Every Jack has his Gill.


※R18表現があります。




これの続き。

 静雄は屋上のベンチに寝そべって、頭上の空を見上げていた。真っ青で澄んだ秋の空は、白い雲ひとつない。航空機は勿論、鳥さえも飛ばぬ高い空。絵の具で塗り潰したみたいな、ただ一色の空だ。
 どこからか風に乗って甘い香りがする。学校の中庭に金木犀の木があったから、そこから漂って来るのかも知れない。あと数日もすればあのオレンジの花も散り、この甘い匂いもなくなってしまうのだろう。そう思えばほんの少し寂しさを覚えた。
 甘い匂いに誘われるように、静雄はいつしかウトウトと微睡み始める。時折冷たい秋の風がそよぎ、寝転んだ静雄の髪を優しく撫でてゆく。その度にぶるりと寒さで体を震わせるものの、襲ってくる眠気には勝てそうもなかった。このままここで深寝をすれば、風邪を引いてしまうかも知れない。
 ──そのとき、急にポケットに入れていた携帯電話が着信で震えた。それに驚いて、ビクッと大袈裟なくらい肩が跳ねる。静かな眠りを妨げられ、心臓がバクバクと鼓動を打ち始めた。
 静雄はわざとのろのろと体を起こすと、緊張した面持ちでポケットから電話を取り出す。二つ折りのそれを恐る恐る開くと、画面には予想通りの名前が表示されていた。静雄がこの世で一番意識している男の名だ。
 静雄が持つこの携帯電話は、自分で買ったものではなかった。親が買ってくれたものでもなく、もちろん盗んだわけでも、何かの懸賞に当たったわけでもない。この画面に表示された名前の男が、無理矢理に静雄に押し付けて行ったものだ。
 電話はまだしつこく震え続けている。このまま着信に気付かぬ振りをし、電話に出ないでいようかと考えた。が、あの男にそんな誤魔化しは通用しないだろう。こちらの躊躇いや恐れなど、きっと何もかもお見通しなのだ。
 静雄は小さく舌打ちをすると、やがて諦めたように通話のボタンを押した。

「…もしもし?」
『──…、』

 慣れ親しんだ甘いテノールが耳に届く。その声には少しの苛立ちと嘲笑が含まれ、直ぐに電話に応えなかった静雄をやんわりと糾弾する。
 相変わらず傲慢な奴だ──。
 静雄は心の中だけで盛大に溜め息を吐きながらも、男の命令に首肯するしかなかった。




