春眠 | ナノ

摩天楼の密談

この街で一番の高層建築。その屋上階は今夜も町で一番強い月光に照らされている。
下界を一望できる部屋の中、二人の人影が向かい合っていた。

片方は神経質そうな金の髪を後ろになでつけた男。そうしてもう片方は見るものを蕩けさせるような美貌を持った男だ。

金髪の男――ケイネスは恭しく膝下に屈した姿勢で姿を現した、己のサーヴァントをわざとらしいまでの猫なで声で問いただす。

「さて、もう一度問うが、お前には何の望みもないと?よいのだぞ、程度にもよるが、この私と組めども尽きせぬ魔力の杯にかかれば、どのような望みだとしても叶えることは造作もあるまい」
「いえ、我が望みは忠節を尽くすことのみ。主よ、そのお言葉だけで、十分でございます」

その召喚した時から全く変わらない嫌味なほど謙虚な言葉を聞いて、ケイネスは腹立たしそうに唇を歪めた。苛立たし気な空気を醸し出す男に一体なぜ不興を買ったのか理解できず、戸惑いを見せる美貌の槍兵。それを不快そうに目を細めながら睨むケイネスにより部屋の空気が重く沈んでいく。

そこに

「ごきげんよう。良い夜ね、ロード・エルメロイ。そして、ディルムッド・オディナ。それにしても流石ね、魔力経路をこうもやすやすと分割するなんて、御三家が聞いたらきっと泣くわよ」

扉の向こうから、涼やかな女の声が響いた。

その女が部屋に入った途端、どこか硬質な風情を漂わせていた部屋が一気に華やいだ。

フロントにフリルのついた、透け感のある上品でクラシカルなシルクのブラウスに身を包み、首元には色の違うリボンタイ。サイドを編み上げた紐が飾るスカートがドレープを描き、ストッキングに包まれた膝上までをふわりと包む。

淡い琥珀の色をした髪は頭頂部で束ねられたのち、一筋の乱れもなく緩やかに肩にかかり、線の細い面は驚くほど滑らかだ。その彼女の鮮やかで深い青金石の瞳は冴えわたっている。


女のその賛辞を、表情一つ変えずに当然だというようにケイネスは受け取る。

「ああ、もちろんだとも、シャノン。私の手にかかればそのくらい容易いことだということだ。」
「ええ、見事ですこと。それで私側からの魔力供給は滞りなく行われているのよね?」

褒め言葉にさほど意味はなかったのか、あっさりと話を切り上げ、矢継ぎ早にサーヴァントへ確認を取る。

「ああ、問題なく流れてきているとも」
「それは結構。私はロード・エルメロイを勝者とするためにこんな極東まで足を運んだのですからね。こんな序盤で仲たがいして脱落なんて、笑いものになってしまうわ。で、外の様子は変わりなく?」
「今のところ使い魔からの情報はないが…ふむ、念のために調べておくか。
哨戒の任につけ、ランサー」
「はっ」

ランサーは霊体化して、部屋を出ていく。
そうして、ケイネスは女と向き合った。

女の名はシャノン・リヴィエール。

フランスに居を構える、古い魔術師の家系であり、若干10代にして、降霊科にて講師たるケイネスと論議を交わすことができるほどの才媛である。そんな彼女がなぜ聖杯戦争に参加するケイネスと共にいるのかというと、それは彼女の家系の事情によるものだ。

そう、折衝能力に優れた人材を多く輩出するリヴィエール一族は、権力闘争の中心にいないかわりに、教会とのパイプや時計塔幹部の後ろ盾となることで、権威を維持してきた稀有な家系なのである。なにより法政科にも顔が利くのも大きい。

だが、先代は舵取りを誤ったらしい。結果としてその家名には傷がつき、挙句命を落とす羽目となったのだ。そうして年若い娘の肩に、古くから教会などとも交渉してきた家の命運委ねられたのである。

