見えないもの(上)

―――最近は降谷くんの帰りがめっきり遅くなった。
 職業柄、仕方のないことだと理解はしているつもりだが一つだけ納得のいかないことがある。
 彼は帰宅するといつだってシャワーを済ませてから食卓につくのだ。そうして慧が作った晩ご飯に箸をつける。
 高校は違うが、小学生の頃からの仲である二人にとって余計な言葉などいらない。彼の視線が何かに動けば慧が動き、慧が思えば彼が動く。
 そんな関係を続けて早2年が経とうとしていた。

「ただいま」
「あ、おかえりなさい」
 もはや体が慣れたせいか降谷の背後に回りジャケットを受け取る。

「今日はお風呂だよ」
「え?」
「あ、シャワーで良かった?」
「ああ、いや・・・・・・よく分かったな」
 今日は風呂の気分だった、とこぼした彼の童顔ともとれる横顔に笑みがこぼれる。
 昨晩、リビングでうなじや首まわりを気にしていた様子を見てとれた。
「うん、なんとなく」
 思わず、ふふっと声にして笑ってしまった。
 彼の肩に手を沿え、こちらを向いてもらう。そのままネクタイを緩め抜いた。

「今日は?」
「カレーだよ」
「何から何までお見通しなんだな」
 昨晩のテレビでインドの調味料のCMのとき彼はそれまで下げていた視線をあげた。
 それだけで充分なのだ。
「うん、なんとなく」
「まいったな」
 彼はそのままバスルームへと向かった。

 さて、ここまでで慧の不安は既に最高潮に達していた。
 果たして恋人でもない自分がここまでプライベートに踏み込んでいいものなのか。

 そう、降谷零と藤ヶ谷慧は恋人同士ではない。

 お鍋のなかのカレーをかき混ぜると食欲をそそられる香りが広がる。
 慧のなかに確かにある不安が胸を締め付けた。




 いつ話を切り出すべきか、スプーンですくったカレーを口にはこび目の前に座る端正な顔立ちを見た。

 慧の作るカレーが好きなんだよな、と呟いた彼に笑みがこぼれた。前にもカレーが食べたいと言った、その晩に作ると子供のように目を輝かせながら美味しいと何度も言ってくれたことがあった。

「スパイスは前の男がくれたものだったよな」
「その言い方…前の彼がね」
 だいぶ前、もう一年は経っているだろう頃に何気なく話しただけであるのに。こうして覚えているような器用な彼の口から女性の話がでてこないのは本当に不思議なことだ。

「最近は何もないのか」
「うん、おかげさまで平穏無事に過ごしてる」
 自分ではしっかり相手を見極めているつもりでいたが、どうも見る目がないみたいで男運の悪さは並大抵のそれじゃなかった。
 そんななか学生時代の友人、しかも聞けばそういった見る目をつかう仕事だという人間に会い正にプロ、出会い頭に問い詰められた。
 問い詰められたといっても、とても優しいものでそれまで我慢していたものがあふれ出るのは一瞬だった。

 そこからこの奇妙な、仕事から帰る彼を食事を作り待つ生活は始まったのだ。
 その出会った頃に不摂生を繰り返したような風貌をしていたといのも原因の一つではあるけれど。

「慧の言う平穏無事はなかなか信じられないな」
「ええ?そこは信じてほしいなあ……」

 いつまでも彼の好意に甘えることはよろしくない、仮にも男女であるのだから。

「だからね、そろそろこういうのをやめられそうなの。感謝してる」
「こういうの?」

 彼の手がとまり、いやに目力のある眼差しが慧をとらえた。

「降谷くんもそろそろ恋人ができる頃でしょう?こういう食事を作ったり、お部屋にお邪魔してたりするの」

 やめようかなと思って。続けた言葉は静かな部屋にポツリとおちた。




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