※鏡雨の続き
「空さんの代わりに貴女はいつも微笑んでいてください」
わたしの目の前に現れた少年は雨と共に去り、あれから三日経ったけれど少年の姿を見る事はなかった。
結局名前も何も、わからなかった少年。
少年の行方も気になる所だが、わたし達町の住民の今置かれている状況の中ではそうも言っていられない事態になっている。
わたしの住む町に、三日前から大きな月がどんどん近づいていっていた。ちょうどカーニバルが開かれる日にあの月がこの町に落ちてくる。と、にわかに信じられない噂話まで町中で持ち上がった。わたしももちろん最初は信じられなかったのだけれど。それでも時間は刻々と経ち、空に上っている月はどんどんわたし達の元へと降りてくる。見る度にその月は不気味な顔で微笑みながらカーニバルを迎えようとしているわたし達をあざ笑っているかのようにわたし達を見下ろしていた。
わたしは空を見上げ、憎しみ込めた目で月を睨みつける。
「もう、月が落ちてくるのも時間の問題なのかしら・・・」
常日頃耳にしていた噂はいつしかわたしの口からも紡がれる。そうして、噂はいつしか本当に起こる現実になろうとしていた。
それはちょうど三日前までの話だ。
あんなに迫っていた月はどこかへと消えてしまい、町は活気溢れるカーニバルが始まっている。ミルクバーではバンドの生演奏が始まり、踊り子がステージを舞う。そして今日無事に婚儀を開き、夫婦になる者もいた。
あの時に見た恐怖に引きつった顔をしていた市民の顔は実に晴れやかだ。幸せに満ち溢れ笑い声が耐えず町中に響き渡っている。
「なまえちゃんも踊りましょうよ!」
「わ、わたしはいいですよ!」
町を歩けば道行く人に話しかけられ、お酒を振舞われる。更には皆古の掟に従い、神々に祈りを捧げようと広場までやってきた。だが殆どの町の人間は酒に酔い、子ども達はきゃいきゃい楽しそうにはしゃぎ回っている。こんな調子じゃたとえお祈りをした所できちんと届くのかいささか不安だ。こんなふざけた態度で祈ってたら逆に神々を怒らせてしまうんじゃないかしら?と不思議に思う。
「(ふう・・・皆酔っ払いすぎよ)」
次々にわたしに襲い掛かる酒の誘惑の魔の手を振り切りわたしは自宅へと戻ってきた。住宅街の中にあるわたしの家の周りはしんと静まっている。殆どの町の人間がカーニバルの為、広場へ行ってしまったからだ。遠くではまだはしゃぐ人々の声が聞こえる。こりゃ夜まで続きそうね。ちゃんと夜眠れるのか心配だ。騒音で寝不足なんてご勘弁。
「・・・・・・・」
家の扉の前でわたしは立ち止まる。
それは前みたいに誰かが居たからではなく、反射的に。家の前に立つと何故かわたしはいつも足を止めてしまうのが癖になってきていた。
あの日デクナッツのボウヤがわたしの家の前にいた時から。ううん、ボウヤじゃない。緑の帽子を被った少年。
雨が降ったあの時現れた少年。雨と共に訪れた少年は晴れてからというものの姿を見せていない。わたしが見つけられないだけなのかもしれないけれど。あれからわたしは町に繰り出す時、少年が町のどこかにいるかついつい目で探してしまうのが日課になってしまった。
「結局今日も見つけられなかったなぁ」
今日もまた少年を見つけられず一日が過ぎようとしている。照り付けていた太陽は西に沈んでいき、あの時とは違う綺麗な輝きを放つ空が少しずつ顔を覗かせていた。
「(黄昏空・・・あの少年も今この空を見ているのかしら)」
朝と夜の色が入り混じる、雲一つない空色。
儚げな色をした空を見つめていると、胸の真ん中がぽっかりと穴が空いたような空虚感に陥りそうだ。
「空さん、笑っているね」
・・・ええそうね、顔を隠そうにも生憎今日は雲もない。空は無理をしてでも笑わないといけない日。泣いてもらっては困るもの。
少年の涙を思い出すと、空が笑っていてもわたしが泣いてしまうから。わたしが泣いているのに空が笑ってくれないと誰が少年の代わりに笑うのよ。
あの時に見た少年の涙。
彼は今頃どうしているのだろう。また一人で泣いているんじゃないかって思うと・・・ほら、またわたしの目に涙がどんどん溜まっていく。流れてくる涙を止めようとぐっと口に力を込め、絶えようにも今度は鼻水が流れてきそうになった。ずずっと鼻を啜ると、力が緩んでしまい結局わたしの目からぽろっと涙が落ちてきた。
「空さんが笑っている代わりにお姉さんが泣いているの?」
「・・・あ!!」
後ろから声をかけられわたしがゆっくりと後ろを振り向くとあの時の少年の姿があった。少年はあの時の姿を鏡に映した時と同じように目にうっすらと涙を貯めて、それでも口元は微笑んだままわたしよりも小さい体で上目遣いをして見つめている。
「わ・・・っ!」
