一風吹かせてしんぜよう
風を吹かせるのは
はじめから俺だと決まってんだ
「……………」
「ん?なんだ三成、さっきからウロウロと」
「官兵衛…いや、家康を見なかったか?」
「権現なら…そういや今日は見とらんな。ま、まさか小生らにも見えなくなったのかっ!?」
「家康なら、左近の奴が連れて行きましたよぉ」
「左近が?」
家康が見当たらない
官兵衛の言う不安を私も僅かに抱きながら奴を探していたが、後藤いわく左近と出かけたらしい
…気になるな。家康を見ることができなくなった結、その始まりの日。左近の表情は険しかった
「心配するな。左近なら大丈夫さ、おおかた権現を慰めてやってるんだろ!」
「あー、官兵衛さんって本当に阿呆ですねぇお気楽ですねぇ…あーあ」
「…貴様、左近を知らんのだな」
「は?」
「あれが慰めるなどできるものか。むしろ…」
店の窓から睨んだ外は、風など一切吹いていない
「左近…今度は何だ?」
「………………」
「…ここに来るのは何度目かな。今日も相変わらず静かだ」
左近に呼び出され向かったのはあの神社。夕暮れに差し掛かり、静かな社はいっそう静寂に包まれていた
鳥の鳴き声も風の音もしない。ここにはワシと左近だけだ
「早く帰らねば結が心配するぞ。先日調べたばかりだ、特に新しい手掛かりは見つから−…」
「結、今日も泣いてたな」
「っ−………!」
「ここのところ毎日だ。そろそろ涙も枯れちまうんじゃねーの」
「…お前に言われずとも分かっているさ」
真っ先に左近が口にしたのは結のことだった。結が泣いていた、と
改めて言われずとも知っている。周りに心配をかけまいと、彼女が隠れて泣いていることぐらい
…知っていたとしても、結にワシの姿は見えず声も聞こえないから。慰めることもできないが
「…ワシには何もできない。だから左近、頼む、結の側にいてやってくれ」
「……………」
「……………」
「…アンタに言われなくても分かってるっての」
「っ…ああ、そうだった−…」
「だから、」
「っ!!!!?」
ヒュンッ!!!!
次の瞬間、ワシの顔目掛け何かの影が迫ったっ!!咄嗟に後ろへ避ければ、風を切る音と共に鼻先を何かが掠める
態勢を立て直し身構えると目前には…同じく臨戦態勢の、蹴りの構えをした左近が立っていた
「っ、な、何をするんだっ!!?」
「構えろよ家康、刀は半兵衛様に取り上げられちまってるからな…でも今のアンタの拳なら、蹴りだけで十分だっつうの」
「い、意味が分からん…何故、今、お前とワシが戦う必要があるっ!?」
「家康が結から見えなくなった日、風はアンタにだけ吹いたんだよな?」
「……………」
「結は、あんだけ家康に会いたがってるのに見えないんだ。そりゃつまり…」
ザッと地面を踏みにじる音がしたかと思えば、次は左右に揺れる左近独特の動き。あれは…よく戦場で見る動きだ、左近はどうやら本気らしい
仕方なく拳を構えるワシを真っ直ぐに見つめる奴の目
「アンタが結から逃げてんだろ?だから俺が、引きずり出してやるよ」
「何を言う…何故、ワシが結から逃げなければならないんだ」
「結に会いたいのか?」
「…もちろんだ」
「目、合わせて話せんの?」
「……………」
「そういうことだ、ろっ!!!」
「っ−………!」
強められた語尾と同時に右の一撃、二発目は左。次々と繰り出される蹴りを防いでは流し、距離を置こうと避ける
左近が言うに今回の一件は、ワシの思いが引き起こした事件らしい。ワシが結の前から、自ら消えたのだと
「だってそうだろっ!!俺が結に初めて会った時、俺は結に会いたいって願ったっ!!」
「ぐっ…!」
「それに応えた結が手を取った、だから見えたっ!!声も聞けたっ!!」
「違う、あれはっ…!」
「あれって何だ、言い訳すんっ…なっ!!」
「っ−……!」
この時代にワシらが飛ばされたのは、左近と結が出会った時だ
それまでワシにしか見えなかった結が左近に触れた。会いたいと願った左近に結が応えた。だから…だがっ…!
「言えねーなら別に良い、アンタにとっちゃ所詮その程度の…」
「……だ…」
「……………」
「っ…その理屈なら左近、お前よりも先にワシが、結の時代に来ていたはずだ…!」
「へぇ…」
「っ、ワシが先に、結と出会ったんだっ!!」
「うおっ!!?」
ようやく出たワシからの反撃は、左近を僅かに掠め近くの大きな木を殴る!
