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10

ガタゴトと荷台に揺られながら、売られていく子牛の気分で壁内への帰路につく。かすみがかった遠い記憶の彼方から、どこか物寂しい音階が脳裏に響いて、なんだか無性に切ない気分になった。

そうこうしているうちに、周囲のざわめきが増してきた。幌の布の下でエーリカが身を潜めて考え事をしているうちに、門をくぐって壁内に入ったようだ。どうやら、今回の遠征はこれで終了らしい。

今回も多くの被害を出した兵士らが背負う空気は重い、……だけではない。というよりはどこか戸惑ったようなものだ。気がつけば、荷台にいるはずのない、それも見覚えのない人物が一人増えているのだから、仕方がないだろう。

そんな微妙な空気の中で、エーリカは幌に包まりながら、ひざを抱えて小さくなった。光を遮られた視界は薄暗く、同じ荷台に横たわっているペトラの姿もぼんやりとしか見えない。尻の下から伝わってくる荷馬車の振動は小刻みに震え、そしてそれに負けないくらい身体はがくがくと震えている。そんな中、震える身体と嫌な予感を抱きしめながら、今後の身の振り方―――および、どうしてこんなところにいるのかという言い訳を必死で考えていた。


間違って荷馬車に入ってしまったんです―――――却下。
トンネルを抜ければ、そこは壁外でした――ふざけすぎだ
かっとなってやった、反省している―――――ありえない。

こうなったからには、腹をくくって真実を話すよりほかないのだろうか。……だが、真実をありのまま話すと、ものすごく望ましくない結果になるような予感がする。そして、わずかな記憶しかないのだが、エーリカのこの予感が外れたことはなかった。


「で、―――なんで、小汚ねえガキがこんなところにいる」
「――――――」

ばっ、と幌が手荒に取り払われた。荷台の横に寄せた馬の上から酷く煩わしそうな男の声が、目を刺すような太陽光とともに降ってくる。そんな声を出すくらいなら、聞かなければいいのに、などと内心小さく悪態をつきながら、エーリカは恐る恐る上を見上げた。

太陽を背に見下ろす鍛え陰られた痩躯の小柄な男は、エーリカからは逆光になっている。背負う太陽は、その目つきが悪い顔に深く影を落とし、ただでさえ悪い人相がいっそう凄みを増している。怖い。恐怖に引きつりそうになる表情筋を、できる限り動かさないように努力して――――失敗した。痙攣をおこしかける頬に手を当てながら見上げるも、その眼光の鋭さに思わず背筋に冷たい汗がぶわりと湧き上がった。

もとよりエーリカは自分の手に負えないこと、突発的な事態、想定外の出来事と言ったことが大の苦手なのだ。いざ物理的に戦うというならば問題ない。巨人に追いかけられれば、逃げるか倒せばよい。無理なら死ぬだけだ。なによりエーリカの勘は、こと生き残ることに関しては、抜群の効果を発した。

商人どもに難題を吹っ掛けられるなら、それ以上で吹っかけ返せばよい。商人なんて人種は己の利益を一に考えるもの。彼らの思考回路など、そう独自性はない。よって、ある程度までは十分想定できる。あとは、主導権を握りつつ、臨機応変に演じればいいだけだ。

が、目の前にいるのは、そんなかわいらしいものではないようだ。彼の上の上に寝そべっている、怠惰な豚どもを手玉に取ることはできるだろう。だが、こんな肝が据わり切った物騒な目をした男を動かすことなどできるはずもない。もう、エーリカの価値観からすれば、理解不能の制御不能の塊だ。暴虐と理不尽、そんな嵐の体現者こそが目の前にいる人間。後々戦略的戦術兵器・一人旅団と称されるリヴァイと言う男であった。

つまり、勝手に苦手認識をして、勝手にビビッているわけだが、その認識はあながち間違っていない。まあ、簡単に言って―――とっっても怖い。


「おい、聞いてんのか」
「……ペトラが」
「は?」
「ペトラが壁外に行く前に……この間作った新型のボウガンを見せたかったの。もしかしたら役に立つかもって思って……で、荷台の上で待っていたら、寝てしまった―――ん、だけ……ど」


