水面舞います紋白蝶
『……………』
「……………」
『っ…………』
「…何を企んでおる、御狐殿」
『ひいっ!!?すみません!すみません!すみませんっ!!』
ちらちらと、そわそわと。われを見ながら落ち着きのない御狐殿
それを指摘してやれば途端に飛び上がり平謝りよ。いやこれほどに分かりやすいとは
「ヒヒッ、御狐殿は嘘がつけぬなぁ。企みならばわれも混ぜてくれぬか?」
『だ、ダメです!吉継さんはダメです!』
「……そうか、われは仲間外れか。御狐殿にそう言われては仕方あるまい」
『え、あ、ち、違うんです!仲間外れとかじゃなく、あの、えっと…!』
「………ヒヒッ」
じわりと涙を浮かべ弁解する御狐殿にからかい半分…残念半分
冗談を交えたつもりが本当にわれは仲間外れらしい。ちと腹立たしい…そんならしくもない感情に驚いたその時、部屋へ入ってきたのはお呼びでない男
「おう、結。何を騒いで…げっ刑部と一緒か」
「暗よ、げっとはどういう意味だ」
『あ…官兵衛さん!ちょうど良かった、また付き合ってもらいたいことがあるんです!』
「ん?付き合うって…げげっ!?またアレかっ!?」
『はいアレです!準備するので店まで来てくださいねっ』
「あ、こら結っ!!…ったく、仕方ないな…」
「……………」
暗を何かへと誘い、店へとパタパタ駆けていく御狐殿。弱ったなと頭を掻く暗の横顔を見つめ…女の消えた扉へ視線を戻す
アレとは何であろうか。十中八九、御狐殿の企みだろうがまさか暗と一緒とは
「ヒッ…随分と楽しげよな」
「そう思うか?思うなら代わって欲しいもんだ、またアレを飲むと思うと…うっぷ」
「御狐殿との茶会か」
それは後藤と左近の役目かと思うたが…暗も誘われるようになったか
そうかそうかと思いつつ面白くはないと、また、らしからぬ感情。やれ煩わしい面倒な
「しかし行ってやらんとな、おい刑部!暇なら来いよ、店にいるからな」
「いや遠慮しよう。贄の集いでねんごろを邪魔すれば後々が恐ろしいゆえ、ヒッヒヒヒッ」
「…な、なに怒ってんだ」
「……………」
『あれ…吉継さん、いませんか?おかしいな…吉継さんっ吉継さーんっ』
「そう何度も名を呼んでくれるな」
『きゃあっ!!?え、あ、よかった、吉継さんっ』
「ああ、いかにもわれよな」
きょろきょろと辺りを見回しわれを探す御狐殿。その背後にそろりと現れてみせれば飛び跳ね…すぐにまた、われの名を呼んだ
今、皆は柴田の家へ湯浴みに向かっている。われは留守番…昨日も明日もその次も
その間、御狐殿は店の片付けをしているのだが。いったい何用かと問うまでもなく、われの手を引き連れ出していく……は?
「待て待て御狐殿、如何した、何処へ…」
『お店ですっ』
「店?」
『はい!今からは吉継さんの貸切ですからっ』
「っ…………」
嬉しそうにそう告げた御狐殿にどういう意味かと問いたいが…まぁ、好きにさせてみよう
掴まれたままの右手を眺めながら、とにかく輿から振り落とされぬよう気をつけるとするか
『そこに座って少し待っててくださいね!すぐできますからっ』
「む…ヒヒッ、われに何か御馳走してくれるつもりか?代金は一文も持っておらぬが」
『ふふっ、じゃあ出世払いでお願いしますねっ』
「っ…………!」
…いや、まさか御狐殿がそう返してくるとは思わなんだ
台所へ消える御狐殿に何も返せず、われは大人しく座り女を待つ。二人きりのはず。それが何故か居心地悪い
「…例の企みか。いやまさか…アレは暗との約束のはずよ」
あの後、もう飲めないと降参した暗が部屋へと逃げ込んできた
あの男が御狐殿を拒むとは珍しい、と眺めていたが…もう甘い物は飲めんともぼやいておったな
暗が使えぬゆえ、われを代わりに使うつもりか?いや、それならば他にも左近や徳川が…
『お待たせしましたっ』
「っ−……ああ、」
『どうぞ。吉継さんだけの特別メニューですっ』
いつの間にか戻っていた御狐殿がコトリ、われの前に小さな湯呑みを置いてきた
