春眠 | ナノ

29

視界の色が、狂おしい赤から、穏やかな純白に戻っていく。途端、肩に圧し掛かっていた重圧が消え去った。

通信が急に切れたことに焦った桜が、校舎と生徒会室のソースを使って、急遽再現した表の聖杯戦争の強制戦闘終了システム。それによって、戦闘は強制的に切り上げられたのだ。

緑衣のアーチャーの猛攻は、何とかしのげたものの、あまりにも分が悪かった。
なにしろ、さっきの結界の効果なのか、こちらのステータスが軒並みダウンしていたのだ。

ぐらぐらと眩暈がする。
正気を維持するのに使われた魔力と、乱された霊子。
肉体を構成する霊子すらもざわめいているのだ。
気を抜けば、視界も揺らぎ、視点が定まらなくなりそうだ。
足から崩れ落ちそうな体。
それを、歯を食いしばって踏みとどまる。
未だ敵の前にいると言うこともあるが。
ここまで凌いだのだ。最後まで意地を張ってみせる。
というか、私をかばって戦った、傷だらけのアーチャーの前で、無様なマネは見せられない。

「やるねえ、お嬢さん。ここで粘るたぁ、根性あるじゃないか」
「当たり前だ、私のマスターをなめるなよ」

うん、勿論だ。その信頼にちゃんと答えて見せる。
と、アーチャーに頷きを返す。

私たちと、ガウェインを隔てていた最後の炎の壁がはれていく。
結界が完全に解除されたようだ。

その先には―――――
よかった、どちらとも無事みたいだ。
互いに傷だらけのその姿。
それでも、そこには二人の人影が立っていた。
その事実にホッと胸をなでおろす。

同じようにステータスの低下に悩まされたガウェインも、攻めあぐねていたのだろう。
なにしろ、シャノンをここで倒してしまっては本末転倒なのだ。
永遠に裏に閉じ込められるだけ。
全力を出し切れるはずもなかったに違いない。


――――うん、断じて認めない。
何だか切り結びあったような傷ではなく、取っ組み合ったような瑕ばかりなんて、ありえない。

「いや、あれは――――途中から頭に血が上って、つかみ合った傷ではないかね」

断じて認めぬ!
あんなシリアスなシーンの次にかっこいい剣舞じゃなくてそんな子供の件かみたいな………いくらシリアスブレーカー万歳の月の裏側と言えど、絶対に認めない。

確かに、緑衣のアーチャーに引きはなされたシャノンは髪も乱れ、擦り傷すり傷だらけだし、対するガウェインも、切り傷もさることながら、頬に爪の様なひっかき傷や打撲跡、へこんだ鎧と、双方、満身創痍だけど……きっと真面目に切り結んで得た、戦果なのだと信じたい。


というか、そうであって欲しい。
でないと、シャノンの胸元あたり服が大きく裂けているのとか、説明がつかないし―――――つかないし!

「うむ、……あの裂け口から見ると、鎧の一部に衣類が引っかかり、それに沿って破けたとみるのが正しいな」

って、どこを見ているの!爆ぜて!!……じゃなくて、冷静だねアーチャー。流石私のサーヴァント。
――――まるで、何度かそんな経験があったかのような即答。そこのところ、詳しく教えて頂きたいのですが、どうでしょう?

「ぬ……!」

それにしても、あのガウェインがあれほどまでに、傷を負うとは……!
シャノン、なんて侮りがたい子!
―――うん、まさか太陽の騎士が、組みかかられるたびに破れた服から零れ落ちそうな胸に、惑わされたとか、ありえないよね。うん。

「いや、惑わされたかどうかは別として、あれ以上動くと、いささか危険と言う意味では相当に動きを封じられかねん。いや、いかがわしい意味ではなくてだな。その、騎士として、曲りなりとも女性にそのような恥をかかせるわけには、いかないだろう?」

あー、そう。ポロリもあるよ、ってわけですか?
まさに、心胆寒からしむ、海の惨劇。
別名ラッキースケベ
ご説明ありがとうございます。
うむうむ、と納得したようにうなずくアーチャーに、言葉にできない殺意が込み上げてくる。


