アイドリング・ワンダー
※エア新刊サンプル 36ページ/200円 ※アイドルパロ ※うたプリとAKB49のネタ有
「ぶふっ」
「ひっ…冷たいい」
渚の吹き出した麦茶が怜の顔に直撃し、怜が悲鳴のような情けない声をあげる。
「渚…汚い」
「ハルちゃんひど〜い」
「酷いのは渚くんです。早くティッシュかタオルを持ってきてください」
「それより、みんな。早くテレビみてよ!」
反省がみえない渚に、怜がため息を吐き出す。真琴が怜にタオルを渡して、それからテレビのみえる場所に腰をおろした。
「何がやってるんだ?」
きかれた渚は、
「これだよ、これ」
遙たちに、テレビの右上を指差してみせた。 そこには"イケメン新人アイドル"と、胡散臭いありがちなワードが並んでいる。
「渚ってそういうの興味あったっけ?」
真琴が首をひねって、遙をみる。視線で問いかけられた遙は、知らないとかぶりを振った。
「違うよ。みてればわかるから……あっ、ほら。みて、早く!」
四人で、テレビ画面を窮屈だが覗きこむ。 遙と真琴ははっと息をのんだ。怜はクエッションマークを、でかでかと頭上に掲げている。
「センターのこの人…凛ちゃん、だよね?」
渚の言葉に、遙は何も返せなかった。真琴はかろうじて頷いている。 怜を覗く三人は動揺を隠せずに、テレビを信じられないとでもいうような顔つきでみている。彼らの視線は、テレビの中の一人にそそがれていた。
ーー凛だ。…どうして、凛が…。
遙は、今が夢なのかと思った。
(中略)
遙と真琴と渚、そして凛の四人は岩鳶町の片隅にある中規模の劇団で出逢った。 遙と真琴と渚は小学校が同じで、仲が良く、劇団でも一緒にいることが多かった。そんな三人と凛が友達になったきっかけは、あるミュージカルで共演したことだ。
「え…ハルは主役じゃないの?」
首をかしげる真琴に、遙は内心舌打ちしたいぐらいの気分だった。 主役のオーディションで遙は負けてしまったのだ。納得はしているものの、負けた事実はたいへん不服だ。
「ああ。俺はその友達役だ」
「そうなんだ。じゃあハルちゃんは僕の親友役ってこと?」
「そうだ。ついでに、渚の兄の役でもある」
「へ〜!楽しみだねっ」
真琴の声をどこか遠くでききながら、遙は胸のうちであの時のことを思い出していた。
先日に行われたオーディションで主役を勝ち取ったのは、松岡凛という最近劇団に入った子供だった。隣町の劇団からやってきたと、遙は噂話を通してきいていた。 作品に歌が多く使用されたミュージカルの主役というからには、もちろんある程度の歌唱力が必要で、オーディションでも歌を審査される。 遙は、歌も演技も同い年の子供の中では右にでるものはいなかった。凛が現れるまでは。 凛は小学校だとは思えない歌唱力で、主役の座を手に入れた。演技は遙の方が勝っていたのだが、今回は歌唱力が重視される。 今まできいたどんな歌よりも、凛の歌が遙の胸をうつ。こんなに感動したのは、彼の人生で初だった。 はじめての敗北に、遙は絶望を味わった。でも、それ以上に胸は高鳴り、わくわくがこみ上げる。凄いひとがいる、追い越す対象がいる、そのことが遙に喜びを与えていた。自分と同等、いや、自分より優れた凛の登場を、遙はもしかしたら待ち望んでいたのかもしれない。
練習が進むにつれて、凛と遙たち三人は打ち解けて、息もあってきた。 特に四人でうたう曲は、それぞれの声がうまく混ざり、溶けていくかのようにうつくしいハーモニーを奏でるようになった。 みんなのこころが一つになりかけた、そんな時だ。凛があんなことを言ったのは。
「俺、このミュージカルが終わったら、劇団やめる」
(中略)
久しく姿をみていなかったにも関わらず、凛はその後ろ姿が七瀬遙のものであると気がついた。彼の右隣には橘真琴、左隣は葉月渚で間違えないだろう。渚の左を歩く男にだけは、見覚えがないが。
「ハル」