 ──今から図書室へおいで。


 静雄はウンザリとした気持ちを抱えたまま、静かな廊下をのろのろと歩く。踏み締めるリノリウムの床は、射し込む太陽の光が反射して眩しい。
 時折念仏のように聞こえて来るのは、授業中の教師の声だ。こんな時間に堂々と廊下を歩く静雄を、教師は誰も咎めたりしない。この学校で静雄や臨也に面と向かって注意出来る教師など、殆ど居ないのだから。
 階段を下り、廊下を真っ直ぐに進むと、目的の場所が見えて来る。この学校の図書室は蔵書が多く、中も広くて意外に綺麗な施設だ。昼休みと放課後しか生徒に開放されておらず、普段は勿論施錠されている。
 ──ま、あいつには鍵なんてあってもなくても同じか。
 ピッキングか、はたまたここの鍵を所持でもしているのか。校内であの男が入れぬ所など、一つもないだろう。一歩間違えれば犯罪──いや、もう充分犯罪だ。
 静雄は小さく息を吐くと、図書室の扉をゆっくりと開けた。扉はやはり鍵は掛かっておらず、中から暖かい空気が廊下に流れ込んで来る。
「…臨也?」
 室内に入ると、静雄は後ろ手に扉を閉めた。中は窓から入り込む光のせいで明るく、屋上で見たのと同じ青空が広がっている。
 静雄は少し躊躇し、結局は扉に鍵を掛けた。こんな授業中に誰か入って来ることは無いとは思うが、念の為に。
 図書室は当たり前だが、人気が無くガランとしている。閲覧の為に設けられた机には誰も居らず、静雄をここに呼び出した男の姿も見えない。
「臨也?」
 もう一度男の名を呼びながら、静雄は書棚の方へと歩いてゆく。紙の匂いか、インクの香りか、図書室には書物独特の匂いがした。静雄はこの匂いが嫌いではない。
 わざと足音を立てながら奥に進むと、探していた相手は書棚に背を預けて本を読んでいた。こちらに気付いているだろうに、手にした本から顔を上げもしない。シンと静まり返った室内に、ページを捲る音だけが響く。
「おい、」
 無視され続けるのも癪で、つい尖った声が出る。苛々の中に隠されているのは、ほんの僅かな怯えだった。
「さっきから呼んでるだろうが。」
 地を這うような静雄の声に、やっと臨也は顔を上げた。読んでいた本をゆっくりと閉じ、やけに冷めた赤い双眸が静雄を捉える。本のタイトルは『フロイトとユング』。静雄でも聞いたことのある、心理学者の名前だ。
「遅かったね。」
 臨也は静雄の姿を視界に捉えると、眩しい物でも見るように目を細めた。そこにはいつものシニカルな笑みも、揶揄するような雰囲気も無い。こんな無表情で見られると、静雄の心臓はいつも凍てつく気がする。
「…屋上からここまで、何分掛かると思ってんだよ。」
「さあ?…五分くらいかな?」
 素っ気なく答えると、臨也は本を書棚に仕舞い込む。細く白い指が緋色の背表紙を撫でるのを、静雄は瞬きもせず見ていた。
 元から静かだった図書室は、臨也が本を読むのをやめれば更に静寂に包まれる。授業中のざわめきも、外の風の音も、この部屋には全く聞こえない。二人の間には重い沈黙が落ち、静雄は無意識に臨也から目を逸らした。
 憎まれ口も利かず、喧嘩もしない自分たちを、きっと周りは誰も知らないのだろう。二人はいつも顔を見合わせれば喧嘩をしていたし、喧嘩以外のことをしている姿を誰にも見られたことがない。新羅なら何か気付いているかも知れないが、あれはそれに口に出す男ではなかった。
「…で?、何の用だよ。」
 二人の距離はほんの二メートルほど。問う静雄の声は低過ぎて、ひょっとしたら臨也には聞こえなかったかも知れない。しかし臨也は口端を吊り上げると、静雄の方へと近付いて来た。
「用が無ければ呼んじゃいけない?」
「…そんなことは、」
「何をされるか分かっていて、ここに来たんだろう?」
 リノリウムの床を滑る上履きが目の前で止まり、臨也の手が緩やかにこちらへ伸ばされる。その冷たい手で手首を掴まれただけで、静雄の肩はびくりと跳ねた。
「おいで。」
 力の入らぬ手を引かれ、そのまま体を抱き寄せられて、細い腕の檻に閉じこめられる。首筋に臨也の吐息が触れ、強張っていた静雄の体が小さく震えた。
 臨也の声も、手も、眼差しも、全てが静雄を動けなくする。力ならば自分の方が上だし、抵抗をすれば直ぐに逃れられる筈なのに、今の静雄の体は指一本さえ動かない。
 優しく髪を撫でられ、顔を上向かされる。薄く乾いた唇が重なるのに、静雄は目を閉じるしか出来なかった。




「…んっ、」
 くちゅくちゅと濡れた音が辺りに響く。声を抑えようと思うのに、嬌声はひっきりなしに静雄の口から漏れてしまう。
「や…、あ、ふっ、」
 背中から臨也に抱き締められて、二人で書棚の前に座り込んでいた。後ろから伸びた臨也の手は、悪戯に静雄の性器を弄ぶ。
 先端から零れる透明な液を、臨也の親指が柔らかく撫でた。血管が浮き出た浅黒いそれを残りの指で包み込み、静雄を追い詰める為にひたすらに擦り上げる。
「ん…っ、」
「気持ちいい?、シズちゃん。」
 耳朶を柔らかく甘噛みされ、欲を孕んだテノールが囁く。それに答える間もなく、熱く肉厚な舌が耳穴に差し込まれ、濡れた音が鼓膜を直接犯して来る。その間も性器を弄る手は止まらない。
 ──気持ちいい。
 そう素直に答えるのは、静雄のなけなしの矜持が許さなかった。けれど腰は揺れているし、掴まれた性器は透明な我慢汁でもうベトベトだ。言葉になんかしなくても、臨也にはとっくに見透かされているだろう。

