――ヘリオボーグ研究所 総合開発棟13F
研究室の扉を開いた瞬間に、私たちは目を見張った。
「源霊匣セルシウス!?」
「うう……アア……!」
あの時に拳を交え、確かに化石と化して眠っていたセルシウスが具現化していたのだ。
しかも尋常ではない程の苦しみに悶え、言葉すら発せられない状態にまでなっている。
「一体、どうなってるの?」
「あれは僕の装置……! バランさん、これは?」
「それが――」
「きゃっ!?」
ジュード君の発明したという装置が、音を立てて形を消した。
傍に立っていた女性は確か……そう、マキさんだ。
装置が壊れたことにより、セルシウスを苦しめていた呪縛が解けたのか、彼女は息を切らしながらこちらを睨みつけた。
だがその視線はすぐに、マキさんへと移る。
「またか……また私を縛り付けるというのか、こんな機械で! 無理やりに!」
「ちょ、待ってセルシウス!」
「どけ、邪魔をするな!」
明らかにマキさんを殺そうとしているのを、邪魔しないわけにいかないでしょう!
「僕たちは君を縛り付けるつもりなんてない、だから――」
「では、今の装置は何だ! 私の自我を侵し、押さえ付け、意のままに操ろうとしたではないか!」
「え……操る?」
まさか、そんな装置をジュード君がつくるはずがない。
この状況では、セルシウスの言葉にウソがあるとも思えない。
ならば、一体――?
「……何度繰り返せば気が済むのだ。人間は……。」
「セルシウス……。」
悲しげな声を発したセルシウスだが、最後にきつく私たちを睨みつけた。
「私は――精霊はお前たちの道具じゃない!」
そして、重い言葉を浴びせ、彼女は姿をくらました。
……冷気に包まれていた部屋が、静かに戻っていく。
「……で、マキちゃん? どういうことか説明してくれる。」
静かになった部屋に、バランさんの問いただす落ち着いた声が響く。
どうやらこの騒ぎの原因は彼女にあるようだ。
セルシウスがきつく彼女を敵視していたことからも、推測は出来る。
「他に……、他に、どうすればよかったって言うんですかっ!?」
そして彼女もまた、それを認めた。
でも、この悲痛は私の胸には響きやしなかった。
「研究を進めるには、大精霊クラスの実験が必要! 先生もそう仰ってましたよね!? それに……先生の装置なら絶対に制御できると思ったから……。」
「それで、セルシウスの化石を使ったんですか?」
「誰にも相談せずに? 無茶苦茶だね。」
私は装置については何も知らない。
だけど、大精霊のことについては彼女よりも知っている。
彼女のしたことがいかに無謀なのかも、今の私にですら理解できる。
「ジュード先生のお役にたちたかったんです! 先生、この頃ずっと苦しそうで……私、どうにかしたくて……。」
「だからって勝手なことされちゃ困るな。一歩間違えれば、大惨事になるとこだ。いや、源霊匣セルシウスは姿を消してしまった。立派に事件だよ。」
マキさんなりにジュード君のためを思っての行動なのだろうけれど……。
思わず目を伏せてしまった。
「……バランさん、あの装置の臨床試験は中止しましょう。」
「……!」
「自我を侵され、操られる……か。気になっているのはそこだね?」
「僕の装置には欠陥があったんです。それがセルシウスを怒らせ、傷つけた。」
精霊は道具じゃない。
そう叫んだセルシウスの言葉がジュード君の胸にいたく突き刺さったのだろう。
私たちは、精霊と人とが共存する世界を作りたいのだ。これでは、意味がない。
「諦めていいのか?」
「ジュード、イッショウケンメーつくったんでしょ?」
ルドガーもエルも、以前から苦悩しているジュード君の姿を見ているからこそ、言葉を発した。
それは当然、共に研究しているバランさんが一番よく理解していることで……。
「よっぽどの決意でそう言ってるって受け取っていいんだよね。」
「僕は源霊匣を、精霊を道具扱いしてしまう装置をつくった。知らなかったとか、そんなつもりじゃなかっただなんて、言い訳にならない。」
ジュード君の、研究者としての発言に、私はただ責任を強く感じた。
なによりも、精霊を道具扱いするだなんてことは、彼らと変わらないのだ。
死闘をしたジランドとも、ミラを確かに道具と発言したマクスウェルとも。
私たちは、彼らと同じ道を跳ね除けてここに立っている。
過ちは繰り返してはならないのだ。決して。
「ジュード君、セルシウスを探そう。」
「……うん。ありがとう、ナマエさん。」
肩に手を置けば、その手の甲を撫でられた。
あまり表情にこそ出さないが、気が滅入っているのが分かる。
私には出来ることは限られているけれど、こうして彼が落ち着くのなら何度だってしたい。
ゆっくりと手を離せば、ジュード君は静かに部屋を後にした。
「先生……私のせいで……うう……!」
彼が静かに去っていた部屋に、マキさんの涙声だけが流れていた。
残った私たちは顔を見合わせる。
「……行こう。」
ルドガーの言葉で、ミラにエル、ルルが次いで退室していく。
私も同様に足を進めると、背中にあの時と同じ鋭い視線を感じた。
「なんでッ……!」
「?」
「なんで、研究のことも、何も知らないあなたがっ、先生の傍にいるんですかッ……!」
