True
メディア関係のスケジュールの調整。オールマイトさんを求める電話やメールへの対応。
オールマイトさんの秘書というものは、つまるところマスコミや公僕、世間と本人のあいだに立つ仲介役を担うようなものだ。いやまあ秘書ってそういう仕事だ、たしかに。
オールマイトさん自身がその身で、日々人助けのためにぶんぶんと跳び回っている。だからといって、私も四六時中彼と一緒にいるようなものではない。その点は、いくらか気が楽だった。
それでも事務所の先輩方よりはよほど雇い主とは頻繁に顔を合わせているし、出張がないわけでもない。しかしそれは、警察事務の募集要項に『異動・出張あり』の表記があったのだから非難すべき事案でもない。承知で私は応募したのだ。
元来人見知りのきらいがあるのもので、最初こそ慣れない電話対応には胃痛を覚えた。それも一ヶ月、大学を卒業してさらに三ヶ月と繰り返していけば慣れがまさる。
据わってはいなかった肝も、経験値を経ればレベルアップし悟りはするものだ。
諦めならば任せろ。こちとら伊達に無個性人生を歩んではいない。事務所の先輩方や塚内さんたちからのフォローもあったしね。天下のヒーローが相手ということもあってか、連絡先の人たちはおおよそ言葉が丁寧でとてもやりやすかったのもある。
「本当にすまない」と説明会で頭を下げていたように、オールマイトさんは警察事務を隠れ蓑にしたことで私への後ろめたさを持っているらしい。上司と言う立場でありながら、彼は私に基本的に頭が低かった。ぺこぺことまではいかずとも控えめだった。仕事を任せているにもかかわらず、それを強いることはけしてないのだ。
あとになって思えば、その姿勢にはあの人が抱えていた秘密も起因していたのだろう。
気が滅入らない程度に忙殺されて日々を過ごす。気づけば私がオールマイトさんの個人秘書という職を得て、時は一年が経過していた。
「この仕事にも、そろそろ慣れたかな」
オールマイトさんと一番気が置けない警察である塚内さんとは、よく話をするようになっていた。
この日は私も、先日オールマイトさんが捕まえたヴィランに関する用事があったので警察を訪ねたのだ。ばったりと出くわした塚内さんとのんびり言葉を交わし、昼食を一緒にすることになった。
適当な席について、ランチを注文する。セルフサービスの水を汲んで一息ついたところで、冒頭のセリフを塚内さんが口にした。
ああそういえば、もうそんなに経つのか。一年前のことをぼんやりと思い出す。
「……最初の頃よりは、不安や緊張は減ったと思います」
「それはよかった」
無難な本心を告げると、塚内さんは小さくやわらかに笑った。
うん。慌てることも随分減った。通話での滑舌も、よくなったと思う。ついでに言えば、人見知りの上から分厚い接客顔を被ることもできるようになった。
「そのうち、辞めてしまうんじゃあないかと思っていたんだ。楽な仕事ではないだろ?」
それはまぁ、否定はしない。やりがいだけで生きていけるほど、私はワーカーホリックで、もない。どちらかといえば、空から非課税の三兆円降ってこないかな、もしくは石油王と結婚したいなと日々願っている人間である。ニートになりたい。
でも、
「辞めようって気は、いまのところ起きないです。嫌なことがあっても、行動に移して辞めたいと思うほどではないので」
休みもあるし、給与も福利厚生もしっかりしている。私が仲介している向こう側にオールマイトさんというビッグスターがいる、というプレッシャーを除けば大したことはないのだ。このプレッシャーについては、上手い具合に見ぬふりをすることを覚えた。仕事なのだから、どうとでもなる。
「そうかい」と塚内さんの口元がまた弧を描いた。
「なら、そろそろ彼から話があるかもしれないな」
「話、ですか?」
「ああ。そのうちきっと、本人から言って来るだろ」
ランチが運ばれてきた。私が注文したのはカルボナーラだ。
話はそこで区切られ、私たちは昼食を食べるべく両手を合わせた。
塚内さんの予言みたいな一言が、的を射ていたことに感心した。話があるんだが、とやけにかしこまってオールマイトさんに呼び出されたのだ。
場所はとあるビルの屋上である。人目が付かないところを、というのは分かる。跳んで来る気とみた。
指定された待ち合わせ場所に、時間通り私は到着した。時間帯は夜ということもあり、空には星が……ないんだなこれが。都会は明るいから星が見えないんだ。星空を諦め、素直にフェンス越しに夜景を眺める。
「私が」
背後から声がした。やや上だ。
「コソッと来た」
その声の通り、静かな着地でオールマイトさんが現れた。コスチュームではない。私服である。
「待った?」
デートの待ち合わせに急ぐカノジョですか? この一年で把握したことだが、この人はたまにこういうところがある。エンターテインメント力に長けている。さすがだ。
「いえ、そんなに」と言うと「ならよかった」と彼は頷く。
「呼びだしてしまってすまないね」
「お、お気遣いなく」
「ありがとう。ではさっそく話をしよう」
テンポが速い。助かる。
「まずはこの一年間、よく働いてくれた。ありがとう。おかげで本当に助かっている」
「い、え。仕事、ですし」
面と向かって言われると、なかなか照れるものだ。
「塚内くんから聞いたよ。君はこれからも、うちの秘書でいてくれるそうだね」
……いまのところは。
「なら、私も。きちんと話をしておかねばならないと思ったのさ」
雲行きが、怪しくなってきた。
そう訝しんだ瞬間、オールマイトさんから湯気のようなものが立ち上った。……えっ!?
目を見張る。
都会の夜空の下。平和の象徴が、まるで別人みたいに変貌を遂げていく。たくましかった四肢が縮む。カルシウムの凹凸が、浮き彫りになったような姿になっていく。叩けば折れてしまう枯れ木染みた全身で、唯一双眸だけが異様に蒼く光っている。
ひときわ強い風が吹いた。
私は、捲られたベールにまともな反応を返すことができないでいる。
「驚かせてしまっているのは重々承知だが、しかし」
知った声が、耳朶を震わせる。静かでありながら力強く、地面に立っている声音だった。
「これが、私なんだ」
見間違えてはいない。たしかにそこにいる、人々にとって唯一無二でかけがえのない一人の英雄。
とんでもない職場に、と一年前の私は思っていたはずだった。そのとんでもない、はどうやら序章に過ぎなかったのだ。
石になってしまったのかと思うほどに痺れた思考で、私はなんとかそれだけを理解の域に及ばせていた。
20170622
←/
→/
表紙に戻る
top