スラブ | ナノ

「安室くん、君の活躍は彼らからよく耳に届いているよ。」


安室は、口元が緩くなるのを懸命に抑えていた。
先ほどまで若槻に迫っていたソファには、ガタイの良い中年の男が座っている。目尻の皴が深くそれだけを見ると温厚な人物に映るが、同時に眉間によって深々強い皴が、彼の人物像を彷徨わせた。


「初めまして。ツェンダーだ。」


差し出された手は厚く、拳銃に常に触れていることを推測される肉刺もたくさん目立つ。安室はその手を握った。相手の口元が深く歪む。


「冴が何度も君のことを推すから、どんな男かと楽しみにしていたが……見かけによらず『デキる』ようだな。安心したよ。」


ツェンダーが横目に見る女――ようやく名前が判明した――若槻冴が薄く微笑みながら頷く。


「透、彼が私たちの統領よ。」
「まさか初対面が冴の部屋というのは思いもよらなかったがな。ハハハ。」
「彼女には良くして頂いています。お会いできて光栄です。」
「ぼくもだよ。」


何度も会いたいと願っていた組織のトップが、今目の前にいる。彼は目尻の皴をさらに深めた。手を離すと、筋肉質なその腕を組んでちらりと冴を一瞥する。そして少し気まずそうにこちらに視線を映したために、安室は彼が何を考えているのかを察した。


「ああ、すみません。彼女に用があったんですよね。」
「あらやだ、そうなの?」
「では、僕はこれで失礼をいたします。」
「すまないな、安室くん。」
「いえ。」


安室は立ち上がる。2人の視線を受け止めながら扉に近付くと、ソファの軋む音が聞こえた。どうやら2人も立ち上がったらしい。ツェンダーはドアノブに手を伸ばそうとした安室を呼び止める。


「安室くん。」
「はい?」
「君、お酒は飲めるかな?」
「お酒ですか……ええ、人並みには。」
「そうか。では今度ゆっくりと杯を交わしながら話そう。」
「ええ、喜んで。ありがとうございます。」


統領である彼の気遣いに微笑みながら、安室は部屋を後にした。
彼が立ち去ったのを確認して、冴とツェンダーは再びソファに腰を下ろす。


「なるほど、面白そうな男だね。」
「優しいし、強いのよ。組織には必要なタイプね。」
「冴が褒めるのなんて、篠河以来じゃないかな? 珍しく彼女も彼のことを褒めていたよ。不器用な言い方だったがね。」
「ふふっ、シーちゃんらしいわ。」


赤茶の、ぶっきらぼうな彼女のことを思い浮かべながら頷くと、ツェンダーの表情は柔らかくなる。大きな手は、冴の頭に乗せられた。不思議そうに見つめてくる彼女へ向ける瞳は、酷く愛のこもったものだった。


「それで、要件ってなあに? 『パパ』。」


――冴の部屋を後にした安室は、道中で出会ったスレイプと酒を交わしていた。そこで衝撃の事実が耳を通る。


「若槻冴とツェンダーが親子?」
「そ。カシラの名前はツェンダー・若槻だ。母親が日本人だったとさ。」
「……だったとは?」
「ああ、もう亡くなったって話だぜ。」
「そうなんですか。」


まさか、若槻冴が組織の統領と親子関係だったとは――。
だから、組織のメンバーはみな彼女に頭を垂れるのか。だから、彼女の機嫌を悪くしてはいけないと忠告を受けたのか。

ようやく合点がいった。
安室は瞼を閉じて酒を口にする。ほろ苦い風味が口の中で広がった。


「ま、親子って言っても、血は繋がってないけどな。」
「え?」
「そりゃそうだ。あくまでも娘としてツェンダーが拾ったのが、嬢なんだよ。」
「拾った?」


思わず、疑問形ばかりが続く。スレイプは首ばかりをかしげている安室に、歯を見せながら笑う。グラスに溜まっている酒を一気に飲むと、その勢いの良さに器官が悲鳴を上げて噎せた。安室は苦笑を浮かべ、丸まる背中を優しく摩る。


