21時を過ぎると田舎の小さな本屋は目に見えて客足が遠のく。 その頃になればお客様は大抵片手に満たないほどで、独特の静けさに満たされる。 レジに立っていても店内をゆっくり見渡す余裕のできる、この時間が好きだった。
(そろそろレジ締め準備始めとこうかな……)
奥の事務所から出てきた店長が、明日入荷する商品のために場所空けを始めた。 あと30分で閉店時間。その後軽く掃除を手伝って、バイトの私は裏口から一足先に失礼する。
(あ、そうだ明日入荷のマンガ。一冊取り置きしといてもらおう)
「――あの、いいっスか」
入荷予定が書かれたボードをぼんやり確認していると、いつの間にかカウンターの前に人影があった。
「っ、はい!いらっしゃいま――……あ、」
あ。
振り向いて、その人の顔を見た瞬間。 思わず出てしまった素の声が、静かな店内で不恰好に響く。
目の前に、“あの子”が、いた。
「?あの、」 「――あっ!は、はい!なんでしょう!?」
うそ。うそ。うそ!なんで!! 内心の悲鳴をどうにか表情の下に押し込んみ、咄嗟に営業スマイルを浮かべる。 それでも背中がじんわり汗ばむのがわかってしまうほど動揺は激しくて、きっと笑顔は引きつっていた。
(いやでもこの様子だとこの子、気付いてない……?)
そう言えば昨日初めて会話した時は私、まだお化粧もしてなかったし。 と言うかそもそもこの子があのほんの数分のやりとりを覚えてるかどうかもわからないし!
(そうだ。向こうが気付いてないならこのままやり過ごそう――!)
決意新たに心の中で拳を握りしめ、改めて営業スマイルを作り直した、直後だった。
「………あ、昨日の」
(この子は!!また!!また私の希望を踏みにじる!!!)
鋭い目を猫のようにしぱっと瞬かせて、今気づいたと言わんばかりの顔で私を指さす。 淡い希望は一瞬にして砕かれてしまった。
「――っ、き…昨日はどうも〜!ええとそれで、何かご用でしたか?」
やっぱり居心地が悪くて、少し強引に話を戻してしまった。 その理由は、自分の中に日頃彼を盗み見ているという一種のやましさがあるからか。 ――それとも、いつも眺めていたその眼差しは、私に向けられている今でさえ、痛いほど真っ直ぐなのだと気が付いてしまったからなのか。 彼の視線に捉えられると、『捕えられている』と錯覚してしまいそうだった。
「先月出た雑誌の臨時増刊号なんですけど、他の店ではもう置いてなくて」 「雑誌のタイトルは何ですか?」 「『月刊バリボー』っていう、バレーの雑誌です」
『バレーボール』。 なるほど。思いがけないところで彼の部活が判明してしまった。 それに――
(この真っ黒なジャージ……烏野のバレー部だったのかぁ)
高校時代、私の一つ上の学年に、“小さな巨人”と呼ばれた選手がいた。 そう――私が烏野高校に通っていたのはまさに、烏野バレー部が強豪と呼ばれた世代。 彼の通称とその強さは、バレー部でもない私のような生徒にも浸透するほど鮮烈だった。
(……と言うことは一応、『後輩君』になるんだ)
いつもの早朝ランニングでは普通のジャージだったからわからなかったけど、そうか。後輩君か。 そう思うとなんだか急に親近感のようなものが込み上げてきて、他のお客さんがレジに来る様子がないのを確認すると、私は少し張切ってこぢんまりとしたレジカウンターの外に出た。
「うーん……あるとしたらこの辺りだと思うんですけど……」
スポーツ雑誌のコーナーを見渡す。 小さな本屋だから棚自体も小さく、簡単に見渡せてしまう。 けれどやっぱりお目当てのものは見つからず、私の後ろについてきた彼が半ば諦めたように小さく息をつくのが聴こえた。
「……やっぱ先月のとかだともう無理ですか」 「そうですね……うちは店自体大きくないんで、入荷数も少なかったでしょうし……」 「…………〜〜っ、わかり、ました」
消化しきれない未練を無理やり振り切るようにそう言って、眉間に皺を寄せた彼が小さく頭を下げる。 そのまま踵を返し、『烏野高校排球部』の文字をしょった背中が向けられた。 ――頭がそう認識した時には、勝手に身体が動いていた。
「 ――待って 」
私を振り向く、彼の目が見開かれる。 驚いてる。彼が――そして誰より、私が。 咄嗟に彼のジャージの裾を掴んで引き止めてしまった手を、大慌てでそこから引き剥がした。
「あ、の!……えっと!他の店舗に……っあの、系列の店舗が何軒かあって、そこならあるかもしれない、から……!」
いっそ笑えるほどにしどろもどろ。 そんな私の様子をみて、彼は呆気にとられたように、ぽかんとしてる。 その視線に耐え切れず、「ちょっと待って!」と言い残してカウンター内に逃げ込み、パソコンに飛びついた。
(『月刊バリボー』の、臨時増刊号……!)
ばくばくと忙しない心臓を無視して雑誌コードを探し、チェーン店の在庫数をチェックする。 そうすると、県内に1店舗、まだ在庫数が入っているお店があった。
「〜〜〜っ、店長!すみません、ちょっとレジお願いします!」
いいよー、と、店長ののんびりした返事があったのを確認して、勢いよく受話器を上げる。 その間も彼の視線が痛いほど注がれているのがわかって、私は意図的にそちらを見なかった。 必死になりすぎている自覚があった。
「――はい。はい、そうですか!じゃあ、一冊お願いします。ありがとうございます!」
(よかった…あった……!)
データ通り、私が電話したその店には在庫が残っていて、こっちに一冊送ってもらえることになった。 ほっと息をついて受話器を置き、ようやく彼を振り返る。 安堵と、少しでも彼の力になれたことが嬉しくて、つい表情が緩んでしまう。
「あった よ!」
そのままへらりと笑った私に、数秒遅れてキレのある動作で頭を下げた彼の、運動部独特の「ありがとうございます!!」が響きすぎて、レジにいる店長がビクリと肩を跳ねさせた。
(14.09.30)
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