「──ねえ、シズちゃん。」

 臨也の声色が突然変わる。
 その瞬間に室内の温度が急激に下がったような気がして、静雄は瞑っていた瞼をゆっくりと開いた。
「今朝、ドタチンと何か話してたよね?」
「…、え?」
 ドタチン──って誰だ。
 静雄の思考が一瞬止まる。目を何度か瞬かせ、漸く臨也の言葉を頭で理解する。
「…隣の…っ、クラス…の…?…んっ、」
 そういえば朝に昇降口で会った気がする。ドタチンなんて呼ぶのは臨也ぐらいだから、誰のことを言っているのか直ぐには分からなかった。
「何の話をしてたの?」
「…っ…、」
 静雄の性器を扱く手が、いつの間にか動きを止めている。もう少しで達しそうだったのに──静雄はもどかしさに腰を揺らした。
「なに、って…、挨拶された…だけだ…、」
「ほんと?」
 臨也の指がゆっくりと下肢を降り、静雄の臀部を撫で上げる。女と違って丸みはないが、その肌は柔らかく滑らかだ。
「っ、…嘘…付いて、どうすんだ…っよ、」
 双丘の奥に指先が触れれば、静雄の体がまた大きく震える。臨也の長い指が敏感な入り口をなぞり、柔らかな二つの玉を揉みしだく。
「ならいい。」
 臨也は酷く無機質な声でそう言うと、突然静雄から手を離した。
 耳を擽る熱い吐息も、後ろから体を包んでいた熱も消えて、静雄は驚きで目を見開く。
「続きはまた放課後に。隣のクラスで待ってる。」
「え──、」
 臨也はさっさと立ち上がると、僅かに乱れた制服を直した。静雄を見下ろすその目には冷たさが滲んでおり、今しがたの情欲の波は既にない。
「もう直ぐ授業が終わるよ。今日は委員会があるから、ここに人が来るんだ。」
「っ、なら──、」
 こんな場所で手を出すなよ──思わずそんなことを口にしそうになり、静雄は慌てて口を噤んだ。それはまるで続きを待ち望んでいるかのようで、羞恥心と矜持がその言葉を押し留める。
「…死ね。」
「ごめんね?」
 小さく悪態を吐けば、ちっとも悪びれない声が降ってくる。静雄はそれに舌打ちをしながら、熱を持て余した体で無理矢理立ち上がった。
 目は潤み、頬は紅潮して、静雄の下腹部は未だにその存在を主張している。この分では生徒が帰宅する放課後まで、どこかに身を隠していなければならないだろう。
 微かに震える手で衣服を正し、乱れた髪型を整える頃、授業の終わりを告げるチャイムが室内に鳴り響いた。
 それを合図に臨也は踵を返すと、さっさと図書室から出て行く。後ろの静雄には一瞥もくれることなく、まるで何事もなかったかのように。
 閉ざされた扉、騒がしくなる校舎──。後に残された静雄は深い溜息を吐き、じくじくと疼く体に堪えなければならなかった。体の熱とは裏腹に、心はズキンと僅かな痛みを訴えている。
 ──なんなんだよ。
 気紛れに呼び出して、気紛れに手を出して。臨也の考えていることは何ひとつ静雄には分からなかった。
 きっと頭がどこかおかしくなっているのだ。自分を抱く臨也も、それを受け止める自分も。
 ポケットの中にある携帯電話。それをずっと捨てずに持っている自分が不可解だ。今、こうして胸が痛む理由も、静雄は自分で良く分かっていない。
 静雄はこれ以上は何も考えないことにし、窓際の方へ歩み寄った。綺麗に磨かれた窓を開ければ、途端に冷たい秋風が入り込んで来る。それは室内の淫靡な空気を消してくれる気がして、無意識にホッと息を吐いた。
 窓から入り込む風に乗って、どこからか金木犀の甘い香りがする。青い空とそこに浮かぶ白い雲を仰ぎ見て、この場所からちょうど屋上が見えることに気付いた。
 さすがにベンチに寝転んでいたら姿は見えないだろうが、フェンス付近にいたら見えていただろう。臨也はひょっとして、ここから自分を見ていたのだろうか。案外さっきの呼び出しは、寒空の下で昼寝をする静雄を起こすのが目的だったのかも知れない。
 ──まさかな。
 偶然だ、こんなのは。あの臨也が、自分を気遣ったかも知れないなどと。
 静雄は僅かに首を振り、開けた窓はそのままに図書室を出る。色々と考え込んでいたせいで、体の熱は大分治まっていた。

 その時の静雄には、臨也の言葉を深く考えるだけの余裕がなかった。放課後までの時間を悶々と過ごし、待ち合わせの場所へと出向いても、その言葉の意味を考えることはしなかった。

 隣のクラスで──。

 何故臨也が隣のクラスで会おうと言ったのか、幸いなことに静雄は知らないままでいた。



(2013/01/24)
せるさんリクエスト
図書室で本読んでる臨也か、屋上で昼寝してる静雄(+教室でのエロ)


本読んでるシーン短いし、静雄は昼寝する手前だったし、エロも生温い上に教室ではなく図書室ですいませんでした…。
×