春眠 | ナノ

幕間:探し人

話し声や呼び声がざわざわと響く中、大勢の人が目の前をせわしなく行きかう。どこから湧いて出たのかと言うほどに、人でごった返している冬木新都の繁華街。
その雑踏の中に梓はいた。

聖杯の真実…人の望みをかなえると謳いつつ、何一つ叶えない呪いの箱。穢れた器。生贄のようにくべられる魂。
それらを伝え、バーサーカー陣営以外にも同盟を結んでくれる相手を探すためにである。
間桐の家に蓄えられた知識はあまりに難解で、飛びぬけて優れた魔術師でもなかったキャスターの力をもってしては、聖杯の真実を読み解けなかったのだ。未熟な魔術師たる梓については、言わずもがなである。

ゆえに、記憶の彼方にある、この薄れかけた知識を持って説得するよりほかないのだ。
あまりにも分が悪い賭けだが、梓はまだ諦めていなかった。


勿論、彼らのライダー陣営に声をかけるという戦略は間違ってはいないだろう。梓と間桐雁夜を除く、残る5組のマスターのうち、唯一まともに、聖杯の真実についてを取り合ってくれる可能性があるのが、彼らであるという判断は間違いないのだ。

『しかし、だ。マスター、これではライダーのマスターとやらを見つけることなど到底できるとは思えないのだが?』
『うっ、そうかもしれないけれど、絶対に繁華街に来るはずなの…たぶん』
『…せめて正確に時刻とは言わんが、日にちくらいはわからないのかね?』
そう、梓が持つ曖昧な記憶では、ライダーたちが本屋を訪れる正確な日にちが分からなかったのだ。

反対にライダーが出現すると思しき冬木の方の商店街を雁夜の使い魔に見てもらっているが、商店街全てを網羅できるほどの使い魔を、動かせる魔力が残っているのか疑わしいのが難点である。


これが吉と出るのか凶とでるのか、それこそ神のみぞ知るというべきものだろう。





結局一日歩きまわったが、太陽が最後の輝きを放つ時刻になっても収穫はなく、梓の努力は徒労に終わった。
昼とは異なり、帰路につく人ごみが、海に放たれた稚魚のように町を過ぎ去っていく。
その町の片隅で、ベンチに腰を掛けて項垂れてた梓はぼんやりと人ごみを眺める。
もう夜が迫っているのだ、早く帰らなければここからは魔術師としての戦いに巻き込まれてしまいかねない。それは梓の本意ではない。

そうだと…わかっているのに、軽い虚脱感が体を覆い、立ち上がりたくないとすら思ってしまう。そうであろう、あれだけ息巻いておきながら半日かかっても、結局何一つ発見できなかったのだ。この2週間に満たずに終わる聖杯戦争では、このハンデはあまりにも大きい。
己の判断ミスで無為に時間を費やしてしまったという精神からくる疲労と、肉体からくる疲労でベンチに沈み込む梓を、少しだけだからな、とキャスターはどこか心配そうに許してくれた。


ため息をついても、胸に重くのしかかる倦怠感と言いようのない不甲斐ない自分に対する苛立ちは消えてくれそうにもなかった。
だけど、もうそろそろ、動かなきゃ、と腰を上げようとしたとき、視界の端に引かれるものを見つけた。そうして、なんとなしにそちらの方に目を向けると、そこには明るいはちみつ色の髪をした女が足早に人波を泳ぐような優雅さで、過ぎ去る姿があった。
去っていく姿に、梓は目を奪われぼう、っと見つめた。


『はぁ、それにしてもきれいな人だったな。モデルか何かかなあ』

珍しいものを見た後は、テンションが上がるというもの。そう、あのような関係のない人たちを助けるためにも、頑張らなくては。と、両手で頬を叩き気合を入れる。
心機一転、府抜けた自分に気合も入ったことだし、と動き出そうとして

『マスター』

と、キャスターが妙に重々しい口調で

『あの女、ランサーのマスターと共にいた女だ』

戦いの始まりを、伝えてきた。



空には雲が低く垂れこめ、夜は暗闇を深めている。
陰鬱な空気が周囲を覆い、この公園には人影一つない。
いや、無かった。

『あ、あれ?』

先ほどまでつけていた人影が見当たらない。
梓が周囲を慌てて見渡していると、キャスターがいきなり実体化した。

「キャスター?何をして」

そう、疑問を問いかけるが、こちらに目をむけず、あらぬ方向をにらみつけている。
つられるように視線の先の闇へと視線を引き絞る。
そうしてその先には――――

「ごきでんよう。いい夜ね。けれど、こんな夜中にレディを付け回すなんていささか礼儀を逸しているのではない?」

不満のにじみ出ても美しい、夜の底に星屑のように響く声。
闇から生まれ出たその姿に、月光に浮かび上がる、蜂蜜色の髪。
不機嫌そうに眇められ、冴え冴えとした冷たさを帯びた藍色の瞳が、冷やかにこちらに向けられている。
夜色の外套を身に纏った、冷たい彫像のように整った貌の乙女が、街灯を背に、闇から浮かび上がるよう歩み出た。

「いやそれは申し訳ない、君のような女性をどうしたらデートに誘えるか躊躇っていてね」

キャスターは梓を庇うように一歩踏み出し、慇懃に答える。

「まあ、上手ですこと。でも、エスコートの方法としては落第ね」
「それは残念だ」
「私をそんな腕で付け回そうだなんて、100年早いと言うものよ」
「失敬、一応魔術で気配を消したつもりだったのだがな。」
「あら、そうなの?なら、あまりにも未熟だったから、星が煩くて無視できなかったのね。今度からは、もう少しうまくやって下さらない?見苦しくて、目をつぶることもできないわ」
「ほう、占星術師だったとは、これは失敬。
しかし、こんな夜に一人で出歩くとは、いささか不用心ではないかね?」

昨今何かと物騒なのだからな、と嘯くキャスターに

「ご心配いただきありがとう。この程度、警戒するまでもありませんもの」

嘲笑にも似た揶揄を含んだ言葉で、その娘は事も無げにそう答えた。

「いや、実力不足は重々承知の上だが、それをこうも率直に言いきられるとはな」
「やっとわかったの。なら、出直してきて頂けるかしら?」
「だが、一度声をかけたとあっては、男のプライドとして、その申し出は受けることができないな。それで、少しばかりお時間を頂けるかな、レディ?」
「―――そうね、私を満足させることのできるならば、喜んでお受けいたしましょう」

シャノンは艶やかな冷笑を口の端にのぼらせながら、貴方たちにできると思っているの?と優雅に口角を上げる。

「ああ、満足させてみせよう。なあ、マスター?」

ここまで、キャスターがお膳立てしてくれたのだ。
私もやり遂げねば、と一度目を伏せ、そうして震える足を叱咤しながら、決意に満ちた面を上げ、梓は口を開いた。

「あの、ランサーのマスターの隣にいた方ですよね?
お願いです、私の話を聞いてください!」


******



梓は英語が堪能設定で。
その頃、ライダーは冬木の繁華街を跋扈していた。

prev / next
[ top ]