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紀之介の進言に従った、というわけではないのだが新しく抱える家来が増えた。
人事はどうにかなった。
しかし気苦労というのは絶えることを知らないらしい。
ねねが出家した、と聞いた。
ねね、とは私と古い付き合いのある女だった。
その彼女から恋心を抱かれているとは知っていたが、私は女だ。そのことはねねだろうと誰であろうと、今は半兵衛以外に打ち明けるつもりはない。
それに、慶次。前田慶次がねねに恋慕していたはずだ。
私がねねから身を引いたにも関わらずなぜ声をかけなかったのだろうか。
それほど弱ってたねねのことを慰めてやれば、彼女の心は慶次のものになっていたかもしれない。
…そういう男ではない、か。
慶次はそういう男ではない。いつもまっすぐで、人の心にだけは誠実な男だ。
そんな男が私を訪ねてくるのに、そう時間はかからなかった。
「久しぶりだな、慶次」
声をかけるが、男の目はまっすぐ私を見据えたままで何も言わない。
「なんで手を差し伸べなかった」
ねねに、ということだろう。それはこちらが言いたいことだというのに、慶次は怒りを含んだ視線をまっすぐに向けたままだ。
「弱点になるからだ」
「なに?」
「私に近づけば、嫌でも危険が伴う。いちいちそれを振り払うだけの時間も兵も割けぬ」
それに、私を女だと知ったら出家どころではないだろう。悲観し自ら命を絶つか、…もしあれがほかにこのことを話すようであればその時は私が、この手で。
「ふざけるなよ!」
わずかに私の殺気を感じ取ったのか、慶次は吠えた。
胸倉をつかみあげられ、今にも殴りかからんばかりの彼は続けて言った。
「あの人が、どんな気持ちでいたか…!」
「知ったところで私は変わらない」
「秀吉ッ!!」
私には、もう、立ち止まっている暇などない。
抱える兵がいる、民がいる。守らなくてはならないんだ。彼らの生活を。
負けることなんて許されない。
「私は、お前とは違うんだ」
慶次は、私を殴るでもなく、ただ、黙って背を向けた。黙って立ち去ってしまった。
私も彼を追いはしない。
奴は織田傘下前田の男だ。私は織田と対する豊臣の当主だ。
はじめから、違う道を歩くことが決まっていたのだろう。
私も背を向けて、あるべき場所へと帰って早々に親友を呼んだ。
「すまない、半兵衛」
前田家を敵に回した、と告げれば半兵衛は眉に皺を寄せた。やはり半兵衛の気苦労を増やしてしまったか、とわずかに後悔をした。
「豊臣家当主にあるまじき行為をした、と恥じているよ」
「いや、慶次君が君を理解できなかっただけの話さ」
「だが、無関係な民まで前田の敵にしてしまう、という失態を、」
「君は悪くない」
私はただ半兵衛を無言で見つめた。半兵衛も私から目をそらすことなくただ見つめている。
この男が、恐ろしい、と思った。
いずれこの男は汚れ仕事をすべて引き受けて、私には穢れを見せなくなるのではないか、と思った。
それでは上に立つものとしての資格がなくなる。下のことを思いやる者こそが天下を統べるに値するのだ、と私は信じている。
「半兵衛、私はそれを望まないよ」
慶次のことは、結局は私が招いたものなのだからその罪は甘んじて受け入れよう。
「ただ、敵として戦場で出会ったならば、容赦なく叩き潰すさ」
慶次。これが私の答えだ。
背離
(上に立つものは自らの幸福を願ってはならない)
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