ミラたちによって、アルクノアが壊滅された世界。
私たちが立っているこの世界は、そういう世界だった。
「いい? 私が協力するのは姉さんを助け出すまでよ。」
「う、うん……。」
「時歪の因子を壊したら、黒匣を捨てて立ち去って。」
「りょーかい。頼りにしてるぜ、ミラ。」
「馴れ馴れしいわよ。」
私たちは、そんなミラを騙して、共に霊山に向かっていた。
ミュゼが昔を変化したのは時歪の因子のせいである。それを壊せばミュゼは昔に戻ることができる。
つらつらと嘘を述べて、世界を壊すことを隠して協力を仰いだ。
「これで、良かったのかな……。」
ぽつりとレイアの声が耳に入る。
これに誰も答えられやしないのだ。
「ねえ、」
「ん?」
「……礼は言わないわよ。」
「え?」
急に、なんだろう?
「あの時……姉さんの攻撃、庇ってくれたでしょ。」
「あぁ、だって当たったら痛そうじゃない。」
「……変なの。」
「そう? ミラだってミュゼが攻撃されそうなら庇うでしょう。」
「当然じゃない!」
「それと一緒。」
「一緒って、立場が違うじゃない……。」
戸惑いを感じる言葉を無視して、私はただ歩き続けた。
後方を歩き始めたミラが、エルたちと会話しているのが耳に聞こえた。
霊山の頂上に到達したのは、それから数十分後だった。
何度昇っても険しい山道に魔物たち、いいウォーミングアップだね。
「ミュゼ、いた。」
目的とするミュゼは、頂上から天に向かって手を伸ばしていた。
何かを発しているけれど、その言葉は私たちの耳にまでは届かない。
「……姉さんは、ああして毎晩誰かに語りかけているの。」
「ミラたちのパパかも?」
「わからない。絶対に教えてくれないから。」
悲しげに、静かにミラがそう言うと、気持ちを切り替えたのか表情を硬くした。
「私が隙を作る。長くは持たないわよ。」
「……ああ。」
罪悪感に見舞われながら、ルドガーが声を出して頷いてくれた。
そっと、ミラが前に足を踏み出す。
「姉さん……。」
「社から先に来るなと言ったはずよ!」
「でも、気になって……姉さんが何をしているのか。」
「関係ない!」
「なんで? 昔は、何でも話してくれたのに!?」
「お前なんかに話すことはない! とっとと帰りなさい!」
「どうしてよ……どうして姉さんはっ!」
姉に嘆き、火の精霊術が放たれた。
一気に燃え上がるミュゼの身体に、当人も困惑している様子だ。
「これは……!?」
「今よ、ルドガー!」
「お前……私を裏切ったな!」
しかしすぐに状況を理解したのか、低い声が響き渡った。
火を振り払ったミュゼの顔は、今までに見た程が無いほどに異形なモノへと変化する。
これが、時歪の因子の姿……!
「姉さん、本当に……!? 化物ッ!」
「もう一度行ってみろ、人間が!」
震えるミラに、本気の彼女の殺気が当たる。
もうこれ以上は待てない! ミュゼを、壊さないと。
「ひっ……!」
「ミラ!」
「うぉおおおっ!」
エルはミラを、ルドガーはエルを助けるために駆けだす。
骸殻の力によって変化したルドガーの矛先がミュゼへと向いた。
「ミラのお姉さんが、変なのに……!」
「姉さんっ、……姉さんが……!」
「ミラ、戦えないなら下がって。」
「ッ!」
「ナコル、行くよ!」
「はいよっ!」
槍を構えて、ナコルと共にミュゼへと駆け出す。
後方からはアルヴィンの銃、レイアの精霊術が援護に回ってくれた。
「人間風情が……バラバラにしてやるッ!!」
「あン時よりも、ひっでェ顔してるぜ、ミュゼのやつ!」
「殺気は本物だよ。私たちも本気で行かないと……!」
「わーってるよ!」
ナコルと共に攻めて、油断したところをルドガーの鋭いハンマーが襲う。
間髪入れずに後方からの攻撃が連続し、ミュゼの態勢を崩した。
「ッわたし、だって……!」
「ミラ!?」
「姉さんを、取り戻すの……!」
「――……ミラ、力を!」
苦しいのは、ミラなのだ。
痛む心に叱咤をして、彼女と共鳴する。