軋んだ木、飛び立つ鳥や虫はなくメキメキと痛む音がした。ああ、加減はしたんだがな
「へ、へへっ…危ねーの。でも、アンタもちゃんと本音言えるじゃんっ」
「……………」
「…それで?」
「…醜いが、結にとって唯一の存在でありたかった」
「…ああ、」
「何度、未来に来るのがワシだけであればと思ったか…!」
この時代に溶け込むことで、ワシらの時代の戦は減るかもしれない。平和な世となり、豊臣の皆が静かに過ごせるかもしれない
だが、結はどうなる。皆と過ごす結はいつか、ワシでない他の者と…幸せになるかもしれない
「ふーん…そりゃ嫉妬ってやつだな、ずいぶん人間くさいやつ」
「嫉妬…ああ、そうだ。特に左近、お前には悔しい思いでいっぱいだ」
「……………」
「あの時、お前よりも先に結の手を取っていればと…今さらながら後悔している」
ギュッと握り締めた拳。結と会って話すことばかりで、触れたいなんて考えもしなかった
だが実際触れられるようになった今、どうしていいか分からない。そんなワシを後目に、どんどん距離を近づけていく左近に焦りを抱いた
誰よりも先に、ワシが結を…
「…認めるんだな、」
「…ああ、お前の言うように散々逃げてきた。今さら結の唯一に、一番に戻るのは難しいかもしれない」
「……………」
「だがこれだけは譲れない、お前にも三成にも…他の誰であっても」
振り向いた先、夕日を背にした左近に拳を向ける
お前の嫌いなイカサマだらけのワシにも、胸を張って言えることがあるんだ
「ワシは他の誰よりも先に結を好きになり、誰よりも結の笑顔を願う男だっ!!」
『左近くん…もう日が暮れたから、早く帰らないとみんな心配してるよ』
「少しだけでいいからっ!!な、ほんと、お願いっ!!」
『ぅうっ…三成さんに叱られるの、左近くんなのに』
「それは覚悟の上だっつーの!ほらこっちこっちっ!!」
『うんっ』
店の片付けをしていると、戻ってきた左近くんにこっそり連れ出されやって来たのは風のない神社
もう夕日は沈み辺りは真っ暗。転ばないように気をつけて階段を登ると…その先には誰もいない。静かな社に私と左近くんだけだ
『左近くん…』
「…心配ないって。結に会わせたい奴がいるんだ」
『っ………』
「ほら、手、出して」
開けた場所に導かれ、振り向いた左近くんが一歩二歩離れていく
代わりに指示されたのは手を差し出せ、というもの。言われるがまま手を伸ばしてみるけど、その手は何にも触れやしない
『……………』
「へへっ…ここで結を探してた俺の手を取ってくれた。だからこうやって会えたんだもんなっ」
『そうだね…あの時の左近くんが必死だったから、つい、私も…』
「今の結も必死だろ?」
『………うん、もちろん』
「会いたいんだろ?」
『うんっ…会いたいよっ…!』
誰に、なんて決まっている
私の返事に満足したように頷いた左近くんは、また数歩この場から退いていく
そして次の瞬間、手を差し出す私の肌をさらりと軽く何かが撫でていった。それは−…
「結っ」
風だ、
『っ、あ、きゃあっ!!?』
突然、強く吹き抜けた風が土を乗せ葉を削ぎ私を襲う!
チクリと痛いそれに視界を奪われ、耳にもゴウッとした風の音しか届かない
そして吹き飛ばされそうな私の手を、しっかりと“誰か”が握る感触。大きくて、力強くて、温かい手だ
そして、恐る恐る目を開いた私の前に現れたのは…
『あっ……!』
「……………」
『っ、え……え…?』
強い風にほんの少しだけ髪型を崩し、気恥ずかしそうに私を見つめる優しい顔
でも繋がれた手はしっかりと、もう離さないという風に。その手と顔を見比べていると、自然と涙が溢れ出てきた
ずっと会いたかった人が目の前にいる
「…ただいま、結」
『あ…っ、うんっ…うんっ、うん…!おか、えりっ…!』
「っ、………」
『おかえり、家康くんっ…!っ、ごめんなさいっ、ごめんなさい、私っ…!』
「謝らないでくれ結っ!!ありがとう…ワシを探してくれて」
ずっと会いたかった家康くんが目の前にいる。真っ先に伝えたかった謝罪は彼に遮られた
そして代わりに言う…ありがとう、と
「ずっと…いや、真っ先に言わなければならなかったんだ。ありがとう、結」
『家康くん…』
「…あの日、ワシと出会ってくれて本当にありがとう。これは紛れもない、ワシの本心だ」
『うんっ…ううん、こちらこそ、ありがとうっ…家康くんに会えて良かった…!』
「…これから先、どうなるのかは分からない。どうするのが正しいのかも、それでもワシはっ…!」
『……………』
「結への気持ちだけは、もう嘘はつかない。もう一度だけワシを信じてくれないか」
『っ…ふふ、うん、もちろんだよ』
「結…ありがとう」
ありがとう、ありがとう、手を繋ぎ互いを確かめるように言葉を重ねる私たち
その側からひっそりと、一つの風が立ち去った
20160725.
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