会うのも久しぶりなら、名前を呼ぶこともまた然り。それなのに、ひどく舌に馴染んだ遙の名に、凛は理不尽にも苛立ちを覚えた。
「「凛(ちゃん)…!」」
三人が振り返り、口々に凛の名を呼ぶ。嬉々として凛をみる二人とは対照的に、遙は無表情のまま凛を見上げた。凛の知らない、メガネをかけた男性は、視線をおろおろと迷わせている。
「おまえら、なんでここにいる?」
ここは、歌番組の収録のために凛がやっきたスタジオなのだ。一般人は立ち入れる場所じゃない。
「あのね、凛ちゃん。僕たちもアイドルになったんだよ」
「凛、そうなんだ。よろしくね」
凛はこの場で彼らをみかけたとき、もしかしたらとは思っていた。だけど、まさかそんなことが現実になるとは。
ーーよろしくしてなんてやらねぇ。この業界でやっていく覚悟もないだろう馬鹿どもとはな。
凛はふんと鼻を鳴らして遙を睨み付けた。
「精々頑張って生き残れよ。芸能界は厳しいぜ」
そう言い捨てた凛の後ろから二つ足音が近づいてくる。 急ぎ足の二人は、凛がセンターをつとめるアイドルグループ"SHARKS"のメンバーである、御子柴清十郎と似鳥愛一郎だった。
「松岡、社長がおまえを呼んでいる」
「そうなんです。大切な話があるから、大至急くるようにって。社長は第二スタジオにいます」
「社長が…、わかった」
凛は遙たちに一瞥をくれると、廊下を大股で歩き出した。
* * *
「社長、あの…用って…」
「松岡、SHARKSと新人アイドルグループとでライヴ対決をやることになった」
凛の肩に手をおき、企てるような顔で社長が言った。 凛は背中がぞわりとしたけれど、相手が社長であるが故に振り払うことはできない。
「ライヴ対決…?」
「これは決定事項だ。相手は岩鳶事務所の四人組。七瀬遙、橘真琴、葉月渚、竜ヶ崎怜」
「…!」
「知っているだろうが、岩鳶事務所は、我が鮫柄エンタテインメントの最大の敵。おまえ達に負けは許されない」
「…はい。必ず勝ってみせます」
「負ければおまえのアイドル生命は終わりだ。わかるな、この意味が」
社長が、うつむく凛に顔を近づけた。 脅されている。凛はそんなことで怯える訳にはいかない。
「もちろんです」
「いい返事だ。負けるなよ、愛しい妹のためにもな」
下品に笑い声をたてながら歩いていく社長の背中を、みえなくなるまで凛は睨み付けていた。先ほど遙に向けたものよりも、はるかに怒りのこもった瞳で。
ーーあいつの言いなりになんなきゃなんねぇ自分が情けねぇ。でも、江が生きられるなら、それで。
(中略)
「今日は楽しかったね〜」
渚がいかにも楽しげに、怜の背中を軽く叩いた。怜は迷惑そうに眉を寄せるが、いやがっていないのは目をみればわかる。
「そうですね。まさか有名なクイズ番組に出していただけるとは思いませんでした。ありがたいことです」
「確かに。僕たちデビューしたばっかりなのに」
「注目していただけるのは嬉しいです」
「うん。しかも凛ちゃんに会えたし!元気そうで良かった」
前の二人の会話に、遙は怪訝な表情をしたのを真琴見逃さなかった。
「ハル、どうかした?」
「…凛」
「凛?」
「今日の凛は、体調がわるそうだった」
ーー他のやつにはわからないだろうけど。明らかに凛は熱があった。
気づいたところで、なにもしてやれない現状に、遙はむなしさを感じた。
* * *
似鳥と御子柴はダンススタジオの隅の椅子に腰掛け、水分補給をしつつ、凛の踊る姿をみていた。
「似鳥。松岡のやつ、いつから休んでないんだ?」
「十時間は続けて練習しています」
「十時間だと?」
「はい…。ライヴ対決が決まってからは前以上に練習時間が増えているんです。僕、心配で…」
似鳥が"倒れちゃうんじゃないか"と続ける前に、二人の視線の先で、凛の身体が傾いた。
「松岡っ!」
支えようと御子柴が急いで駆け寄るが、間に合わず床にばたんと倒れこんだ。 似鳥が青ざめた顔で近寄る。
