HAS | ナノ
悪魔の囁き

手紙に書かれた狂気の言葉。
日常を暴かれた盗撮の写真。
倫理観の欠如した異物。

ナマエさんは、一体どれだけ耐え忍んできたのだろう。いつから一人で怯えて、堪えていたのだろう。こんなことなら、無理やりにでもあの扉を開かせて話を聞き出せばよかった。大人しく待っていた、身を引いたこちらの失態だ。

金塚孝長。
以前、愛らしいドレス姿を披露してくださったナマエさんを迎えに来ていた男だ。役職の通り仕事も出来て周囲からの信頼も厚い。ナマエさんの教育係にも就いていた男。
――僕のナマエさんに、堂々と惚れなおすと確か言っていたな。

「どうして会えないんですか!」
「で、ですから金塚は多忙でして……」
「緊急のお話なんです! 通してください!」

やはりアポなしでは無理か。千奈さんのお陰で内部には入れたものの、肝心なところで足止めを食らっている。せめて伝言一つ伝えられれば、こちらへ赴いてくれるはずだが……。

「騒がしいと思えば、ナマエくんの後輩か」
「金塚課長……!」

なるほど。自分から来たか。面白い。

「おや、そちらはどなたかな。部外者を連れてくるとは……玉垣くん、彼女の教育が甘いとは考えたくないのだが?」
「ッ課長が!」

声を荒げる千奈さんをまずは落ち着かせる。ここで堂々と放つ言葉ではない。にしても、僕のことはさも初めましてとするつもりか。

「お仕事中に失礼いたします。ミョウジナマエさんの件で、大事なお話が」
「……ほう? 良いだろう。こちらへ」
「金塚課長、宜しいのですか?」
「構わん」

金塚に連れられて、部屋へと通される。先程から千奈さんは今にも殴りかかりそうな勢いだ。どこまで千奈さんを連れていくかは、慎重に考えなければならないな。

対面しているソファに座る金塚。我々にも掌を向けてくれたが、こうして立っている方が何かと楽だった。そもそも、長居をするつもりはない。

「それで、何のご用件だろうか」
「単刀直入に言います。彼女の行方を知りませんか」
「……」

表情一つ変わらない。こうして行方を聞かれるのは想定内なのか。少なくとも、驚かないところを鑑みるに、何かしら関与していると見ていいだろう。

「ッ課長がナマエさんを誘拐したんじゃないですか! あんな手紙送りつけて!!」
「……」

……。少し、眉が動いたな。

「千奈さん、ここは僕に」
「でも! ……っはい……」

金塚に改めて向き合う。この男が覚えているのかはどうでもいいが、どの道名乗るのは大事だろう。僕が探偵と伝えた時の反応も見てみたい。

「僕は安室透といいます。探偵をしておりまして、ナマエさんとも深い交友をさせてもらっています」
「話を纏めると、ナマエくんが誘拐されて、知人の探偵である君が出てきたと」
「そういうことです」

金塚の吐いた溜め息の真意が計り知れない。

「貴方は、彼女へ強い好意を抱いていたそうですね」
「ナマエくんは非常に優秀な人間だ。それでいて、愛らしく女性としての魅力も溢れている」

分かる。それに関してだけは、理解できる。

「確かに、私は彼女へ好意を寄せているよ。何度も逢瀬も重ねて、良い雰囲気といったところかな」
「どこがですか! この間、課長がいらした際にナマエさんの様子可笑しかったんですからね!!」

千奈さんが言っていた、慌てて扉から出てきたという件についてだろう。金塚は口元を緩めながら、瞼を閉じた。余裕綽々といった様子だ。

「彼女が悩みを打ち明けてくれないから、どうしたものかと思ってね。少し意地悪をしてみただけだ」
「どのような?」
「君に言う必要があるかな」
「では、僕から言いましょうか」

封筒を金塚へと差し出す。ぴくり、と再び眉が反射的に動いたのを確認できた。隣から覗き込んだ千奈さんが「これは何ですか?」と疑問を浮かべる。

「貴方は、彼女が被害に遭っているのを知っていましたね」
「え?」
「知りながら、むしろこれを利用した」
「ま、待ってください安室さん! 知っているも何も、犯人は金塚課長じゃ!」

千奈さんの言葉に首を横に振って応える。千奈さんは訳が分からないと、何度も僕と金塚との顔を交互に視線を変えて、ようやく僕が置いた手紙へと落ちた。ゆっくりと細い指が伸びる。

「『ナマエくん、君が悪質なストーカー行為に心傷ついているのは知っている。これに今まで耐えてきていたことを考えると、私まで酷く苦しい思いだ。どうか、私に君を助けさせてほしい』? なんですか、これ……?」

数多もの白い封筒の中に混じっていた、異種の封筒。大きさも、中に差し込まれた便せんもこちらの方がきちんとしている。今までのは、市販のコピー用紙か何かだろう。

「『助けるためにも、どうか受け取ってほしい。きちんとした物は勿論、改めて正式に贈らせていただこう』……って……指輪ぁ!?」
「ナマエさんとの交際及び結婚。これを条件に、貴方はナマエさんを助けるのだと、この手紙に明記していますね」

今までの白い封筒の送り主では、ない。

「何故、それを君が?」
「残念ながら、他に埋もれていましたよ。彼女は途中から白い封筒を手にするのも恐れて、ポストを確認していなかったようです」
「……なるほどな」

