春眠 | ナノ

午睡の一時

はじめて主に引き合わされた時、思わず目を奪われたのを覚えている。

春の暁のように美しい娘だった。

長い髪は琥珀のように滑らかな亜麻色で、その肌は初雪の如く白く、見たものに触れればどれほど柔らかなのかと思わせるよう。それでいて、真白な顎にかかりる髪を払うしぐさなどは、驚くほど艶やかだ。その瞳は光の加減によっては夜明け前の泡立つ海のようにも見える昏い紺碧色。唇は宝石珊瑚の艶やかさを秘めている。
まるで、神の手で作られた繊細な人形が命を吹き込まれたかのような、麗しさがあった。

だが、こちらを見るその瞳に踊る感情など欠片もなく、ただガラス玉のような無機質さだけがあった。

魔術師とはいえ、女である。
だが彼に向けられたのは、強い慕情も燃え盛るような熱情もない、ただ静謐さだけをたたえた眼差し。ディルムッドは生まれて初めて、女性からそのような眼で見つめられたのだ。


*****

重厚感ある机の上には香ばしい芳香を漂わせる紅茶がふわりと湯気をたてており、ティータイム中心で主人公足らんと主張している。
洗練された仕草でシャノンはカップを持ち上げ、そっと口に運ぶ。
そのシャノンと向き合うように、己の主が座りながら、魔術礼装の調整をしているのだろうか、何かを弄っている。

ランサーには魔術師として、依然冷静で凍てついたような顔しか見せない主とその主の幼馴染。だが彼らは気心が知れた仲なのか、二人でいる時はまったく違った表情を見せている。


「でも、採算が取れるという意味で錬金術はかたいわよね」

ソーサーにカップを音も立てずに置きながら、妙に真面目な顔で深刻そうに紅茶を見つめるシャノン。

「しかし、以前のバブルがはじけた際には、それは大変だったそうではないか。プラハの証券錬金術師のように拝金主義にまで傾倒すれば別だろうがね。
しかし、由緒ある家系の主すらもがそういった金策に頭を悩ますとは、世も末だな」
「古き家を背負うものとして、資産をどれほど減らさずに運用し、次代に引き継ぐかと言うのは永遠の命題と言うものでしょう?ああ、知らないうちに税率も変わっているし、本当に魔術だけに邁進できたらいいのに」


そう、物憂い気に、口を尖らせ愚痴を零しながら、ため息をつく。
見た目にそぐわず、俗っぽく妙に実感のこもったシャノンの言葉に、ケイネスは薄い唇をゆがませ、呆れたような返事を返す。そう、ふたりはこれから先、魔術師としてどれだけ社会の隙間を縫って金策に走れるかを真剣に議論していたのだ。魔術師にあるまじき俗っぽさである。

だが、そんなことは話の内容に耳を傾けねば意味のないこと。
ランサーはそんな表情を見て、なんだ彼らもこのような顔ができるのだなと、少しほほえましく思う。


「金融専門の弟子もいるにはいるけど、そちらに丸投げするわけにもいかないというものでしょう」
「はっ、お得意の占いで未来でも詠んで荒稼ぎすればよかろう」
「あら、知らないの?昔それで暴利を貪った魔術師が妬まれて、ロードたちからはじかれたって話。挙句、一般社会への経済バランスのことを考えていなかったから、聖堂教会に目をつけられて、滅ぼされたのよ。金稼ぎに傾倒して、経済制裁を受けるなんて魔術師としてこの上なく残念な最後よね。
いつの時代も、人間のありようなんて変わらないという象徴かしら。現代版の青髭もかくや、といった所ね」
「…ああ、あれは噂ではなく本当だったのか。まあ、浅ましくも魔術を金銭目的に用いた愚か者の末路としては、当然だな」
「でも、ケイネスが錬金術に手を出したのもそれが目的なのでしょう?
ねえ、何か面白い情報とか、お得情報とかないのかしら?」
「そんなわけあるか!まったく、なぜそうも俗物的な視点でしか物事を考えられないのか。大体君は昔から」


そう言葉をつづけようとするケイネスを煩わしそうに見ていた娘は、ふと表情をからかう様なものにも代え、小動物のように小首を傾げ、小さく微笑みながら主を見る。そんな仕草が悪戯っぽくて可愛いことこの上ない。

「あら、なら恋の妙薬なんていかが?
ああ、ごめんなさい、興味ないのよね?
確かに俗も俗、俗物の極みですものねぇ」
「ぐっ」
「世界錬金術大全 裏別冊号84巻 P587」
「っっ…!」
「恋するあの人を振り向かせるマル秘テクニック」
「〜〜っっつ!!!何が言いたい!!!!!」
「いいえ、別に」


言葉巧みなシャノンに、軽々と彼女のペースにのせられるケイネス。
このように、昔からケイネスは、本人は断固として認めなくとも、マイペースに見えながらも、相手のすきを突くような鋭い言葉をたまに発するシャノンに振り回されてきたのである。この世には己が意のままにそぐわぬことがないと信じていた、幼少の神童と呼ばれたケイネスの概念を木端微塵に打ち壊したのが、彼らの出会いだったというのは、皮肉以外の何物でもないだろう。

それでも神経質なケイネスが思うとおりにならず、振り回されているというのに嫌な顔をしないのは、それが怒るに値しないことばかりだったということと、彼女の言葉の端々から敬意をもって接する態度が見受けられたからであろう。昔から振り回されても、憎めない、そんな人となりなのである。

慌てるように言葉を紡ぐケイネスに、鈴を振ったような笑い声をあげる少女。
だがそんな愛らしい少女の笑顔も、そして、主の曇りない信頼もディルムッドに向けられたことは一度としてないのだ。


そんな彼らを眺めつつ、槍の英霊は一人、霊体化しながら、部屋の隅から静かな瞳で黙ってそれを眺る。
楽しげにさざめく声。
暖かな昼下がり、決して自分が入ることのできない空間。
それに混じることはなく、ただ一人離れてその光景を見やる。
それが彼らとの距離である。
けれど、己の忠誠を受け取ってくれるのであれば、何ら問題になるはずもない、いや当然とさえ言ってもよい距離感だ。

だが、
胸を覆う、重いため息が零れた
この身を捧げると誓ったというのに、なんだこの体たらくは。


主の信頼を得ている女にか、それとも主にか、どちらを羨んでいるのかなど理解できずに、光零れる部屋の片隅で、独り佇むランサーは自分でも理解のできない感情を噛み締めた。

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