「大丈夫ですか?」
「大丈夫。少し滑っただけだ」
凛は意識はあり、汗だくの顔で平然と言ってみせる。 だけど、グループメンバーの二人にはわかってしまう。これは凛の強がりだと。
凛はふらふらしながら立ち上がり、かかっていた曲を最初からにして、踊りだす。
「松岡、休憩しろ」
御子柴の強い口調でつむがれた声はきこえていたが、凛は返事をしなかった。 止めてもきかないのがわかって、御子柴は凛の隣で同じように踊る。止められないなら、とことん付き合おうと彼は思った。 慌てて似鳥もそれに加わる。
凛は優しい二人がすきだ。
ーーおひとよしすぎんだよ。
三人の練習は、疲れ果てた凛が眠るまで続く。
(中略)
女性ファッション誌"Free!"に特集をくんで貰えることになった遙たちは、グラビア撮影のためにロケ地を訪れていた。
「けっこう早く来ちゃったね」
「当然です。僕らは新人なのですから、待たせるわけにいかないでしょう」
「怜の言う通りだね。…あ、あそこで撮影してるのは…」
遙たち四人から数メートル離れた場所で、カメラに向けてポーズをとる少女がいる。彼女はFree!専属モデルのKOUという。
「あのこ…」
真琴が顎に手をそえて、記憶を探る。
「なあに?まこちゃん一目惚れ?」
「違うよ渚。見覚えがあるなって…」
真琴はKOUに、ひどく懐かしさを覚えたのだ。彼女を知っている気がしてやまない。 そんなつっかかりを解消したのは、遙だった。
「松岡江。…凛の妹だ」
「江、ちゃん…」
真琴は思い出すことができた。 そうだ。彼女はよく、劇団まで凛を迎えにきていた。
ーーお兄ちゃんお兄ちゃんって、凛の後ろを歩いていた小さな女の子。大きくなったけど、確かに江ちゃんだ。
撮影を終えた江と遙の目があった。江はばつが悪そうに目を伏せる。
「久しぶりだな」
沈黙を破った遙に、江は顔を上げて、みるからに焦った様子で駆けてくる。
「ひ、人違いじゃないですか?」
「…?…松岡江だろ?」
「ち、違います。私はKOUです」
「それは芸名で…本名は松岡江じゃないのか?」
江は盛大にため息をついて、この世の終わりをみたような顔をする。 彼女には、凛の妹だと知られるわけにはいかない理由がある。
「…お久しぶりです。松岡、江です。…私がKOUとしてモデルをしてること、絶対に口外しないようにしてください」
仕方なく肯定して、秘密を守るよう懇願する江は真剣そのものだ。遙はそれに圧倒されて、二回縦に首を振った。
* * *
「江。おまえ、出歩くとか…無茶な真似してねぇよな?」
病院の一室、江の横たわるベッドのそばで、凛は彼女に問いかける。 江は生まれつき病気を患っていて、ずっと入退院を繰り返していた。
「そんなことしてるわけないじゃない」
江は心臓の鼓動が早くなり、冷や汗が身体中から吹き出すのを感じた。 だいすきな兄に嘘をつくのは、かなりこころ苦しいことだ。でも、江には嘘をつく以外の選択肢がみつからない。
「そうか。前より顔色が悪かったから…」
「心配してくれたんだ」
「別に…そんなんじゃ…」
気恥ずかしいようで、凛はそっぽを向いた。江は罪悪感に蝕まれて死んでしまいそうだ。
凛はもともと、歌や芝居がすきだった。身体を動かすこともすきな凛は、ダンスも上手で、将来はそのようなことを続けられる、なにかしらの仕事につきたいという志を持っていた。 幼い凛は、劇団に通うのをなによりの楽しみとしていて、江は一生懸命に努力する兄が誇らしかった。その凛から劇団という場所を奪ったのは、紛れもなく江で、それを思うと胸がきりきりと痛むのだ。 松岡家は二人の子供が小さいうちに父親が亡くなり、財産が少なく厳しい状態が続いていた。お金は江の治療費と、生活費で底をつき、凛が習い事をする余裕はあるはずもない。凛はそれをよくわかっていたし、受け止めていた。江の責任だとはこれっぽっちも思っていない。だけど江は、自分を責め続けている。
