、後ろからじっと見られて緊張したせいか、更にひどい結果になってしまった。センターの客層はカップルが多く、隣で遊んでいた女性も私と同じような状況になっていたので、謎の安心感を覚えた。
峯さんは様々な角度の球を次々に打ち返していて、野球に全く縁のない私は、それがどれほどすごいのかわからなかった。さっさと自分の番を終わらせて、バットを振る姿を食い入るように見つめていた。
「ふう、楽しかったね。すごい汗かいちゃった」
「それならこれを。景品だそうだ」
「え、景品なんて貰えるんだ!」
お礼を言って、手渡された栄養ドリンクを飲んだ。峯さんは肘のあたりまでシャツをまくっていて、太い腕に浮き上がった血管が見えた。飛んでくるボールを必死に目で追っていたから、今まで気がつかなかった。
じろじろ見ていると、峯さんが怪訝な顔をした。
「なんでもないの」
私ばかりどきどきしている。
そう思った。
*
車の適度な揺れが心地よくてうとうとしていると、名前を呼ぶ声で目が覚めた。窓の外にアパートが見えた。
「あれ…もう家」
「疲れただろ。もう休んだほうがいい」
たくさん歩いたので、確かに少し疲労感があった。峯さんも同じように疲れているかもしれない。だけど、もっと一緒にいたい。後部座席に置いた鞄を取ってくれた手を、そっと握った。
「あの、狭いけど上がっていかない?」
峯さんは一瞬驚いた顔をしたけど、すぐに近くのコインパーキングに車を移動させた。
*
入浴剤を入れると、浴槽に張ったお湯が薄い水色に変わっていく。汗を流したいと言われて頷いたけど、一緒にお風呂に入ることになるとは思わなかった。
「入るぞ」
「は、はいっ!」
脱衣所から声がして、シャワーを浴びていた私は慌てて湯船に飛び込んだ。峯さんの裸を見たいと思っていたけど、いきなり全裸なんて刺激が強すぎる。
そもそも単身者向けのアパートなので、浴室も部屋も峯さんのお家みたいに大きくない。案の定、二人で入るとかなり狭くて、浴槽の中で体が触れた。
「背中を見てもいい?」
「…ああ」
大吾さんの背中を何度か見ていたから、刺青を見るのは初めてじゃない。峯さんにも存在すると思われるそれが、私はずっと気にかかっていた。
一瞬の沈黙の後、峯さんが体の向きを変えた。筋肉で盛り上がった背中に、鮮やかな刺青が描かれていた。その迫力に圧倒されながらも、胸の高鳴りが止まらなかった。
「峯さんの体、見たかった」
「そうか…」
低くて抑揚がない。だけど優しい声。なんだか今日の峯さんは、私の言うことをなんでも聞いてくれる気がする。
「ねえ、洗いっこしよう」
浴槽から出た峯さんが背後に回り込んで、椅子に座るよう促した。大きな背中に触る口実が欲しくてそう言ったのだけど、しぶしぶ従った。
「あの時、唯子を抱こうとした」
突然の告白に、心臓がどくんと音を立てた。あの時というのは、言うまでもなく、峯さんの家で過ごした夜のことだった。
「唯子が大吾さんを好きでも、俺のものにしたかった」
泡立てたスポンジで私の背中を擦りながら、峯さんは続けた。なぜか、峯さんの中で、私は大吾さんを好きということになっていた。
「どうして大吾さんを好きだと思ったの?」
「あの人にとって、唯子は特別だからだ」
「好きだけど、それは異性としてじゃない。だからあの時のことは……んっ」
泡のついた手が顎に添えられて、言い終わる前にキスをされた。
「あんなことをして、嫌われたと思った」
「嫌いに…なれないよ」
行為の後、萎縮する大吾さんとは対照的に、峯さんは堂々としていた。だけど、彼なりに私のことを気にかけていたんだと知った。
「それに、私のこと本気だって」
「ああ。そう言った」
「いつから?」
「…わからない」
背中を洗い終わった手が、躊躇なく胸元に移動してきたので、今更ながら恥ずかしい気持ちになった。それをやんわりと断って、スポンジを受け取った。
全身を洗って再び浴槽に入ると、それを待っていたように峯さんがくっついてきて、唇同士が触れた。
「ん…峯さん。あのね」
「なんだ?」
「ちゃんと、言ってほしい」
「……好きだ」
小さな声だったけど、その言葉を聞けたことが嬉しくて、両腕を首に回して抱きついた。広い胸板に柔らかい胸が密着した。
「峯さんの胸、すごく硬い」
「唯子のは柔らかいな」
大きな手のひらが、押し当てられた膨らみを撫でる。明るい照明の中で顔を見られるのが恥ずかしくて、今度は私からキスをした。
「湯のせいで体が見えない」
そう言って私の体を持ち上げると、太ももの上に乗せた。露わになった胸に濡れた唇が触れて、ざらついた舌が先端を優しく舐めた。
「あっ…ん」
お湯の温度はぬるいのに、峯さんから伝わる熱で頭がくらくらする。お湯の中で太ももに当たる硬い存在が、一層体温を上昇させた。
「峯さん…、ベッドに行きたい」
繋がりたくてたまらなかった。
そわそわしている私を見て、峯さんが頷く。そんな彼もどこか落ち着かない様子で、私と同じ気持ちなんだと感じた。
2018.6.15
タイトル:腹を空かせた夢喰い
前 次
もどる