千奈さんの小さな体が震えている。当然だろう。自分が気付けなかったことを悔やんでいたのに、知っていて放置している人間がいたと知れば怒りが込み上げるのも無理はない。
ましてや、好きだからとこの状況を利用するような男が目の前にいたんじゃ、千奈さんの心境も計り知れないな。

「ナマエさんを返して……。返してくださいよお!!」
「千奈さん……」
「どうしてこんな酷いことできるんですか! 好きならどうして真正面から行かないんですか! どうして、ナマエさんを追い込んで……どれだけナマエさんが怖い思いをしてきたか…ッ……どうして……」

止まっていた涙が溢れだす。ナマエさんがどれだけ、千奈さんに愛されているのかが良く分かった。手紙をくしゃりと丸めながら、嗚咽を漏らす千奈さんの背中に手を添える。

「日頃気丈な女性ほど、弱った姿は甘美に映るものだ。弱り切った花びらを支え、復活させてこそ愛は根深く濃いものになる」
「弱みに付け込んで手にするほど、虚しい関係はないと思いますけれどね」
「感性は人それぞれさ。なるほど、彼女の様子がやけに異常だったのは、その手紙を見ていなかったからか。……残念だな」

金塚は立ち上がり、窓辺へと向かっていく。言葉では残念だと告げても、感情が伴っているようには見えない。どこまで、この男は知っているのか。

「貴方は、知っているんですね。ナマエさんを誘拐したであろう犯人のことを」
「待って、ください……。こんなの、課長の自作自演ですよ……!」
「いいえ、それはないでしょう。犯人は自宅ポストへ直接同じ封筒を投函し続けていますが、これは郵便で送られており且つ分かりやすく名前まで書いてある」
「そんなの、使い分けてただけじゃ……。職場に来たことだってありますし……」

そうだ。それが気にかかる。
今まで通りポストへ投函して忠告すればよかったはずだ。何かを焦って、確実に目を通させるためにしたのか。それとも、別の意味があったのか。

「手紙に助けると明言している以上、心当たりがあるのでしょう。貴方の手紙は届いていない。ここまで来て、あえて黙る必要もないはずだ」

そもそも、どうしてナマエさんが被害に遭っていると知ったのか。きっかけがあったはずだが、これも不透明だ。

あまり悠長に滞在はしたくない。今もナマエさんが真犯人に誘拐され、手を出されている可能性だってあるんだ。

「……誤算だったな」
「……」

金塚がようやく口を開く。焦る自分の気持ちをぐっと堪えて、相手の続く言葉を待った。

「世の中には悪魔がいてな、囁いてくるのだよ。『好きな女が欲しいなら、協力しろ』と」

犯人だ。直接交渉をしに行ったというのか? 大胆だな……。
まさか犯人と直接関与があったとは想像もしていなかったが、これなら早くナマエさんに近付ける。

「当然何故かと問う。すると悪魔は不機嫌に顔を歪めて、何と言ったと思う?」
「さぁ。どのように?」
「『邪魔だから』」

邪魔?
ナマエさんを恨んで、金塚へ接近したということか?

「残念だが、ナマエくんが誘拐されたのが誰の仕業かは分からない。あの悪魔かもしれないし、私へ声を掛けたように他の人間を誘った可能性もあるだろう」
「大好きなナマエさんが攫われたというのに、冷静でしたね。今も、自分から動こうともしない。悪魔の正体も教えるつもりがありませんね」
「正体も何も、知らないからな」

……これ以上は意味がないか。

「では最後に。悪魔が他の人物へ声を掛けるとすれば、誰だとお考えですか」
「……私のように彼女へ心酔し、行動力のある男ではないかな」
「そうですか。お手間を取らせました」
「安室さん!?」
「行きましょう、千奈さん。今はナマエさんを探さないと」
「……はい」

分かっています。今すぐこの男を警察へ突き出したい思いでいっぱいなんでしょう。ですが、優先すべきはナマエさんの安全……。

限りない情報で、考えるんだ。悪魔とは誰だ。彼女を邪魔だと思っている人間は誰だ。もし、その悪魔が声を掛けるなら……。

「そういえば、千奈さんはナマエさんと待ち合わせをしたと仰っていましたよね」
「はい。ナマエさんが大事な手帳を職場に忘れていて、これを届けるために」
「手帳?」

千奈さんがちらりと見せてくれた手帳は分厚く、何度も取り扱っている解れがあった。何でも、仕事上必要なものであり、常に携帯しているものらしい。

「一部のお客様や、今回の企画に関することとかも載っているんです。あ、中身を知ってるのは私とナマエさんだけなので、内緒ですよ?」
「忘れ物を千奈さんが気付いて、届けるために連絡をされたんですね」

車のエンジンを掛けながら、行先を思案する。彼女の職場に行ってみるのも良いかもしれないが……。

「いえ、私ではないんです」
「え?」
「他の職員が気付いて、すぐ届けた方が良いんじゃないかって」
「何故、千奈さんが受け渡しを?」
「え、さあ? やっぱり親しいからでしょうか」
「……」

何かが、引っかかる。だが情報があまりに足りない。

「ナマエさんの家へ行きましょう。何か手掛かりがあるかもしれない」
「……ナマエさん、どうか、どうか無事でありますように……!」




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