スラブ | ナノ

その日は、朝から騒々しかった。充てられた部屋の中で、ふと目を覚ます安室は体を起こす。複数の足音が廊下を走っていた。何事だろうか、今日は何も作戦はなかったはずだが――そんなことを考えながら、備え付けられている洗面所で顔を洗う。青い歯ブラシで歯を磨きながら、飛び跳ねている髪の毛を直していると、扉が叩かれた。

ダンダンダン、と荒々しく落ち着きのないノックオンに、自然と眉間にしわが寄る。口に含んでいた水を吐き出して、歯ブラシを所定の場所に置いた。椅子の背もたれに掛けていた白いシャツを手に取り羽織ると、未だに振動している扉を開く。


「朝から一体、何事ですか……。」
「アホゥ! 出てくるのが遅いぞ!」


そこには、いつも頭に被っている黒いハットを握りしめているスレイプがいた。扉を開けると同時に勢いよく怒鳴られる。普段であれば呆れながら弁明していたところだが、スレイプの表情に思わず口を閉ざした。

今までになく険しい顔立ちに、額には汗が流れている。それは、事の異常性を示していた。閉ざされた口の中が一気に乾燥する。


「何があったんです。」


真剣に、短く問えば、スレイプは深々敷く皴を寄せながら、自身を落ち着かせようと深呼吸をして静かに答える。


「嬢が、捕まった。」
「……え?」


高速道路を車が爆走する。

メーターが法定速度を裕に超えていることも気に留めずに、次から次へと車を追い抜いては進んでいく。ハンドルを切っている安室は歯を食いしばりながら、ただ正面を向いていた。隣には深々敷くハットをかぶり、落ち着かないように貧乏ゆすりをするスレイプが。後部座席には、瞼を閉じてライフルを抱く篠河の姿があった。


「――ここを抜ければ、浅草スカイコートまで10分程で到達します。」
「オメェのドライブテクニックには、脱帽するぜ……っう、気持ち悪ィ。」
「これぐらいの走行で、情けないぞスレイプ。」
「るっェ。」


静かに、淡々とした会話が荒々しく動く車内で紡がれる。身近な会話が途切れると、再び静寂が支配する。安室は、車を爆走させながら振り返っていた。


「冴が捕まったですって? どういうことです?!」
「オレもさっき知ったんだが、どうやら昨夜急に任務に出たらしい。」
「昨夜って……。」


脳裏に、冴とツェンダーと短いながらも過ごしたことを思い出す。きっと、あの時ツェンダーが部屋を訪れたのが、急な任務の提示だったのだろう。あの時、自爆を覚悟で盗聴器でも仕掛けておけば……そんな後悔すら過る。


「ウチの組織が、武器を取り扱っているのは知っているな?」


ぽろりと以前、スレイプが口を割った後、正式に安室にもこれに関連する任務が与えられていた。この組織の流通について理解ができ始めてきたところだったのだ。スレイプの確認に、安室は何も言わず頷く。


「麻薬と武器。これを買ってくれる組織があったんだ。兼田のヤローがその組織と長いこと商談をしていたんだが、昨夜になって『取引を実行したい』と向こうから連絡があったらしくてな。」
「それでなぜ冴が?」
「ホッホー。私が頼んだんですよ、彼女は有能な人材ですから。」


音を立てずに、別の声が響く。2人の視線が横へ動くと、そこには悠々と近づいてくる兼田の姿があった。決して焦ることなく堂々とした姿に、スレイプは苛立ったように舌打ちをする。


「兼田……。」
「貴方が交渉していた相手に、なぜ冴に行かせたのですか?」
「先方は我々との取引に応じてくれるとのことでした。我らが統領ツェンダーとの面会を求めていたのですが、易々と彼を合わせるわけにはいきません。」
「統領の娘であれば、文句は言われないと?」


安室の言葉に、兼田のメガネがきらりと輝く。レンズ越しに、細い瞳が眼光鋭く変化したのを正面から受け止めた。隣では気まずそうにスレイプが視線を泳がしていたが、兼田は彼を一瞥しただけだった。ブリッジを小指で押し上げながら、口角を歪める。


「ホッホー? ご存知でしたか。ええ、ええ、いかにも。」
「それがこの結果ですか。」
「安室クン、君は何か勘違いをしている。」


勘違い?
安室と兼田が対峙する。


「我々は組織です。彼女が統領の娘に酷似していようとも、あくまでも彼女は他人でありここの幹部なのを忘れてはいけませんねぇ。」
「……。」
「統領の娘であり組織の幹部が取引の場に赴く。何が起こっても組織の統領が死ぬことはない。リスクを避けた選択をするのが私の仕事なのですよ、ホッホー。」


