春眠 | ナノ

考察2

……自分がらしくないということは自覚していた。
だが、と、ケイネスの脳裏には今朝見た夢がよぎる。

奇妙な夢だ。見たことも経験したこともない太古の景色。運命の宴の夜、姫と手を取り、栄華に背を向けたあの日。愛と真偽のはざまで苦悩した夜。許されたと信じて、忠義を尽くせると喜び、最後の最後に許されていなかったと知った絶望。

――私が望むのはただ一つ、忠義を全うしたいのです。


あの結末を不服だとは思わない。ただ、今生こそは生前に果たせなかった騎士としての生きざまを。忠義を貫き、誉と誇りを持って、証立てするのだと。そうして騎士としての本懐を遂げるのだと――――。



そんな願い、ケイネスには到底理解が及ばなかった。
報償を求めない忠誠。
見返りの無い奉公。
英霊の誇りを曲げてまで、わざわざ人に付き従うのだ。
それ相応の理由がなければ、ありえるはずがない。
そう、ケイネスの生きてきた世界の価値観においては、それが正しい解答だ。

人が誰かに手を貸すのは己に利益があるが故だ。
そう、ケイネスとシャノンとの関係のように。
ゆえに、無償の忠義など信じる事は出来ない。
道理が通らない。
計算が合わない。
理にかなっていない。
それが魔術協会でも一目を置かれる、魔術師としてのことわりを誰よりも重んじるケイネスが導き出した結論だったのだ。

だが、

『ふん、なるほど、あのサーヴァントの…ランサーのただ愚直に忠義を尽くしたいという点においては、もしかしたら嘘偽りがないのかもしれん』

昨夜、己の言いたいことをすべて言い尽くしたからか、それとも己に賛同してくれた者がいたため、感情のままに当たり散らさずに済んだからなのか。
いや、心の裡を欠片も晒さず、全く信用できないサーヴァントだと断じたケイネスに、娘が理解はできないが、偽りはなさそうだ、と興味なさげに言ったことを思い出したからなのであろうか。
サーヴァントの過去を夢で見たケイネスは、自分でも驚くほどランサーの心象を冷静に分析ができた。
もとより、ケイネスは政治的手腕にもたけているのだ。
今まで見た覚えのない人種とはいえ、一度そのきっかけさえつかめば、彼らの間に横たわる時間と立場の壁のことを鑑みて、その心象をある程度推測することも、可能である。


己の命令を愚直に聞かない点については、未だ欠片も納得できないし、納得するつもりもない。
聖杯戦争を戦い抜くどころか、騎士として誉れ高い戦場とやらにこだわる点も、腹立たしいだけである。
だが、報償を求めず、ただ見返りなく忠誠を尽くしたいというランサーの言葉は、今になってようやくケイネスに届きつつあった。


…しかし、あの程度の出来事で悲劇だなんだと煩わしい。美しい妻と子、あげく領地まで貰っておいて何が悔いだ。愛と忠義、その両方を得られなかったのは、それがあの男の器と言うものだろう。ならばどちらかを得た時点で満足しておくべきだったのだ。だから二度目の生などと言うものにまで愚かにも手を伸ばしたのだ。などと、傲慢にもケイネスは批評する。


――――だが、もし、だ。
もしランサーが得たものが反対であれば、自分はどう感じたのであろう。

一瞬でも心奪われた、美しい人を得られず、誉れだけが残ったのであれば。
一目で恋に落ちた、愛おしい人の心を得られず、魔術師としての名誉だけしか得られなかったのであれば。


『はっ、馬鹿馬鹿しい。どちらにせよ、サーヴァント風情の為すことだ。
まともに取り合うだけ無駄と言うものだろう』

ケイネスは胸に湧いた理解のできない感情を噛み潰しながら、眉間のしわを伸ばすように手を額にやる。

「ああ、だがせめてあの聖遺物さえあれば…」
そう、サーヴァントがライダーであればこの私がこんなことに煩わされる必要などなかったはずだというのに。
ああ、全く本当に忌々しい、とばかりに、ケイネスは神経質そうに額を抑える。