だが、人脈とパイプがあろうとも、大した実績がないうえに年若いとあっては、周囲より軽んじられるのは必定。そこで、同じ降霊科で学び、さらには個人的な交友がある、今後一大派閥を築くであろうケイネスに恩を売り、大役を果たすことで、後ろ盾と新たな当主としての威容を見せようという魂胆なのだ。


因みに個人的な交友とは、幼少期からの交友と、あとは主にソフィソアリ家令嬢のソラウを巡ってのことである。

始めて見た時、ケイネスはただ驚いた。まさか氷のように怜悧な美貌と気高さを持つ麗しい貴人であるソラウが、花が咲き誇るように華やかな笑顔をするとは思ってもいなかったのである。

そんな彼女の助力もあってか、ソラウとの関係はおおむね良好である。その点についてのみ感謝してもよいだろうと、ケイネスはひそかに思っている。そのせいで、どうも強く出れないことには目をそむけるが。

そしてなによりこの少女の才能が、己に勝るとも劣らぬ実力を有していながらも、己の得意とする専門とは被らない範囲であるためであろうか。彼の自信を脅かさないという点でも、彼は彼女を高く評価していた。

いや、同じように彼女も降霊を学んではいるものの、彼女の降霊術に対する才能は非常に限定的であり、自分には及ばない。その点でもこの年下の幼馴染を好ましく思うのだ。


ふう、と密やかにこぼされた溜息で、ケイネスは我に返った。

「なかなかに優れたサーヴァントじゃない?ケイネス。あれほどの曇りなき信義と、忠誠心を持ち合わせているなんて、まるで物語の騎士のよう」

そう、手放しに褒める言葉、だがその端々に滲むなにかは丁寧なくせにどこか空虚さを感じる。聖杯にかける望みはなく、新たな主に二心なく忠節をつくすことにより、生前の悔いを晴らしたいと、そう言って神話の中より現れ出た美貌の槍兵。

「ええ、でも自ら首を垂れる忠犬の調教とは、さすがの貴方も困難ということかしら。
いっそ、初めから翻意を露わにしている方が、やり易くあったでしょうに」
「わかるかね、なかなかに苦労しているのだ。しかし、あいつは、一体何を考えているのだ?サーヴァントの癖に、願いがないなどと、見え透いた嘘を」

そう苦虫をかみつぶしたかのような顔で言葉を続ける。
それに

「さあ、よくわからないけれど、嘘は言ってなさそうですし―――意外と何も考えていないのかもしれないわね」

女はそう、どうでもよさそうに言葉を返した。

「いずれにせよ、命を唯々諾々と聞いてくれるということですし、良しと致しましょうよ」

そうして

「でも、彼は彼の言う騎士道と主に対する忠誠、一体どちらを重んじるのでしょうね」

これからの道を予言するかのように不吉な言葉を零した。


*****


女が居住まいを正し、ケイネスの目を見つめると、緩んでいた部屋の空気が張りつめたものへと変わる。

「ロード・エルメロイ。占いの結果が出ました」

ここからは、知人としてではなく、ロード・エルメロイに対するリヴィエール当主としての宣告だということを、言葉に出さずとも感じさせるような変貌だった。


「この地には暗い影がまとわりついています。即座に拠点場所を変更されることを進言いたします」

そう、垣間見た未来を厳かに告げた。
それを、ケイネスは神経質そうに鼻で笑い飛ばし

「敵自らこの魔術工房に自ら足を踏み入れてくれるというのであれば、上々ではないか。この魔術工房にて、念入りにすりつぶしてやろう」
「いいえ、わが一族の占星術を軽じぬよう。
何より、此度の戦には、アインツベルンより魔術師殺しに特化した者が参加するとのこと。かの者であれば、魔術師とての誇りなど欠片もなく、浅ましい戦いを挑んでくるやもしれないのですから」

自信にあふれたケイネスに、女は奴隷は何も持たぬからこそ、王を倒すことができるのだから、と言わんばかりに零し、薔薇のような唇で

「忠告は致しました。
これからの決定権はあなたにあるのですから、ご注意を」




そう、4度めの聖杯戦争の開幕を厳かに告げた。



prev / next
[ top ]