「サンキュー。ちょうど一年前だったかなァ、東京で大雪が降った日があったろ?」
「ええ。憶えていますよ。交通機関が麻痺してニュースになりましたよね。」
「その日、取引先に珍しく赴いたカシラの帰りが遅くて、俺らは心配しててな。兼田のヤローが一緒だったから何事もないと思いつつも、迎えに行くべきか悩んでたんだ。」


兼田のヤロー、ですか……。
そこに突っ込もうとする安室だったが、おそらく篠河と同様に彼のことを毛嫌いしているだけだろうと察して口を閉ざした。


「予定よりも1時間過ぎたころだった。俺らが迎えに行こうとした瞬間に、不機嫌な兼田のヤローが扉を荒々しく開けてよォ。」
「荒々しく、ですか。珍しいですね。」
「はは、だな。その後に、カシラが入ってきたんだ。」


スレイプは、当時のことを思い出すように瞼を閉じた。そしてゆっくりと再び、唇を開ける。


「武器と葉煙草しか掴まなかった手に、ボロボロの嬢を繋げてな。」


しんしんと雪の降る深夜。荒々しく開けられた基地の扉。
珍しく酷い形相を浮かべて、何も口を開くことなく奥へと消えていく兼田の姿に、目を見張る。まさかカシラに何かあったのでは――そう危惧して慌てて玄関へ視線を戻すと、兼田とは打って変わり、穏やかな顔つきのツェンダーが姿を現したのだ。

頭にも、肩にも、何センチもの雪を積もらせていた。大きな手には、小さな白い手が重なっており、別の意味で驚愕したのを覚えている。


『お前たちに、紹介しないとな。今日から新しく加入するオレの――ぼくの娘、冴だ。』


不安そうに瞼を伏せ女性――とてもじゃないが、犯罪とは無縁そうな無垢な瞳に息を呑んだ。あの篠河でさえ、目を丸めていたのだ。

若槻冴。ツェンダーと同じ姓を持つその女性は、組織の面々の危惧を容易く消滅させた。翌日に見せた姿は、弱弱しい姿ではなかった。勇ましく、明るく、尚且つ残虐な瞳を持っていた。


「翌朝、俺たちの前に姿を現した嬢が、なんて言ったか想像つくか?」
「そうですね……定番に、よろしくでしょうか?」
「ははっ、そうだったら可愛いもんだゼ。」


大広間の扉を開け、ツェンダーの後ろについてきた冴は凛々しかった。その背中にはライフルを背負っており、幹部一人ひとりに鋭い眼光を送った後に口角を上げたのだ。挑発的に笑みを深め、


『これから幹部として組織に貢献するわ。ひとまず、今日の取引先を壊滅してくるから着いてきてくださる?』


そう放ち、言葉通り、ライバル組織を壊滅させたのだ。女性らしい蠱惑的な言動で相手のボスに近付き、伸ばされた汚らしい手を捻りあげて、眉間に銃口を突き付けたあの情景は、忘れられないほど衝撃的だった。


「ま、あの実力には俺たちも口を閉ざしてよ。兼田は、敵組織のボスにすぐ接触できた手際の良さを褒め、篠河はライフルの射撃技術を認めた。」
「それで、簡単に幹部へ?」
「ああ。実力もあり、カシラの推薦もありで、反対なんてできなかったからな。」


今まで謎に包まれていた女の実態が明らかになり始める。会うことすら叶わなかった組織のトップとも接触することができたことは、多大な成果だ。ここに潜入してから既に半年が過ぎた。着実に、確実に組織の中枢へ潜り込めていることに、安室はほくそ笑んだ。

そしてこの時、不思議なことに、此処での生活はあと少しであると直感的に感じていた。




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