エントリー締め切りまで後5日。この日は小林が植木に"最終確認テスト"を行う日だった。
「あの…柑葉くん…。」 「行かせません!!絶対に行かせませんよ!!お譲様ぁー!!!」
最 恐 の 男 鈴 木 桜
とあるマンションの一室。そこには玄関のドアの前を断固動こうとせずその場に正座し座り込む一人の男の姿があった。その光景はあまりにも奇妙である。
「一体どうしたの?柑葉くん。」 「今日はどこにも行ってはいけません。家でおとなしくしてて下さい。」 「弱ったなぁ…あいちゃんと耕助くんと約束があるのに…。」
その言葉を聞いた柑葉は形相を変え「絶対ダメです!!」と声を荒げた。こんな事態になったのにも勿論理由がある。一昨日小林が言った言葉。"最終確認テストを行う。予定は明後日だ。"そう、明後日とは正に今日の事。美柑が植木の元へ行けばトラブルに巻き込まれてしまうのは目に見えているので柑葉としては絶対に行かせたくはない。そんな事は微塵も知らない美柑は困ったように頭を抱える。
暫く無言で見つめ合う二人…。先に折れたのは美柑の方だった。
「わかったよー…家に居る。」
その言葉に柑葉はパアッと目を輝かせ「ありがとうございます!!」と深々に頭を下げた。
−−−……
所変わって美柑の自室。部屋に戻った美柑はうーんと唸り今だ頭を抱えていた。家に居るとは言ったものの約束を破る訳にも…しかしあの調子では何と言っても柑葉は外出を許してはくれないだろう…。
「何か方法は……あっ…」
部屋を見渡す美柑の目に飛び込んだのは窓。ここから出られればと思うもの此処は5階。下を見下ろすと道行く人々が米粒のように見えた。もし落ちればまず助からないだろう。
「諦めるしかないかー…ごめんよーあいちゃん。耕助くん。」
はぁ…と、うなだれ窓の外に目をやる。すると、近くの電柱の上に人の姿が見えた。目を懲らしその姿をよく確認するとそれは美柑の見知った人物であり「あっ!」と声を上げ記憶を頼りにその名前を呼んだ。
「ワンコさーんっ!!!」
どうやらその声が届いたようで、呼ばれた本人ワンコ、もとい犬丸は驚いた顔で美柑の方を見た。マンションの窓から笑顔で手を振るその姿に犬丸もまた「あっ」と声を上げ手を振り返した。
「そんな所で何してるんですかー?」 「いや…少し景色でも見ようと思って…」 「へぇ…。…あ。柑葉くんから聞いたんですけどワンコさんも神候補なんですよね?」 「え…あ、はい。」 「少しお願いイイですか?」
−−−……
「いやぁ凄いですね…神候補って何でも出来るんですか?」 「ハハ…そういう訳でもないんですけど」
犬丸の協力のもと、何とか窓から部屋を抜け出し地上に降りれた美柑。マジマジと見つめられながらそう言われ犬丸は照れ臭そうに笑った。
「とにかく助かりました!ありがとうございます、ワンコさん!」 「どう致しまして。あの…因みに僕の本名は犬丸なんですが…。」 「え?そーなんですか?小林先生がそう呼んでたから…すいません。じゃー…犬丸さん。」 「あ、いや!いいんです!君にはその…是非前者の方で呼んでもらいたい…。」 「ホントですか!!私もワンコさんの方がなんかしっくりきちゃって…そう言ってもらえると嬉しいです。」
屈託のない笑みで言う美柑に犬丸は大きく胸が高鳴った気がした。それは、懐かしさと愛おしさの両方から来るものだと今は犬丸本人すら分からないのだった。
「じゃあ私そろそろ行きますね。ワンコさん本当助かりました。ありがとうございます。それじゃーまた…。」 「あ、美柑ちゃん……行っちゃった。」