だが、ケイネスの心情は、本人も気づかない内に、まるで研磨された石が角を落とすように、かつてとはわずかにだが、変わりつつあった。



だが、そんなことはいざ知らず。

「…ライダーだともっと話を聞いてくれなかったと思うけれど」

シャノンはそんな小煩いケイネスを横目で見ながら呆れたように呟いていたが。



*****


未練がましいケイネスを横目で見つつ、シャノンはこの場にいないランサーを思い出し、深々と嘆息した。

最後に見た顔は、茫々とした瞳に悔しさなのか怒りなの分からないが、苦い感情をにじませていた。苦悶に歪んだ美麗な美貌は、彼自身の清廉な立ち振る舞いと相まって、真っ当な感情とはかけ離れた魔術師である自分ですら、見ていてかすかなりとも胸が痛むほどだった。


だが、
シャノンは憂鬱そうに目を伏せて、ゆっくりとかぶりを振る。

だからといってあの言葉を撤回することなどできるはずもない。
あそこで、ああでも言わなければ、マスターとサーヴァントの間に、直しようのない亀裂が入ったことだろう。
だからこそ、あの言葉を悔いはしない。
それに、だ。
占うまでもなく、彼の望む戦場を求めては、到底勝利をつかめるとは思えないのだ。
ゆえに、昨夜、双方の価値観の齟齬の埋め合わせを求めたというのに、あの英霊はただ胸の内を秘めて耐える事が忠誠だと勘違いしているらしい。


だが、語り合わないよりはましなのだろう。
今まで目をそらしてきた、我らの間にあった齟齬も、軋轢も、あれでつまびらかになったのだ。
白日の下にさらされたのであれば、その歪みから目をそむけるわけにはいくまい。
彼も、そしてケイネスも。


しかし、大体、生まれた時代も場所も違うというのに、魔術師としてシャノンやケイネスの価値観と、ランサーの価値観、が重なることを、二人とも理解できなかったのだろうか。というか、ランサーとて、英霊なのだから、気にくわないのであれば、こんな小娘の戯言など一笑に伏せばいい。だというのに、どうしてああも真面目にとるのだろう。

そう、いっそ笑い飛ばしてくれた方が分かりやすい。英霊たる彼の誇りをどうやっても曲げることができないのであれば、止むを得ないと諦めがつく。そうすれば、こちらとしても令呪に訴えかけるか、誇りとやらに沿って戦略を練り直せばよいのだから。だが、彼は従順と嘯きながら、信義を持ちだしてくる。
一体私たちにどうしろというのだ。


彼の態度は、シャノンにとっても、彼はこちらに歩み寄ることもなく、譲歩すら引き出そうとせずに、己の騎士道に固執しているようにしか見えなかった。
勿論、ランサーからすればそれは事実無根、全くの誤解なのだろうが、ランサーの控えめで慎み深く、己の感情を出そうとはしない粛々とした武人の態度が、最大限に裏目に出たのであろう。そして、ランサーの己でも理解できていない心の韜晦が口を噤ませたのも悪手だった。
そうして、彼らは何かを察するというには、住む世界が深い崖に隔てられているほどに異なっており、お互いのことも知らなかったのだ。


だが昨夜のランサーが浮かべた、余りにも彼に似合わない悲痛に歪んだ表情は、柄にもなくシャノンの心を軋ませ、一抹の申し訳なさすら覚えもした。が、疑問を問うただけだというのに、粛々とした従順な態度の者を叱咤した様な形になったあげく、あのような苦しげな顔を見せられては、なんだか、こう、罪のないものを責めているというか、物凄く非道な行いをしたような気にすらなる。

魔術のためであればどのような非道な行いも辞さないが、あえて非道な行いに喜びを見出すほどは捻くれていないシャノンにとって、それは苦行にも等しかった。


だからこそ、思ってしまったのだろう。
純粋に彼の言葉を鵜呑みにできるマスターか、そんな隙を受け入れて共に成長できるようなマスターであったなら、うまくかみ合っただろうに、と。

客観的な意見として、彼のような人格は好ましいと言えるだろう。
……個人的にも、嫌う余地はない。
彼が悪いわけでもない。
こちらの指示に不備があるとは思えない・
――――だから、このこの結論は単純なこと。

結局、私たちのような典型的な魔術師と、清廉な騎士たらんとするランサー。
双方の相性は残念なくらいに悪い。
唯それだけに帰結するのだ。
そう自覚して

「…本当に」

シャノンは頭痛を堪えるように、星空のような眸を覆うように、薄い目蓋を伏せ

「どうしたものなのかしらね」

誰に言うでもなく、祈るような吐息をこぼしながら、物憂いげにそう呟いた。

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