どくりと心臓が高鳴った。
この共鳴で、私たちの偽りがバレるのではないかと。
けれどミラの強く哀しい瞳は、ただ愛しの姉だけを映していた。
「行くわよ、遅れないで!」
「分かってる――「リンクチャージ・デュオ!」」
「続けるわよ! ――「レイニースティンガー!!」」
「ルドガー!」
「ああ!」
「私だって……ッ三散華!」
ふらつくミュゼに、アルヴィンとルドガーの共鳴術技も襲い掛かる。
そこに、鋭いレイアの棍が強く入った。
「ぐゥッ……!」
「姉さんッ!!」
腹部を押さえ、膝をついたミュゼにミラが動きを止めてしまった。
剣をおろし、そっと姉に近づく。
「もう動かないで!」
「よくも……人間の分際で、よくもっ!」
「うぅっ!?」
「死ね! 死ねっ! 死ねッ!!」
「ミラっ!」
ミュゼが、近づいてきたミラに憎悪を込めて首を絞めてきた。
それに驚愕し、ミラは苦しそうにもがく。…ああ、みてられない…。
「ルドガー!」
「っああ!」
迷うことなんて何もなかった。
骸殻の力を発動したルドガーがミラを助け、再度交戦する。
また長い戦いになる――大精霊と三連続だなんて勘弁してほしい。
そう、思ってた。
「かはッ……!」
「姉さんが……悪いのよ。」
苦悩か、憎悪か、困惑をかみ殺したミラの声が、静かに耳に響いた。
「お……前……何か、に……。」
「お前じゃない! ミラよ!!」
「ミラァァアアアアアア!!」
「うぁああああ!」
ミラの刺した剣に、ルドガーの鋭い矛に、ミュゼの身体が震えあがる。
「姉……さん……。」
時歪の因子の壊れる音が聞こえ――
「ミラっ!!」
エルがミラに駆けより、その身体を抱きしめると同時に、時計の針は止まった。
未だ慣れない、不思議な感覚が全身を覆う。
けれどミュゼの姿はそこにはない。確かに、正史世界に戻ってきたのだ。
「……戻った……。」
「これで、分史世界が消えたのか。」
ミュゼとミラと、彼女たちの住む世界を、壊したのか。
ルドガーの手には、光る不思議な物体があった。
「それがカナンの道標ってやつか?」
「……たぶん。」
「悔しいほど綺麗ね。」
「ああ……。」
皆がやるせない思いで息を吐いた。
これを、一体何度繰り返せばいいのか。
「なんなの……今の?」
どうして……?
「どうなってんだよ……。」
「なんでアンタ、正史世界に!?」
「姉さんはどうなったの!?」
どうして、ミラがここにいるの。
だって私たちは、分史世界を、ミラを壊したはずなんじゃ……。
「何が起こったのか、説明してよ!」
「…………。」
誰もが驚愕した。
誰もが口を閉ざした。
誰も、口なんて開けやしなかった。
「君がいた世界は消滅した。」
そんな中で、ユリウスさんだけが口を開く。
重く、ハッキリと。ミラの鋭い瞳を見据えて。
「……良く言われるでしょ? 笑いのセンスがないって。」
「冗談じゃない。君の知っている街も自然も人も、すべてなくなったんだ。」
「……じゃあ、ここは何!?」
「君がいたのとは別の世界だ。」
「……姉さんは?」
「破壊した。」
「ッ! 冗談にもほどがあるでしょ!!」
「っ……。」
誰も悪くない。
でも、確かに、赦されない行為を行った。
ユリウスさんが、全てを背負うかのようにミラの拳をただ受けた。
ルドガーの辛さも、ミラの嘆きも、私たちの苦しさもまるですべて受け止めるかのように。
「ミラ、」
「一つだけ分かったわ……私を騙したのねッ!」
「……っ。」
悲痛な彼女の叫びが、私の頭で何度もリフレインした。
騙した。その通りだ。騙して姉も世界も、彼女の全てを奪い去った。
これが、世界を壊す重みなのだと、突きつけられる。
そんな重苦しい空気の中で、ルドガーの軽快なGHSの音が響いた。
「……。」
「まずいよ、黒匣は――。」
レイアが咄嗟に制止しようとするが、肝心のミラはひたすら現状を理解するので精一杯の様子だ。
ヴェルからの電話かもしれない。私はルドガーに出るよう促した。
