春眠 | ナノ
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21

それはブレーカを落としたような、あるいは、海に漂う小舟がクジラにでも飲み込まれたような唐突さだった。私は一瞬にして、違う世界に叩き落されたのだ。


赤く染まっていく視界。
テクスチャの色がバグを起こしたように、反転した世界。
赤く染まった回廊。
脳髄がバグを起こしたように、異様に体が熱い。

空気はねばりついたように重く、まるで水の中にいるよう。
だというのに、迷宮を包む空気は揺らめく赤に染まっている。
肌にまとわりつく空気は、濃密で触れるだけでちりちりとした痛みを訴えかけてくる。
立ち込める空気は、重く、熱く、まるで、炎の只中にいるようで―――――


いや、これは……燃えている!?
そう、つい先ほどまで、儚い純白に覆われていた迷宮は
立ち入ったもの全てを灰にする煉獄の迷宮へと変貌していた。


伝承に曰はく、いにしえの女神の結界に、有機物を己の養分として融かすものがあるという。
だがこれは、それにも似て、全く否なる一つの世界。
なぜなら、これは捕らえたものを糧にするのではない。
ただ、焼き、殺し、灰にすることしかできない、負の煉獄。
何一つ、意味を為せずに灰となって終わる未来を義務付けられた、閉じた螺旋。

それはまるで、全てを融かし爆ぜる溶鉱炉のようでも
異界の邪神に生贄をささげる炎の祭壇のようでもあり、
一種神聖さすら覚えるほど、恐ろしく純粋な輝きだった。

身体が酷く重い。
熱に炙られた肌が痛い。
ぐらぐらと、眩暈がする。
悲鳴はのどに焼け付いた。
息をするだけで喉が締め付けられるように、息苦しい。
まるで、全ての救い酸素を失ってしまったかのように。
そうして、漫然と、ただ納得した。

ここは地の底、地獄の釜の具現。
間欠泉のごとく、視界の先で吹き上げられる真白き炎柱は、一瞬にして個体を気体へと気化させるだろう。
つまり、逃げ場はない。
ここに招かれたものに、与えられる救いはただ一つ。
すなわち、燃料。
私たちは今、この世界を照らしあげる薪にすぎないのだ。


締め付けられたように、重くただれた空気に肺がキリキリと痛む。
ぜいぜいと、喘ぐように開いたのどに言葉は焼き付き、もう声すら出ない。
体が瘧のように、正体なくふるえる。
意識に砂嵐がかかったように、自我が定かではなくなっていく。そんな中、肌を焦がす熱と、この炎の輝きだけが私に正しさを教えてくれるように眩い。
その焦がすような輝きに、心を絡め取られる。
赤く、蒼く、白く揺らめく焔は、よく見れば、原初の光を宿しているようにも見える。


一瞬、くらりと軽い浮遊感に襲われた。
輝きを見れば見るほど、脳髄が痺れていく。
その痺れに身を預ければ、肌を焦がす熱ささえ、心地よく感じる。

燃え堕ちる世界の幻惑
湧き上がる悲鳴の幻聴
炎の揺らぎが視界と心を暗く、鈍く覆っていく
そう――――この炎に身を投げたら、どれほど幸福なことだろうかと、幻視してしまうほど、強い誘惑。

魔的な輝き。誘蛾灯の怪しさ。
ああ、炎に焼かれると分かっていて、飛び込む蟲はこんな気分なのだろう――――


「マスター!どうした、正気に戻れ!」

その声で、霞んだように濁っていた頭が揺さぶられ、クリアに戻った。
どうやら、束の間、正気を失っていたらしい。
周囲を見渡せば、炎の熱こそ目を開けていられないほどだが、肌を直接炙るほどではない。
だが、先ほどの精神を直接炙られたような、恐怖はいまだ心の底をなぶるように残っている。その苦痛と恐怖に、ただ荒い呼吸を零す。吐き気を催すような、めまいに世界がぐらぐらと揺れて見える。そうして、肩で大きく息をつきながら、顔を上げようとして――――アーチャーの大きな手で、ふさがれた。

「白乃。これは君が見ていいものではない」

目を閉じると、心の底を攫うような不快感が薄れる。すべての活動を、狂わせる異常な精神状態。そんなものに陥っていたことに、今更ながらに気付き、ぞっとするような悪寒が背筋を走り抜ける。今、自分は知らないうちに処刑台に、乗せられていたのだと自覚し、凍り付くような震えが走った。


「ええレディ、この炎を直視してはなりません。著しい精神干渉と汚染を引き起こすようです」

厳しい声で、炎の向こうを見据えるガウェイン。
炎に身を投げたくなるほどの狂気。
なるほどこれが、この術式に付与されたの効果か。


『待って……て、今すぐに、そのプロ…ラムを解析して……解析、終了。これは術………式じゃ……て…宝具!?うそ、ど………にサーヴァントが!?』

通信機から聞こえる声が遠い。
どうやら、周囲の霊子が著しく乱されているようだ。
ならば、とその元凶を叩こうと思うものの、元凶自体が炎の向こうに隠れているのだ。
正直、この炎を見つめるだけで、精神のバランスを失いそうなこちらの身としては、あまりにも困難と言うものだろう。


だいたい、ここで息をするだけでも少しづつ、魔力が消費されていくのだ。
―――いや、体が正気を保つために、本能的に魔力を放つことで、防壁としているようだ。ならば、と魔力を意識して放出し、アーチャーの手を、そっとのけて自分の目で周囲を確認する。


「くっ、ステータスの弱体化、だと?―――なんだこの術式は、サーヴァントにこれほどの影響力があるとはいったい――――!?」

そして、その効果はサーヴァントにも表れているらしい。
苦しげに顔をしかめるアーチャーと、苦虫をかみつぶしたようなガウェイン。
特に対魔力の低いアーチャーでは、不用意に直視することすら厳しいのだろう。


『フィ……ド内に歪み、の核を確…。後付さ………つあ、るウイル、スを…今…ぐ除去して――――っっ、そん、な!』

信じられないものを見たような、ラニの悲鳴がノイズの向こうに聞こえる。


「穴倉を出るのが遅過ぎましたね、巨人の娘。矛盾を受容できない今のあなたでは、私の宿業にはまだ遠い」

炎の向こうから、嘲るように密やかな声が響く。
むせ返るような熱に目の前が歪む。
緊張と重圧でえづくように、上下する喉が痛い。
瞬間、目の前で炎が、主を招き入れるように、二手に別れた。

「万象は悉く、灰と溶ける。この炎を逃れうるものはない。――陥落せよ王城の灰シャトー・トレベス


―――その先、煉獄の川の向こう
炎の祭壇の只中に、人ならざる魔力を持った、何かが立っていた。



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