「マキちゃん。」
バランさんが牽制しても、彼女の嘆きは止まらない。
「私だって先生のためにって考えてっ、それなのにっ……! 先生の苦悩をどうにかしようって、思ってもいない人にッ、……何も行動すらしていないあなたが、どうして先生と!」
「マキちゃん、言い過ぎだ。」
……私の想像は、確かに当たっていた。
彼女はジュード君のことが好きなのだ。
私と同じように、彼を男として好いているのだと、切に伝わってきた。
研究者として彼女はジュード君のために必死なのだ。
私は、彼に付き添っているだけの女だと思われているのだろう。
「凄い言いようでビックリ。」
「っ本当の、ことじゃないですか……!」
「研究のことを知らないのは本当だね、それはマキさんの言うとおりだよ。」
私には装置のことなんて分からない。
源霊匣の可能性を見出したあの一年前の知識しかない。
どうやってジュード君が、ここまでの成功率を収めたのかも分かっていない。
「でもさ、それが何?」
「え……?」
「私は研究者じゃないもの、ジュード君のしている本質なんて分からないわ。」
「そんなっ……!」
「でも私は、ジュード君が懸命に研究に励む理由を知っている。研究者としての理由なんかじゃない、ジュード・マティスとしての強い決意を知っている。」
「先生じゃない、理由……。」
セルシウスの化石がここに渡った時、ジュード君の悩みを私たちは聞いた。
個人としての、研究者としての苦悩を聞いた。
「これはジュード君が自ら目指した将来よ、彼が初めて自ら決断した道。私はそれを、私なりに支持すると決めたの。」
「でも、だって先生は、…あんなに悩んで、苦しんで……!」
「ねえ、マキさんは毎日が楽?」
「え?」
「私だってまだ21そこそこしか生きてないけど、楽なことなんて少ないわ。楽しくても、面白くても、その反面辛いことが多かった。常に戦って、自分を責めて、どうして上手くいかないのか悩んだときだってあった。」
父の死もそう。
ユルバンの突然の脱退もそう。
ナコルの深々しい傷もそう。
去年の四象刃との激戦だってそう。
今だって、世界壊して、自分の世界だけを生かそうとしている。
「でも苦悩と戦って、その苦悩から支えてもらって、生きていくものだと私は思うよ。」
「なら、先生の苦悩はどうするんですか…どうして、先生はずっと……。」
「その苦悩に押し潰されないように、支えるのが周囲でしょう。」
私が、かつてそうしてもらったように。
「支え方なんてそれぞれ。マキさんがセルシウスを呼びだしたのも、その1つ。結果としてそれは失敗したかもしれないけど、ジュード君の装置に欠陥があったという事実を突き止めてくれた。」
「でも、実験が……!」
「ジュード君はここで諦めるような人物じゃない。私はそんな男を好きになったりなんてしてない。」
「ッ――……。」
「彼が諦めようとしたら、私は彼に刃を向く。彼と約束したの、彼が道を逸れそうになったら……嫌いって言うって。」
――あの前夜に、私と彼女と彼で決断をした。
私はそれを忘れやしない。
「私は、私の方法でジュード君を支えてみせる。それでも不満だというのなら、またぶつけてごらんなさい。」
「なんでそんなこと、私に……。」
「あなたも、ジュード君が好きなのでしょう?」
「!」
「……私もそうだから、分かるのよ。」
もうこれ以上話すことはない。
バランさんと軽く視線を交えて、部屋を退室した。
身体の向きを変えると、エレベーターの前で眉を下げた男が一人。
「……なんか、羨ましいな。」
「え?」
「ジュードがそこまで想われてるの。」
「……何言ってるの。ただの押し付けよ。」
ルドガーがまるで分からないと首を傾げた。
「昔のジュード君をまだみすぎているのかもしれない……。自分がするべきことが全然定まってなくて、頼りなかったのに、今じゃこんな立派な研究者だもの。」
毎日、何かしらと戦って、それでも彼らしさを失っていない。
昔も感じた男の子から男への変化に、私はまだ、ついていけていないのかもしれない。
「そんな昔の面影を抱いたまま、昔を引きづって彼を支えようとしているんだもの。酷い押しつけだと思わない?」
「思わない。」
「……あらま。」
そこまでキッパリ即答されるとは、思わなかった。
「前だって、ジュードのこと支えてただろ。昔を知っているからこそ出来たんじゃないのか?」
「……どうだろうね。」
「少なくとも、俺はジュードにナマエが必要だと感じた。ナマエは、確かにジュードを支えているよ。」
「……ふふ、ありがとう。ルドガー。」
盗み聞きは喜べないけど。
そう言うとルドガーは、うっ、と言葉を詰まらせた。
冗談だと、そんな彼に笑ってみせる。
「本当は、……。」
「?」
「……ううん、行こう。ジュード君たちが下で待ちくたびれてる。」
「あ、ああ。」
本当は、もっと彼を助けてあげたい。
でも、私にはできるほどの力量が無い。
研究者としての彼を支えられないのなら、個人としての彼を支えることしかできないのだ。
もっと、もっと幅広く、彼のすべてを支持できたらいいのに。
(思ったより、私)
(ジュード君のこと好きなのかもしれない)