途端に香る甘い匂い。ああ、やはりアレか。予感が的中したことに目を細め中を覗き込んでみると…途端に己の目が丸く見開かれていく
褐色の水面。そこに浮かんでいるものは…
「ヒッ…ヒ、ヒヒッ!!これは、われか」
『あ…よかった!分かってもらえた…はい!吉継さんですっ』
「これはこれは、われも随分可愛らしくなった。今にも羽ばたきそうではないか」
それに描かれていたのは、なんとも愛らしい蝶であった
褐色に浮かぶ白い蝶。それと御狐殿を見比べれば少しだけ自慢気に話してくる
『ラテアートです!エスプレッソに泡立てたミルクを入れて、こう、絵を描いて…』
「ほう…」
『前にマスターが作ってくれたのを思い出したんです。でも実際やってみると難しくて』
「ヒッ…それで暗を実験台にしておったか」
『はい、クマさんは何とかできたんですけど蝶がなかなか…て、ち、ちち違います!実験台とかじゃなくっ、あのっ…!』
「ヒーッヒヒヒッ!!いや、これでこそ御狐殿の贄よ、そうか暗は弄ばれておったか!」
『う゛ぅ…違いますってば!』
「ヒヒッ」
…謎の優越感
御狐殿が特別と言ったこれは、確かにわれへと贈られたもの。あの企みはわれへのものであった
ここで浮かぶのは何故このようなことを…という理由だが、それは何となくで分かる
「いや困った、飲むのがもったいない出来よ。御狐殿は器用よなぁ」
『え、の、飲んでくださいね!吉継さんに楽しくお茶してもらいたくて、描いたんですっ』
「楽しく…」
『はい!吉継さん、お茶もお酒も好きだって聞いて…』
「……賢人か」
あの男は御狐殿にいらぬ話を…すぐに思いついた犯人に頭を抱える
これでは一つ、奴に借りを作ったも同然ではないか。湯呑みに手を添えながらそんなことを考えるが今は、せっかくの茶会を楽しむとしよう
「では、頂こう」
『は、はいっ…』
「……………」
『どう…でしょう?』
「…ヒヒッ、味も文句無しよ。何杯でも飲めてしまう」
『っ、は、はい!おかわりありますから!あ、次はキツネ描きますねっ』
「おお、御狐殿を描くか。では楽しみに待つとしよう」
『はい!』
「ヒヒッ」
任せてください!と腕捲りをする御狐殿。さっきの自信満々な様子といい、われを店まで引っ張った流れといい
目を細め楽しげに見つめるわれの視線に気づいた御狐殿が、不思議そうに首を傾げた。ああ、いや、些細なことよ
「…ぬしも変わったな」
『え…?』
「ヒヒッ!!われらと出会った頃はただの泣き虫であったが、近頃の御狐殿は違う」
積極的で、直情的で、少々頑固の気も見える
明るく笑うことも増えた。帝を恋しがり、伊達や柴田に頼りきりだったあの狐とは違う
そう伝えてやるとしばらく固まった御狐殿。そしてみるみる青ざめていき…
『す、すすすみません!調子乗ってました、あの、ご、ごめんなさいっ私っ…!』
「む…いや、怒ってなどおらぬ。むしろ感心しておったのよ」
『か、感心…?』
「三成や左近に感化されたか、それが本来の御狐殿か…ヒヒッ良い兆候よ。ずいぶん可愛げのある女子ではないか」
『っ!!!!?』
「っ………!」
次の瞬間、己の行動に目を疑った
我に返ったその時に見たのは…われの右手が、御狐殿へと伸びその頭をくしゃりと撫でている様
御狐殿も驚いた表情でわれを見つめ…真っ青だった顔が、真っ赤へ変わる
『え、あ、の、えっと…!』
「………すまぬ」
『っ、い、いえ!こちらこそ、あの、あ、お、おかわり作ってきますっ!!』
「……………」
弾けるように台所へ逃げた御狐殿。静かになった店でわれもじっと、己の右の手のひらを見つめる
…何故、あの女へ手を伸ばした
掴めるはずもなかろうに
「ヒッ…実に困った…これではわれも、贄となってしまう」
われのような贄など…
「捧げようと、受け取らぬであろうに」
次に出てきた茶は、絵には見えぬ程悲惨な出来であった
20150103.
捧げるには心苦しい
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