ーー私が病気がなければ、お兄ちゃんは…。
劇団をやめてから、凛は勉学に取り組み、将来お金に困らないように働きたいと望んでいた。 凛が中学の三年になり、その頃、江の病は悪化していた。日本のトップレベルの医療を受けないと、治る見込みはないと宣告された。途方にくれるなか、凛はスカウトされた。鮫柄エンタテインメントに。 鮫柄エンタテインメント社長は、凛が第一線で活躍するアイドルになれば、江の治療費を全て肩代わりすると申し出た。凛はそれを受け、SHARKSの一員となり活動している。 お金が欲しかった凛にとって、社長は当初は神さまのように思えたが、それは大きな間違いだった。デビューしてから、CDを出すならヒットチャートの一位、ドラマに出演するならメインの役をこなすことが要求された。凛が弱音を吐こうものなら、江をダシに凛を脅してくる。 凛は辛くて辛くて、時々ひとりで涙する生活をおくっていたが、それでも江のためと耐えている。社長はきちんと、江にお金を出してくれているのだから。
忙しいのに頻繁にお見舞いにやって来る凛が、江のベッドに背中をもたれて、泥のように眠るのをみていると、江はいたたまれない気持ちになってしまう。 凛が頑張っているのに、自分だけベッドの上で休んでいるのはいやだった。江はもう、甘えているだけの弱いお姫さまじゃない。
(中略)
会場全が大きな歓声に包まれる。
「今日はありがと〜う」
渚が声を張り上げ、メンバー一同、観客席に頭を下げた。
本日は遙たち四人に凛が加わり、"STYLE FIVE"を結成した五人の初ライヴだ。 凛はいまだに、あの日のことをうまく整理できていない。
* * *
ライヴ対決でSHARKSはやぶれた。歌、ダンスの技術面は、勝っていたにもかかわらずの敗北だった。 凛たちは大切なことがみえていなかったのだ。一番忘れちゃいけないことが。 アイドルの歌は武器じゃない。きいてくれるひとに想いを伝えるための手段である。 どれだけ応援してくれるひとに向けて歌えるかが、勝敗をわける鍵となった。 遙たちは勝ち負けを気にしていなかったのだ。対するSHARKSは全力で勝ちをとりにきた。完璧な歌にダンス。でもそれは、鏡の前で歌ったものと同じだった。凛たちがパフォーマンスするのは、ダンススタジオじゃない。鏡に向けて歌い踊るんじゃない。ステージで、きいてくれるお客さまにむけてだ。 凛はそれを遙たちに教えられ、敗北に納得した。だが、負けるわけにはいかなかった。妹はどうなるのかと、恐怖に震えが止まらない。 その時、遙が確認するようにマイクを通して、そう言った。
「勝ったグループの願いを三つ叶えるんだよな」
「そうです」
司会者が大きく頷くと、遙は真琴、渚、怜にアイコンタクトをとり、凛たちをみた。
「一つ、松岡凛を今この時から岩鳶事務所所属にすること。二つ、松岡凛が俺たちのグループに所属すること。三つめは、後ほど鮫柄エンタテインメント社長に直接お話させていただきます」
こうして凛は事務所を移籍になり、遙たちと活動をはじめた。 遙の三つめの願いというのは、凛の借金の帳消しだった。どこから情報をつかんだのか、遙は巧妙な話術で鮫柄の社長にお願いを通した。
凛は、残してきた御子柴と似鳥が心配だったが、社長はあれから更正したようで、ひどい仕打ちは受けていないそうだ。 これも遙が仕向けたのだが、凛は知る由もない。
* * *
「ハル…」
「なんだ?」
「その…」
「なんで凛を助けたのか知りたい?」
遙が凛のこころを予想してやれば、素直に凛は"そうだよ"と返した。
「すきだから」
「な、なにいってんだよハル…っ」
「それじゃ理由にはならないか?」
(続きは本で)
(読まなくてもなんら問題のない捕捉はコチラ)
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