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「#寸止め」のBL小説を読む
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どこから見られていたのか

 そのあとは後片付けでまたいろいろあった。浅井さんにも手伝ってもらって一通りをなんとかして、私たちはようやく小田原に帰ることができた。あ、大阪にも連絡はした。ほんとうに、お世話になったから。
 信長公は、半年以上の催眠術を受けて憔悴していたものの大事なく、数日も経てば私もよく知る魔王となっていた。なんだその回復力。怖い。驚異的な治癒力におののきながらもほっとしたことは本当だ。
 第六天魔王。日ノ本を脅かすおおいなる闇には、その強大さに合う勇者が対峙するのがふさわしい。いつか彼を討つ者があるとするならば、それはそういった勇猛なもののふが成すことなのだ。
 織田の重鎮は事態が一段落すると、帰路につこうとする私にひとつの質問を投げ掛けてきた。それは尾張をさんざんに引っ掻き回してくれた不埒ものの行方を気にするものだった。彼らはあいつに報復をしたいのだ。魔王のものを踏みにじった者を蹂躙し、相応の罰を与えたいのだ。
 知りません。私は答えた。怪訝な顔をする人たちに続けた。知りません。あとはそちらで、好きにしてください。
 あれからあいつがどうなったのかなんて興味はないし、もう二度と関わりたくもない。
 世間に知られぬまま展開されていた傍迷惑な茶番劇は、そうしてひっそりと幕を閉じた。










 昨日はひどい土砂降りだったが、そろそろ梅雨も明けるだろう。微妙な蒸し暑さを誤魔化すために手のひらで顔を仰ぐが、あまり効果はない。額はじわりと汗ばんでいる。帰ったら風呂だな。
 ぬかるんだ地面を転ばないように気にしつつ踏み、私は森の中を歩いていた。小田原の魔獣保護区間を見回っている。二手に別れている。私はトレミーとヒナと一緒で、残りの面子はジラーチと一緒だ。敷地内の歩道をぐるりと回って、最終的には森の入り口で待ち合わせている。
 何かあればここに住む魔獣たちから接触してきてくれるようになったのは、ラクでいい。中にはガールフレンドやらを紹介してくれた顔見知りもいた。いきなりアオハルをお裾分けされて胸がいっぱいで苦しい。これが……不意打ち……! 幸せになるんやで……!!
 奥に進み、地面に力強く張っている木の根の上を行こうとした。苔の上ですべって転びそうになるが、手頃な枝にしがみついて踏みとどまる。軽快な音が聴こえて振り返ると、私を支えようと出てきてくれたらしいバシャーモのヒナと、ミロカロスのトレミーが立っていた。ヒナに至っては行き場を失った手をさ迷わせている。い、イケメン……! ごめんね空気が読めないトレーナーで……!
 そろ、と木の根から降りるときにはヒナの肩を借りることにした。服が汚れるのはイヤだ。泥って落ちにくいし。この世界は洗剤もないねんぞ。ひと息ついて、顔を上げる。

「…………」

 ここ、この木、前にあの人と見に来たところか。セレビィと会ったっていうから来てみて、そのあと慶次と遭遇したんだっけ。
 懐かしい気持ちになった。あのときの私は、のんきだった。いや、それなりに荒んではいたんだ。私はこの世界に来てすごく荒んだ。自覚はある。言葉遣いも悪くなったし、思考もだいぶ攻撃的になった。昔の私が今の私を見たらきっと怯えるし、何があったんだと未来に震えるに違いない。
 それでも、だ。たとえば昔を惜しむ老人は、きっとこんな気持ちでいたんだろう。そしてこう言うのだ。あの頃は、よかったと。
 木に近づいて、幹に触れてみる。さわり心地は以前と変わらない。ざらついている。濡れているのは、昨日は雨が降ったからだ。

 ひぃん

 鼓膜がふと、音を捉えた。聴いたことがない音だ。何だろうと首を動かし、目線をさ迷わせる。ヒナとトレミーを見るが、ふたりは無関係みたいだ。私と同じようにきょろきょろしている。

 ひぃん、ひぃん、ひぃん

 視界の隅に謎の光が見えた。若葉色でまぶしい。え、何これ。私のうしろ、木の幹を縦に裂くように、光でできた変な穴が空いている。音はこれから放たれているらしかった。
 やばいんじゃないの。予感してトレミーとヒナを求めようとすると、それより先に視野いっぱいに入ったものがいた。小さな手で私の頬に触れるそいつは春を思わせる薄い緑色をしている。蒼穹色の瞳。

「セレ」

 ビィ!? 言い切るよりも早く、身体が妙な浮遊感に包まれた。内臓が置いていかれるような。落下するジェットコースターに似ているが、あれよりも穏やかだ。
 私は光の穴に突き落とされたらしかった。さっきまでいた場所が遠く、見るそこはぽっかりとした裂け目の向こうにある。セレビィが手を振っている。トレミーとヒナが慌てている声が聴こえる。ねえちょっと私、もしかしてこれって丸腰じゃないか。

 っていうかこのタイミングで!?





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