3
side:藤丸
世界が、真っ赤に燃えている。
そこはまぎれもなく死の世界だった。
煉獄だってここまで酷くないだろうというほどに、劫火が燃え盛っていた。
地獄の釜をひっくり返したかのような、惨状。
人の焼ける匂いと熱気が五感のすべてを苛んでくる。
炎は音もなく燃え続けているというのに、頭は冷たいまま。
墓標じみたコフィンがそこかしこに突き立っている。
ほんの少し前にすれ違った人々が、墓標の中でで、あるいは岩に凭れかかる様に息絶えていた。
そうして、その中に―――
一人の少女が無残な姿で横たわっていた。
「ミリアム!!」
震える足を叱咤して、急いで駆け寄る。
ほっそりとした体に力はなく、飛んできた岩にえぐられたのか、背中からは血が溢れでている。
しおれた花の様に一層白さを増した顔に、立夏はゾッとした。
初めて人の死に直面したうえに、知人と呼べる彼女までも失う…?
頭に巣食ういやな想像を払って、傷に触れないようにそっと抱き上げる。血に濡れた白衣が肌に張りつき、その体は氷のように冷たかった。と、力なく垂れ下がった細い腕が、少しだけ動いた。
「―――ぁ」
「ミリアム!大丈夫だ!今、ドクターのところに連れて行って」
「っ……マ…シュ……あ、っち…に」
無理だ。
この惨状だ。生きている保証もなければ、
例え見つかったとしても、二人を助ける事なんてできるはずもない。
少なくとも、マシュを助けている間に彼女が力尽きるだろう。
だから、一番賢い選択は、彼女を連れてドクターの元に届けることだ。
障壁封鎖のタイムリミットも迫っている。
なにより、自分の命も助かる
だから―――
「わかった、しゃべらないで。任せてくれ、絶対に、二人とも助けるから」
それでも、諦めることができなかった。
何もできないと分かっていても、
彼女の期待を、誰かの命を見捨ててまで、逃げることが。
焔の中を彷徨っていると、ふと、音がしたような気がした。
立夏が視線を向けると、頭が理解することを拒んだように視界が歪んだ。
美しい半身を無残にも瓦礫でつぶされた少女。
正視に堪えないその惨状に立夏は、ミリアムを抱きかかえたまま、躊躇わずに走り寄った。
もう数分と持たないだろうと一目でわかる。確実に致命傷だ。
そのことだけが煮えた頭でも理解できることだった。
埃でくすんだ髪が、血に濡れて頬に張り付いている。
そんな少女は、虚ろな瞳でこちらを見上げて
「ぁ、せん……ぱい…?」
「待ってろ、すぐにこんな瓦礫なんて、どかすから!」
「い、……いん、です。たすかり、ま、せん。だから―――」
逃げて、と
少女は、消えゆく命で他人の命を思いやった。
腕の中の命も、その炎を絶やしつつあった。
障壁は閉ざされ、密室の中に死を待つ少女二人と自分。
なんて、滑稽なんだろうか。
あそこで、自分の命を惜しんでいたら、少なくとも自分と、そしてミリアムの命くらいは助かったかもしれないのに。
ああ、それでも
「先、輩…手を、握ってもらって、い…い、ですか?」
自分の分を弁えない愚行だと知っても、見捨てるなんてできなかった。
自分にできることは、それだけだったから、諦めたくなかった。
―――せめて、逃げたくはなかった。
「姉さんも…そこに、いるんですね…そ、っか…よかった」
彼女たちが少しでもさみしくないように、握る手に力を込める。
できることなら、恐れに震えていることに気付かないでほしいと祈りながら。
何かのカウントダウンを告げるアナウンスは、終わりを告げる潮騒のよう。
『全行程クリア。ファーストオーダー実証を開始します──。』
†
終わりは、あっけないほど唐突に訪れた。
痛みは鈍く、いまだ自分が生きていることを伝えてくる。
株分けされた魔術刻印が、自分を癒そうと働いているが−−−その前に施設の洗浄がはじまるだろう。
―――ああ、私、死ぬんだ
それでも、やっぱりこうなったか、程度の感想しか抱けなかった。
人類史が観測できなくなった時点でわかっていたことだ。
観測した時点で悪い結果が出たのなら、もうそれはその時点でルート選択を誤っているということだろう。その状況事態が過ちなのだ。ひとつ前のセーブポイントに戻って、どうこうなるレベルではない。
何をやっても無駄だ、なんて全てに目をつむって、日々を怠惰に過ごしていたから、こんなことになったのだろう。苦しい生より安楽な怠惰を選んだ代償だ。
辛くはない。いつか終わるなんてうそぶいていた最後が、たまたま今日来てしまっただけのこと。
肌を刺す痛みも生きる実感も砂の様に手のひらから零れていく。
ああ―――でも、あの子は、マシュは何も知らない。
楽しいことも、かなしいことも
生きる意味も、死ぬ意味も。
生命の価値を何も知らないまま、終わってしまうのは、あまりにも悲しい。
―――ここは少し寒い
私はいいけど、この寒さの中、孤独(一人)で消えるのは、あの子の身に堪えるだろう。
一緒に逝く事はできなくても、せめて傍にいてあげたかった。
『―――類の生存を保障できま−−−』
ふと、人の気配を感じた。
ほぼ死に体の私に、必死に助けようと語りかけてくるその声。
ああ、このカルデアでそんな善良で無意味なことをする人間なんてきっと一人だけ。
身体を抱く温かな温度に、少し意識が戻る。
霞む視界に、私を支える立夏とマシュの姿が見えた。
ああ―――よかった。
『全行程クリア。ファーストオーダー実証を開始します──』
安堵をふくんだため息を一つ零して
子守唄の様な音声に身をゆだねるように目を閉じる。
そうして、世界が白に包まれた。
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