はじまり


 昨日の出来事から17時間が過ぎようとしていた。
「審神者さま」
 隆宗と瓜二つの男、青紫に身を包んだ男。

ーーー言葉だけでは表現ができないほどの憎悪が、目の奥に揺らめいていた男。

「…………」

 初めてだった。
 第三者に向けられたものではなく、まるですべてを自己完結させるように、諦めることが当たり前と体現するかのように滑るよう近寄るあの姿。
 まるで日本特有の呪われた一松人形かのような不気味さを纏い静かに近寄るあの姿。

「審神者さま」

 昨晩だって眠るとき、アレは確かにいたのだ。障子の向こう、黒い影となって那智の前に現れたのだ。
 恐怖のあまり目を閉じて、気が付けば、日はとうに昇っていた頃だった。

「審神者さま!」
「……っこん、のすけ」
「寝ぼけていたのですか?もう朝ですよ?」
「ああ……いえ、いま起きる…」

 怪訝そうな顔、よもや狐の表情筋から感情を読みとる日が来ようとは。ともあれ、怪訝そうな顔を浮かべ小首を傾げたこんのすけを横目に、那智は枕元に置いてあった洋服に袖を通した。

「あれ、この洋服…?」
「そちらは審神者様が現代でよく着ておられたものを運んできました。他にもいくつか、あちらのタンスのなかにしまっております」

 現代の方は洋服を主に過ごしている為、和服の着付けができない方が多いのです、寂しいものですな。とこんのすけは続けた。本当、その小さく愛くるしい見た目とは裏腹に言葉の端々に貫禄をみせる、こんのすけは謎が多い。

「審神者さま、お着替えが終わりましたら、こんのすけにお声かけてください」
「どこか行くの?」
「部屋の外で待機しております」

 律儀にもそう言って、こんのすけは障子の向こうにその小さな体を落ち着かせた。

 思わず、昨晩の出来事を思い出す。

 障子の向こうの、黒い影。月明かりと私だけが見た黒い影の正体。なにも言わず、音もたてずに黒い影はただこちらを見つめるだけだった。

「………っ」

 鳥肌がたつ。肌寒いからだろうか、急いでインナーを着替えタイトなつくりのトップスに袖を通す。
 顔のうえの布も忘れず。

「こんのすけ、着替え終わったよ」

 障子をあければ、そこには小さな狐。

「はい!それでは参りましょう!」

 小さな足で木の床のうえを進むこんのすけの後をついていく。

 さて、今日はなにをしなければならないのか。朝焼けに照らされた庭を見た那智はひとり考えた。


  
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