ルドガーが無言で頷き、GHSを手に取る。
『ルドガー、無事? 壊せたんだね?』
相手はジュード君の様子で、この空気に似合わない明るい声が届く。
『こっちは平気。エリーゼもローエンも無事だよ。』
「任務達成だな。合流しようぜ。」
「うん……。」
どうすればいいのか。
答えが見つからないまま、私たちは足を進める。
エルだけが唯一、明るい声色で彼女に声をかけた。
「ミラも行こ。」
「…………。」
何が起こったのか。
震えた声で放つミラの言葉を、私たちもまた疑問に思い、下山し始めた。
姉を思う真っすぐな思いを利用した挙句、彼女を現実に叩きつける結果になった。
まさか彼女が正史世界に来るなんて、誰が想像したのだろう。
誰も、口を開こうとはしなかった。開けなかった。
ニ・アケリアに戻れば、ジュード君の目が大きく揺れているのがはっきりと映る。
当然だ。分子世界のミラが目の前にいるのだから。
一時離れていた仲間たちに詳しい事情を説明すれば、皆表情に陰りが生じた。
「ジュード君。」
「……ナマエさん……。」
そっと、不安げなジュード君の肩に手を置くと、眉を下げながら微笑を浮かべられる。
大丈夫だと、言葉にすらならない虚言が伝わってきた。
「分かったはずだ、ルドガー。こんな思いはしたくないだろう。」
ユリウスさんの厳しい言葉が、ルドガーにも私たちにも響く。
きっと、彼は何度もこんな思いを経験してきているのだろう。
「なるほど、そういうわけで連れが増えたのか。かなり興味深いな。」
嫌味な声色。
誰か、だなんて振り向かなくても分かる。
「リドウさんが、なんで!?」
「だって俺、分史対策室室長だから。」
「嘘!?」
でもこれには振り向かないと分からない!
リドウが、室長ってことは、私の上司……!? 嫌だ!
「嘘じゃないよ、残念だったねぇ。」
「む、むかつく……!」
「ああ、お疲れ、ユリウス元室長。道標の回収、ご苦労様。」
「お前と話す方が疲れる。」
ユリウスさんに度々突っ掛っているのは見たことは多々ある。
そして、これに冷たく返すユリウスさんもまた然り。
でも、今は流れる空気が違い過ぎる。
「ミラ様……。」
リドウに同行してきたイバルが、ミラを見た。
少なからず彼も、酷く動揺しているようだ……当然、だよね。
「何動揺しているんだ? ニセ者だぜ、アレ。」
「そんな言い方!」
「無礼だぞ!」
……イバル……。
「り、理屈はわかってる……。」
「ははは、ナイーブな若者たちだ。ああ、ユリウス元室長は、こういう若者の邪魔が趣味だったな。」
「リドウ!」
何かを牽制するように、ユリウスさんが声を荒げる。
しかしリドウはいかにも愉しげに、口角を上げて言葉を放った。
「例えば、ルドガー君が入社試験で不合格になるよう仕組んだりさ。」
「!?」
「えっ、」
「あ、あれは……。」
嘘。ユリウスさんが、ルドガーをわざと落とした……?
そんなバカな。
――けれど確かに、彼はあの時「これで良かった」と言った。
安堵したように。あれはいったい何を意味していたのか、今ならなんとなくわかる。
「さて、室長として命令するぞ、ルドガー君。ユリウスを倒して、カナンの道標を回収しろ。」
「リドウ!」
「ッ……!」
「ルドガー、……俺を信じてくれ。」
ルドガーの残酷な言葉と、ユリウスの悲しい言葉を受けて。
ルドガーはどうしてこんな選択ばかり迫られるのだろう。
「リドウ、あなたって人は!」
「ああ、君にも命令してあげようナマエちゃん。」
「お断りするわ。そもそも室長とか認めてないし。」
「だが決定事項だ。」
「仮にそうだとしても、言って良い命令と悪い命令があると思いますけど。」
「世界を壊せというのは言って良い命令なのかい?」
「ケンカ売ってるワケ?」
「怖い怖い……さて、どうする、ルドガー君?」
本当にこの男は……!
(世界を壊すのに、良いも悪いも、ない)
(それをルドガーの前で言うなんて)
(やっぱりこの男サイアク)