陽炎が揺らぐように、シャノンの礼装が解ける。
最初に見た姿に戻った、ということは、彼女に施された術式も解除されたのだろう。


「――――、はっ……、ぁ――――」

即ち、いま直ぐに、追撃されることはできないということである。
その事実に、少し肩の力が抜ける。

―――――――というか、まあ……無理だよね。


「っっ、……ん―――――は、……っぅ」

喘ぐような、呼吸音。
フル活用した熱を、少しでも逃がそうとするその行為。
そう、シャノンは前かがみになり、膝に手をついて、全速力で走った後のように。肩で息をしていた。

「あ―――、もしもし、生きてるか?悪いが、こちとら毒は持っていても、水の持ち合わせはなくてね。もうちっと耐えな」

その問いかけに、こくこくと頷きだけを返すシャノン。
緑衣のアーチャーもどこか気忙しそうに、シャノンの背をさすっている。
口で何とか云いながらも、世話を焼いてしまうそういうところが、雨の日に子犬を拾うタイプとか言われる所以なのではなかろうか。

「――――と、まあ、……こんな―――ところかしら」

ふるふると胸を押さえながら、余裕めかして語られる言葉。
うん、強がりもここまでくれば、立派である。
というか、あの状態で、ガウェイン相手に勝算があったのかなかったのかは別として、何故最終的な戦闘方法に素手を選んだのだろうか。
全く理解ができない。
もしかして意外と、頭に血がのぼったら暴走するタイプなのだろうか?

「すいません、つい……手加減を間違えてしまいました。大丈夫ですか?」
「う、煩いわね。―――空気、読ん…でよ。この、天然騎士!」
「面目ない。して、私のどこが天然だというのですか?」
「うわ、凄いわこれ。こんな騎士ばっかの都とか、地獄じゃね?」

確かに私は、生まれてより騎士でしたが……それをこの時代では天然と言うのですか?などと、首を傾げるガウェインに、あきれ果てたように緑衣のアーチャーが呟きを漏らす。
その論理の展開だと、養殖騎士と言う単語もあり得るからやめてほしいモノである。
養殖で許せるのは、マグロまでだと思う。食べたことはないが。

「――――は……、ぁ」

どうやら、ようやくシャノンの息が整ったらしい。
とはいえ、こちらも肉体的にも精神的にもぎりぎりなのだから、人のことは言えないのだが。そうして、彼女は顔を上げて、こちらをきっ、とこちらを睨みつけてきた。

「な、何度も言うようで、あれですけど、白野くんならここまで大変なことにはならないのよ?帰ったら彼に今度こそ、ちゃんと、くるように、伝えなさい!」

そんな捨て台詞を吐いて、シャノンは迷宮の奥に消えていった。
正直、どちらが勝者かわからないくらいなのだが、武士道は色恋なくとも、情けあるもの。ここは言葉で追い打ちをかけるのはよしておこう。

それに事実彼女にとっては、勝利に他ならないのだ。
なぜなら、これは彼女にとっては防衛戦。SGを死守された以上、彼女の勝利であることは間違いない。
まあ、口惜しいが敗北は敗北。
だが、これで終わりではない。だって、私たちには次がある。
空白を埋められる余地があるなら。いくらだってこの現在(いま)を積み上げよう。
そして、次こそは未来に手を届かせてみせる。
それこそが、私にできる唯一のことで、そして最大の強みなのだから。


「ああ、その調子だマスター。分は悪いままだが、道が閉ざされたわけではないのだ。次に期待するとしよう」

アーチャーの信頼の視線を、うなずきで返して、迷宮を後にする。

と、踏み出した足に何かが当たった。
これは――――

「鍵、ですか?」
「いや、鍵型のチャームだな。こんなもの、先ほどまでは無かったはずなのだが……」

――――――まあ、何か意味があるかもしれない。
こう、シールドの鍵です!みたいな感じで。

「……それはいささか、安直ではないかね」

おだまり遊ばせ。
私も、ちょっと直球過ぎたかと、自分でも思っているんだから。
ま、まあいいや。
凛たちに聞こうにも、通信が閉ざされている。
なら、一度校舎まで持ち帰って、調べてもらおう。

*****

どれだけアドバンテージがあっても太陽騎士に勝てるわけもないわけで。

prev / next
[ top ]