小説 | ナノ



見習い天使の真琴くん

※真琴が天使


 人間が知らない空のはるか彼方には天界というものが存在しておりました。天界では天使たちが雲の上で仲良く生活を営んでいます。
 ある日のこと、見習い天使の真琴くんは、お母さん天使につれられて"天界の大穴"へとやってきました。"天界の大穴"は雲にぽっかりとあいた大きな穴のことで、そこからは地球を見下ろすことができるのです。
 お母さんは言いました。
"あなたが立派な天使になるためには、しなくてはならないことがあります"と。
 真琴は、何をすればいいのかをきき返します。
"それはね、ひとりの人間の恋を成就させることよ"
 お母さんの言葉をきいて真琴は頷き、
"頑張って一人前の天使になる"
 そう、力強く宣言しました。


 * * *


「ふぁー、ねむ」

 申し訳程度に手をそえて豪快に欠伸した凛の隣で、真琴は苦笑を浮かべる。

「昨日夜更かししたんでしょ」

「…まぁな」

 通学路をこうして一緒に歩いていると、凛は時々忘れそうになるのだ。隣にいるこの男は、人間ではないのだと。


 凛と真琴との出逢いは五年近く前のことだった。
 その日の凛は、珍しく頭をかかえてもんもんと悩んでいた。自身の幼なじみの遙なのことを。
 遙と目があったり、身体が触れたりすると、心臓の鼓動が早くなって、顔に熱が集まる。それが遙にだけおこるのが凛には不思議で仕方がなかった。

「あいつにだけ、なんかこう…どきどきするのはどうして…?」

「それはね、君が恋してるからだよ」

「はあっ!!こ、こここ恋?なに言ってんだよお前…って……お前、誰だっ?」

 自分の部屋にいつの間にかいた知らないひとを、凛は指差して大声をあげる。まだ小学生である凛にとって、家族の留守に出現した不法侵入者はかなりの恐怖を覚えるものだった。たとえ相手の外見が、自分と同じ年齢くらいに見受けられる少年であっても。

「ごめんね、驚かせるつもりはなかったんだ。俺は見習い天使の真琴。君の恋を叶えにきました」

 言われたことの理解に苦しむ凛に真琴が語ったのは、あまりにも現実味に欠けた内容だった。
 一人前の天使になるためには人間の恋を叶える必要があり、だから真琴は凛と遙がくっつくように応援するというのだ。

「別の人間のを叶えればいいだろ」

「君じゃないとだめなんだ。見習い天使は、恋を叶える相手を一度決めたら変えられないからね。俺は君を選んだんだ」

 信じてすらいない神さまを呪ってやると誓った凛は、真琴を精一杯睨み付けた。


 真琴はあの言葉の通り、ずっと凛と遙をくっつけようと日夜頑張っている。

「ほら、凛。あそこにいるのハルじゃない?話しかけておいでよ」

 少し先の歩道で信号待ちをしている遙を見つけて、真琴が耳打ちをした。それを受けた凛は二回目の欠伸をこらえて、遙の姿を確認する。

「話すことなんざなにもねぇよ」

「おはようって挨拶すればいいと思うけどなあ」

「必要ない」

「そんなんじゃいつまでたっても友達のままだよ」

 いつもより眉を下げてしょげている真琴に、"ハルとは友達でいい"と返しそうになったのを、凛は慌てておさえた。
 確かに凛は遙がすきだった。でも、それは過去の話で今は違う。
 凛は真琴をすきになった。


 * * *


 天使たる真琴に人間が触れることはかなわないけれど、それでも確かに彼は存在している。凛以外のひとには、みることができないし、声もきこえないが。
 凛だけが真琴をしっているのは、彼が凛を選んだからに他ならない。真琴は凛の恋を成就させるために人間界にいる。

「…最近、さ」

「なに?」

「お前、薄くなってきてねぇか?」

 真琴は話をするとき、必ず凛の方を向いて、目をみる。
 それは必ずだったから、だからこそ、凛は驚愕と言えるくらいに驚いた。
 真琴は目を合わせなかった。

「凛の気のせいじゃない?」

「嘘だ。一ヶ月前くらいから、だんだんと薄くなってんだよ」

「…なにかの間違いで……」

「違う。嘘つくなよ。どうして…」

 凛の隣で同じようにあぐらをかいて座っていた真琴が、立ち上がって背をむける。

「俺ね、今日でお別れなんだ」

 ちょっとの物音にでも消されてしまいそうな彼の声は、二人だけの静まりかえった部屋に重く響く。
 凛はそれをどこかでわかっていた。彼の身体が薄れていった一ヶ月前から。いや、もしかしたら出逢ったその時から。違う種族である真琴と、長い間共にすごすことができないと。
 すとんと胸に落ちた言葉を理解はできるが、受け入れるのは不可能で、何も返せはしない。

「俺みたいな見習い天使は、天界の王さまが決めたタイミングで人間界にいくんだ。人間界で、五年以内に自分の選んだ人間の恋を叶えられなかったら、天界には帰れない。帰れずに消えるしかないんだよ。天界の住人が人間界で生きられる時間が五年だから。…今日で凛と出逢ってちょうど五年」