夕日に照らされた少年の涙は持っている金の髪よりも綺麗で、神秘的で。わたしは声をかける事すらままならずただ見つめ返すだけで精一杯だ。見下ろすわたしの目をじっと見つめた少年は溜め込んでいた涙を一気に流すと、わたしの腰に勢いよく抱きついてきた。ぎゅうぎゅう締め付ける腕、押し付ける顔。温かい少年の手のひらの熱はわたしの服からじわじわと伝わり、背中に火がついたみたいに熱い。
「・・・どうしたの?」
「僕ね、大切な友達と今別れてきたところなんだ」
顔をわたしの服に埋めたまま、震えた声で少年は言う。か細い声に空いていた両手で少年の肩を掴むとわたしは少年の体を自分の体から剥ぎ取る。きょとんとした顔をしている少年の顔は泣いた目を向け黙ったままだ。目は真っ赤に染まり、まだまだ泣き足りないと訴えられているようで。たまらずわたしはしゃがみ込み少年の体を抱き寄せた。
「ごめんね、わたし、約束守れなくて・・・君の事思い出すと、笑いたくてもやっぱり笑えなくて・・・」
ぎゅうっと抱きつくと一気に少年のぬくもりを感じ、雨の日に起きた出来事が脳裏に反芻する。
あれからわたしは孤独と戦う少年の代わりに笑い続けようと誓った。なのに実際は笑えず少年の気持ちや情景を思い出すと、どうしてかすぐに涙してしまう日々を送ってしまっていた。
空が笑う時にはわたしが泣いて。
空が泣く時にもわたしは泣いて。
ずっとずっと泣き続けてしまった、わたし。
ごめんなさい、少年。
こんな大きな空の代わりなんて、わたしには壮大すぎて抱え切れなかった。君の代わりに笑おうとしても君の孤独を考えたら空よりも大きくて重みに絶えられず、毎日君を思い泣いてしまっていた。
「・・・お姉さん、僕の事ずっと忘れないでいてくれたの?」
耳元で少年が驚いた声を上げる。わたしはその言葉の意味がわからず抱きしめる力を強くしてしまった。
忘れないでいてくれたですって?
君の事を忘れるなんて、一日たりとも忘れなかったよ。忘れられる訳ないじゃない。
どうやっても忘れられなかったのよ。空を見るたび君の涙を思い出されていたから。
天高く上る太陽を纏いおめかしする空。
柔らかい光を携え別れを惜しむ黄昏空。
眠るように真っ暗に染まる、静寂の空。
ずっと空を見上げ、君の事を考えてばっかりだった私は君を忘れる事などできるはずもないでしょう?空を見上げるたび、君の深い空みたいな蒼が脳裏にちらついて仕方がなかったのよ。
まるで空が君を絶対に忘れるなと話しかけていたみたいだったもの。
「君を忘れるなんて事できないよ。君みたいな可愛い子、忘れたくても忘れない」
「・・・お姉さんもすっごく可愛いよ」
へへっと涙を誤魔化しあたしが笑うと君も笑う。おまけに殺し文句までぺろっと吐き出すもんだからわたしは照れてしまい恥ずかしくなり、少年から体を離しすくっとその場に立ち上がる。しかし少年は大きな蒼の双眼で、傍を離れるわたしを上目遣いでじっと見つめながらにこっと笑ってきた。
「僕は大切な友人を探している途中なんだ。その友達も・・・お姉さんみたいに僕の事ずっと忘れないでくれているかな?」
その友達と君が過ごした時間がどれだけの絆を生んだのか、第三者のわたしにはわからないけれど・・・この忘れっぽいわたしをこれほどまで印象つけてくれ一日たりとも忘れさせてくれなかった君だから、その友達は忘れたくても君の事を忘れられないんじゃないかしら。
「わたしが忘れられなかったんだから、その友達は君を忘れるはずはないわ。きっと君にまた再会できるのを待っていると思う。大丈夫よ、いってらっしゃい」
「・・・うん!」
とん、と背中を軽く押しわたしは町の出口へと体を向ける少年を前へ進めと促す。少年はこくりと無言のまま頷くと一歩、また一歩とわたしから遠ざかっていく。
「僕の事、忘れないでくれてありがとう」
少年はお礼にと、オカリナで音楽を奏でながら笑顔で町の外へと進む。その笑顔はどことなく「救われた」と言われているようで、儚げに鳴り響くオカリナの優しい音色と共に少年の姿は外の世界に消えていってしまった。
言いそびれてしまった。
「また帰ってきなさいよ」と。
でも言えなかった。
少年の奏でる切ない音楽が「もう君とは会えないんだ」と言われている気がしたから。
さよなら少年。
広がる空にはかなわないけれど、わたしは君が大切な友達に再会できるのを心から願っています。鏡空
(たとえ涙で瞳が滲んでも、空はわたしに君の悲しみを伝え続けていた)
時をさかのぼれば全ての記憶もさかのぼる。この世界の人間には僕の存在の記憶には残らない。
それでも君だけは、僕を忘れないでいてくれた。たとえ命を賭けても戦ってきた人生、自分が生きてきた足跡が誰の記憶に残らないと虚しさを妥協しても。
お姉さんがいくら僕が時をさかのぼっても、僕の事を覚えていてくれていただけで僕は救われたんだ。
ありがとう空さん。
いつも僕の代わりに泣いてくれて。
ありがとう空さん。
お姉さんに僕の存在をずっと伝えてくれて。
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