とエーリカは語尾になるにつれて尻を窄んでいく言葉を、どう続けたらいいのか迷った。エーリカが相手の反応をうかがうように、前髪の間からちらっと男の方を見上げると、こちらを睨む目つきの悪い男とばっちり視線がぶつかってしまった。

心の中まで暴くような鋭い視線に、背すじに冷たいものが走り、瞬間的に視線を逸らす。揺れる荷台と横たわったペトラの外套の端が視界に入るが、彼女は意識を失ったまま。援護射撃は期待できそうにはない。こちらを馬鹿にしたような視線は一向に緩和されずに脳天に突き刺ささってくる。逃げたい。

いや、自分でもこんな理由で密行じみたことをするはめになっただなんて、ばかげていると思う。思うのだが、それが真実なのだから仕方がないだろう。というか、少しくらいは想像力を働かせてみてはどうだろうか。いや、働かせてみてください。

そう、徹夜でハイになったテンションでペトラを驚かそうと、幌の布の下で待機していたら、いつの間にか爆睡。揺れる音で目を覚ましたら、壁の外。周囲に人がいなって這い出てみれば、迫り来る巨人。あっちにも巨人、こっちにも巨人。ここだけの話、思わずちびりそうになった。いや、ちびってないよ。でも、絶対にしばらく夢に出てくるくらいは、怖かった。

そして、ここだけの話、この男の顔と雰囲気はそれよりも、もっと恐ろしかった。


「てめぇ、俺を馬鹿にしてんのか」
「そ、そんなこと、するわけないじゃない!」
「あ゛?」
「いや―――その、するわけ……ありません。です、が」

必死で弁明しようとするものの、ざくざくと刺さるような目つきと、恐ろしく低い声に遮られる。漆黒の瞳が、ゆっくりと眇められていく。同時に背に冷たいものが走った。心境は蛇に睨まれた蛙。海千山千のがめつい商人たちと渡り合ったときだって、これほど恐ろしくなかった。どうしたものか、この男に睨まれると、舌の根が凍りついたように痺れ、いつもは流れるように出てきた言葉が、まったく出てこなくなる。そのくらいの威圧感。

動悸、息切れ、体の震え、冷や汗。こんなこと、生まれて初めてだ――――更年期ではないはずなのだ。あっ、そっかこれが恋か。ああ、恋ってなんて恐ろしいものなんだろうだ。もう私は恋なんてしない、とエーリカは全力で現実逃避を試みた。


ふと、その上から押さえつけられるような圧迫感が薄れた。そっと視線を上げると、こちらに歩み寄る高い背丈の人影。あれは―――エルヴィン団長だ。いくらなんでも、ペトラが所属する調査兵団のトップの名前と顔くらいは知っている。

「この子が――――今回のイレギュラーだと?」
「ああ、巨人に追いかけられながら、人一人担いでその足だけで逃げ切った女だ」

その言葉に、幌を囲んでいた兵士のあいだに動揺が走った。皆、信じられないとばかりに、顔を見合わせながらざわめいている。だが、エーリカからすれば、たいしたことをしたわけではない。ただ、恩人を助けたいと願い、そしてエーリカができると思っただけのことを死にもの狂いでやってのけただけのこと。簡単に言えば、距離を保ったままヒットアンドウェイ、後は逃げる。ひたすら逃げる。何しろ足の速さには自身があるのだ。とにかくあの巨人の足が遅くてよかったと思う。

とまあ、こんな単純なことを繰り返しただけなのだから、そこまで驚愕される理由がわからない。事実、あのままこの鋭い目をした男が助けに来なかったら、今頃仲良く胃袋の中に納まっていただろう。だから、驚くならこの男の身体能力にこそ、驚愕すべきなのではないだろうか。

そんなことを思いながら、裁きの言葉を待つエーリカに、エルヴィンは腰を落として視線を合わせてきた。

*****

アニメでジャンが徒歩でほんの少しだけ逃げていたので、足の遅い巨人からならちょっとくらいは逃げられるんじゃないかと……まあ、普通に考えて追いつかれそうですがそこは捏造で。

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