「それは、死ぬってことか」

「人間で言うところの死だね」

 自分の死について話しているとは思えない軽さで言う真琴が、凛には信じられなかった。
 真琴を、すきなひとを失いたくないと歯をくいしばる凛に対して、彼は冷静すぎる。

「消えたくないって思わないのかよ」

「思ったって、なにも変わらないから」

 全てをあきらめたような、そんな笑顔だった。
 真琴は本当は生きたいんだ。死ぬほど生きたい。そう強く思えば思うほど虚無感に襲われて。だから、もう、自身のこころすら騙して、受け入れたふりをする。

「…俺がハルと付き合えばお前は消えないんだな?」

「う、うん」

 凛は無意識に尋ねていて、真琴のこたえをきいた途端に家を飛び出していく。
 半透明の真琴は、それを呆然と見送った。
 ついて行きたくとも、彼にその力は残されていないのだ。


 * * *


「ハル、お前がすきだから付き合え」

 後から考えれば存外雑な告白で、ムードもなにもあったものでいが、凛にはすばらしい愛の言葉を囁く余裕などなかった。
 とにかく時間がない。

「いきなりだな」

 遙は凛に短くそれだけを返した。
 凛はこれまでになく焦っていて、とにかくこたえがほしい。
 早くしないと真琴がいなくなる。
 促すように、自分の持ち得る限りの眼力をこめて遙を見つめると、彼は微笑をうかべた。

「俺は凛がすきだ」

「じゃあ、付き合っ…」

「すきだけど、俺をすきじゃない相手と付き合う趣味はない」

 ここでやっと凛は冷静になれた。
 そうだ、そうなのだ。真琴をすきなまま遙と付き合って、それで真琴が助かって、それからどうする。遙には迷惑な話で、凛も幸せにはなれない。

「…悪かった」

「謝らなくていい。いいから早くいけ」

「ハル…?」

「さっきの言葉を本当に伝えたいのは誰だ?」

 真琴。声に出すことなく凛は叫んだ。
 もう少し、消えないで待っていろ。

 踵を返し、ふりかえらずに駆けていく凛の後ろ姿が見えなくなるまで、遙は見守っていた。

「さよなら、すきなひと」

 前に凛が自分をすきだったと、遙は実はしっていた。遙にとって、凛はまっすぐでわかりやすい。
 他の誰かに恋した凛もまた、わかりやすかった。そうなる前に告白でもしとけばよかったかと後悔する。遙は凛を一目みたときからずっとすきだったから。

「幸せになれよ」

 それでも今は、それだけを願う。
 思ったより優しい声が喉を通り、遙は自分で驚いて、そして少しだけ声をあげてふふと笑った。


 * * *


「はあっ…はぁはぁ、はぁ…」

「凛!…大丈夫?こんなに息があがって…」

「大丈夫だ」

 凛が家に着いた時、すでに真琴には脚がなかった。下半身から徐々に消えていくらしく、本当に時間がないことを思い知らされる。

「わりぃ…。俺、ふられちまった」

「ハルに告白したの?」

「あぁ」

「ごめんね」

「なんでごめんなんだよ」

「だって凛、俺が消えないようにするために、勇気だして告白してきてくれたんでしょ」

 真琴の曇りのない瞳にいぬかれた凛は、否定の言葉を口にだせない。実際その通りなのだ、一部を除いて。
 真琴は無言を肯定ととり、続けた。

「ありがとう」

「俺の恋は叶わなかったんだ…。礼なんか言うな」

「ううん。俺最初に、凛の恋を応援するって言ったけど、できてなかった。だから、消えるのも自業自得だよ」

「まこ、と?」

 肩から上しかなくなってしまった真琴が、そんな状況を感じさせずに笑う。きれいな笑顔だ。

「俺ね、凛がすき」

 凛がなにか返すより先に、彼は真琴とは認識できない粒子のような光の粒に変わっている。

「くそっ…俺だって真琴がすきだ」


 * * *


 ゆさゆさと頭を揺さぶられて目を開けると、真琴が少しだけ怒ったような顔をして凛を見下ろしていた。

「はよ…。何時?」

「もう八時だよ。遅刻しちゃう。転校初日からそんなのやだから急いでね」

「わかったよ」

 凛をおいていくなんて考えつかない真琴が、おかしくて嬉しかった。


 真琴がいるのがゆめみたいだった。

 真琴は一度消えた。確実に。そして次の日ひょっこり戻ってきた。なんと人間になって。
 お化けかと疑う凛に、真っ赤になりながら真琴が説明したのは、ゆめ物語かのようだった。"人間と両想いになった天使は人間になれるんだって。俺、凛とその…両想い、だから…"
 真琴にキスをして抱きしめて、凛は涙した。触れられるという喜びは、大きいものだったから。真琴の心臓はどくどく動いていて、身体はあたたかい。

 人間になった真琴は凛の家に居候(今までと似たようなもの)をはじめて、今日からは学校にも通う。もちろん凛と同じ学校で同じクラスだ。


「りーん。早くー」

「今行くー」

 玄関で靴紐を結びながら真琴を盗みみると、不意に彼がにこりと笑った。

「んだよ…」

「すきだなあと思っただけだよ」

「…俺も」

「きこえなーい」

「すきだばか」

 凛がスポーツバッグを持って駆け出すと、真琴が後ろから追いかける。
 おひさまが二人の走る道を明るく照らしていた。


(読まなくてもなんら問題のない捕捉はコチラ)