逆光でその瞳の色は分からない。彼の変わらぬ憎らしい声色にスレイプは拳を震わせた。今にも飛びかかりそうな勢いを牽制するように、安室は彼の肩を軽くたたきながら、一歩前へと足を進める。


「取引現場はどちらです。」
「それを聞いてどうするのですか? 安室クン。」
「助けに行くに決まっているでしょう。」
「どうやら君は彼女にご執心のようだ、それが組織としての輪を乱すことを理解しているのでしょうかねぇ、ホッホー?」
「組織として、誤った判断をしているのはどちらでしょうか。」


ぴきり、と無表情だった兼田の眉が動く。安室は普段と変わらない穏やかな笑顔を浮かべ、片手をズボンのポケットに突っ込んだ。飄々ともう肩をすくめる。


「統領の娘を単身向かわせる時点で、先方は違和感を覚えるはずです。ただの駒なのだと憶測されてもおかしくはないでしょう。ここで我々が救出に行かなければ、彼女は表向きだけの生贄なのだと察されてもおかしくはありません。」


安室は瞼を閉じる。


「ブレーン、と称されている貴方にしては浅はかな対応ですね。」
「ホッホー……随分と、生意気な口を利くようになったのですね、安室クン。幹部に昇進したからといって、貴方が我々の中で最も発言権がないことを理解していないようだ。」
「重要なのは滞在年数ではありませんよ。組織とは、そういうものでしょう? 我々みたいに、黒い手のものは尚更だ。」


淡々と、それでいて敵対心剥き出しの対峙を切り裂いたのは会話の中にも出てきた存在だった。


「そこまでだ、兼田。安室くん。」
「……統領……。」


昨夜見せた、穏やかな表情とは言って変わって、まるで戦場へと思向いているかのような形相で統領であるツェンダーがやってきたのだ。後ろには武装している篠河が控えている。スレイプは慌てて姿勢を整えた。


「くだらない言い合いをしている暇はない。アイツらは冴を捕らえてオレを釣ろうとしているらしい。クソの考えることだ、オレ諸とも組織の壊滅を望んでいるんだろうさ。」


初めて会ったあの時の穏やかさを感じさせない口調に、安室は内心でこれが本当の姿なのだろうと納得する。


「安室くん、スレイプ。冴を救出し、クソ共を逆に潰してきやがれ。」
「ら、ラジャー!」
「承知いたしました。」
「兼田、テメェも行け。」


視線だけで人を殺せそうなほどの威圧感が兼田を襲う。思わず瞠目する兼田だが、すぐさま普段通りの飄々とした無表情に戻った。


「しかし、私が出れば貴方を護る人間がいなくなりますよ、ホッホー。」
「ならばアタシが出る。」
「篠河……。」
「それなら文句はないだろう、兼田。」
「貴女が行けば、作戦の勝率は大幅に上がりますね、ホッホー。」
「よし。篠河、好きなブツを持っていきな。」
「了解。」


篠河はすぐさま踵を返す。恐らく武器庫へと向かっているのだろう。歩きながら背負っていたライフルケースを下ろして中身を開ける。中からライフルを取り出すと、通りすがりの部屋を開けてそこに投げる。空になったケースに、別のものを仕込むのであろう。


「兼田、テメェはオレと一緒にクソ共を曝す準備するぞ。」
「ホッホー。ええ、ええ。大きな花火でもあげて、壊滅して差し上げましょうか。ホッホー。」


そしてツェンダーが背中を向ける。


「安室くん、スレイプ、頼むぞ。」
「お任せください、カシラ!」
「ご期待には応えましょう。」
「冴が戻ってきたら、約束の杯でも交わそうじゃあねェか。」
「ええ、ぜひ。」


ふっと、ツェンダーが笑う。言葉は続けることなく大きな体は歩き出した。兼田もまた一歩続くように足を伸ばすが、顔だけをこちらに向ける。途端、スレイプは酷く嫌そうな表情を浮かべた。


「なんだよ……。」
「ツェンダーに感謝するのですね。せいぜい、巻き添えを食らわないようにすることですよ、君たち。ホッホー。」


それだけを告げて、兼田もまた奥へと消えていった。残された2人はその消えゆく背中を見つめ、すぐに向き合う。スレイプはハットを頭に乗せた。


「すぐに準備をしてくる。車を地下に用意させておくからすぐに来いよ。」
「ええ、分かっています。そうだ、場所は?」
「浅草スカイコートに隣接している古いビルだとさ。」
「浅草……なるほど、運転は任せてください。最短距離で向かいます。」
「期待してるぜ。」


自室へと駆け出すスレイプを見送って、安室は自室へと戻る。壁にかけられた鏡に視線を向けると、瞳孔が開ききっている自分の顔が映った。ゆるり、と唇が歪む。先の会話の中で、これを抑えるのが大変だったのだ。額に流れる冷や汗はいつから流れ出たものか。


「ようやく理解したぞ――。」




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