深々と頭を下げると、自分に背を向け忙しなく走り去って行くその姿を犬丸は見えなくなるまでずっと見つめていた…。
−−−……
「多分この辺だと思うけど…。」
犬丸と別れた美柑は森に連絡し現在地を聞き出すと急いでそこに向かった。何でも森も移動中だったようで通るであろう場所に先回りをしたがそこにはまだ森の姿は見えなかった。じき来るだろうとその場で立ち尽くしていると…。
「なんじゃいワレコラ!!!」
「わっ!!なんだろ……。」
突然地鳴りのような声が響いた。興味本位で声のした方へ行ってみると、一つ角を曲がった先に植木と火野国中学の制服を纏った大男の姿があった。
「耕助くんっ…!?」 「あ、美柑。」 「あ?何じゃいワレ…」 「一体どうしたの……?」
植木から現状を聞くには…。大男、鈴木桜は追っ手に追われ逃げ回っていて植木はたまたまそれに巻き込まれたらしい。二人の身体はお互い首からかけた鞄のストラップで繋がっており、これがどうやっても抜けない。しかも圧倒的な身長差のせいで植木は地に足が着かず宙吊り状態だった。
「追われてるって…またどうして?」 「あ。確かに…なんで逃げてんだお前。」 「…なんでワレに話さなならんのじゃ…。」 「暇だからだ!」
天然なのか怖いもの知らずなのか、桜の威圧にも物怖じせずキッパリと言い切る植木。桜もそんな植木が面白いと思ったのか「まあええわ」と話し始めた。
「ワシを追っとんのは黒岩とかいうクソ医者じゃ!ワシはああいう人種が大嫌いじゃけぇの。そいつの愛車に犬のクソばらまいてやったんじゃ!!ガハハ。まさにクソ医者じゃろ?」 「あっそ。つまんね。」
その一言で桜の話を流す植木。美柑は「いや耕助くん…こっちから聞いたんだから…。」と何とかフォローするが、悪気はあるのかないのかそんな植木の煽るような言葉にも桜は植木に暴力を振る気配はなさそう…。この人…案外悪い人じゃない…?と思っているとまた別の声が響いた。
「嘘をつくなこのデカ男!!」
その声のした方を見ると、恐らく小学生であろう、背中にランドセルを背負った色黒の少年の姿があった。よく見るとその目には涙が溜まっている。
「あ?」 「う…嘘つくなよ……あ、あいつの車に犬のクソばらまいたのは…俺じゃねぇかよ!!!」 「………。」 「…どうしてそんな事を?」 「あ、あの黒岩って医者は…ワル医者なんだっ!!病気でずっと苦しんでた母ちゃんを…あいつ笑って足蹴にしやがったんだっ!!!あいつ…ヤバイ連中雇って、お前のこと追ってるんだろ!?お前はただそこを通りがかったってだけなのに…なんで……なんでお前、本当のこと言わないんだ!!!なんで俺なんてがばうんだよ!!!」
強がった口調であったが、瞳から零れる大粒の涙はそれに反比例するように少年の弱さを現していた。そんな少年の姿に美柑は目を細めていると「じゃかあしんじゃボケェ!!!」とまた怒声が響きビリビリと辺り一帯に反響した。
「かばう!?誰がワレなんぞかばうか!!ワシは昔っからこのなりじゃけぇ、まわりの連中はなんでもかんでもワシの仕業じゃ決めつけよるんじゃ!!んなもんいちいち弁解してられるかボケェ!!!…それともお詫びに好きなだけぶん殴られるゆうんか…?」
バキボキと指をならす桜に恐れ、少年は悲鳴に近い叫びを上げて走り去っていった。深く息を吐く桜を見て美柑は、やっぱりイイ人だ…と内心笑みを浮かべていた。
「なんだ、お前がやったんじゃねーのか……嘘つきめ。」 「あぁ!?」 「じゃあなんで逃げまわってんだ?あんな奴らぶっとばしちゃえばいいじゃん」 「…ワシは人を殴らんと決めたんじゃ。ある奴との約束じゃけの!」 「「………。」」
桜のその言葉の後、数秒もたたない内の出来事だった。勢い付けた車がけたたましいエンジン音と共に突然3人の元へと突っ込んで来た。
「ぬっ!?」 「きゃあっ!!!」
いち早くそれを察知した桜は間一髪の所でそれを避け、美柑の服の襟首を掴み自分の方に引き寄せた。そのおかげで三人共衝突は避けられた。
「やっと見つけたこのクソガキャあ」
キィイイと耳障りな音を立て急停車する車から出てきた男。白衣と笑顔の仮面を纏ったその姿に植木と美柑は一瞬でソレが黒岩だと悟った。
「お!?抜けた。」
黒岩が三人の前に立つ。ようやく植木と桜を繋いでいた鞄のストラップが外れ植木の身体は地に落ちた。それと同時に黒岩が桜に向かい話し出す。
「どーせ、お前もあれだろう?金がなくって僕に診てもらえなかった、その逆恨み。そうそう!この間もテメェみてぇなクソガキが僕ん所来てさぁ……『母ちゃんの病気を治してくれ!』ってさ……かわいそうに……自分が貧乏だって気づいてなかったみたいだ。」
「……ちょっと!!言い過…!!!」
黒岩が言ったのは正にさっきの少年の事だった。その扱き下ろしたもの言いに気を悪くした美柑は口を開く…が、その言葉を遮る様にドゴッ!!と痛々しい音が響いた。それは植木が黒岩の顔を殴りつけた音だと気付くのに時間はかからなかった。
「(や…やりおったぁ!?)」 「こ、耕助くん!?」 「…なんだぁ…テメェ…!!」
「蚊がいた!」
植木の拳で後ろに飛ばされた黒岩は自分の車にもたれる様に倒れかかる。ぶたれた箇所に手を当てる黒岩の笑顔の仮面はそれをきっかけに壊れ始めた。
「あはは…蚊かあ…本当だ。お前の顔にも百匹いる!」
そう言った黒岩の顔は、欠けた仮面の隙間から恐ろしい本性が覗いていた。これはマズイと思った桜は庇う様に植木と美柑の前に立った。
「ワレェ!!ワレの相手はワシじゃろが!!この…」 「さっき、実は聞いちゃったんだ…お前、人殴れないんだろ?なら…ただの『うどの大木』か。」 「桜くんっ!!!」
黒岩は車からゴルフクラブを取り出すとそれで桜の顔を殴りつけた。美柑は辺りに血が飛び散る中地面に倒れる桜に駆け寄りぶたれた箇所を見る。酷い痣ではあるもの、その体格のお陰か深傷には至らなかった。
そして、黒岩は次に植木へと近付いた。その様子に二人の傍観者が息を飲む。
「(能力を使えば才が減っちゃう!)」 「(ここで見極める!!"減才"を恐れず能力を使えれば…お前の正義は確認でき…)」
ドガッ!!
その音とともに飛んだ鮮血は植木のものだった。
「「「「!!!!」」」」
「こ……耕助くんっ!!!」 「あと、九十九匹。」
桜同様、クラブで顔をぶたれ地に倒れた植木に駆け寄った美柑が見たのは、もはや最初の笑顔などどこにもない…完全に本性を現した黒岩のさげすんだ笑みだった。
傍観者、小林は建物の上から落胆した表情でその様子を見ていた。
「(使わなかった…やはり植木、お前にも…正義はなかっ…)」
"なかった"と言いかけた瞬間、小林の目に映った懸垂幕。それに書かれてある文字に一筋汗を流した。
「まさか……」
「ゴミがみあたらんぞ?」
風に靡きバサバサと音を立てるそれには"ゴミ0運動実施中!"の文字がデカデカと書かれていた。
10話 end...
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