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時すでに遅し

企画は順調に進んでいった。
ありがたい。高砂子さん神様に見えてきた。異動してきてくれて本当にありがとうございます。もはやリーダーは私ではなく、高砂子さんだ。

「今日はこの辺にしておくか」
「はい。遅くまで助かります」
「おいおい。いつも残っているのはミョウジだろ?」
「要領悪いので」
「お前が悪かったら、他の連中が可哀想なレベルに落ちるぞ」

今日は23時半には家に着けそうだ。早く帰って、明日に備えよう。

「送っていくぞ」
「いや結構です」
「ん?」

しまった。まるで安室さんに言うようにバッサリ断ってしまった。
これには高砂子さんも目を丸めて、まさにきょとんとしている。というか、安室さんはもう違う。要らないし、脳裏に浮かべつ必要もないんだ。危ない、危ない。

「あ、えっと……すみません。実はコンビニ寄りたくて」
「なんだ。別に付き合うぜ?」
「さすがに夜も遅いので……はは」

言いながら、やっぱり付いてきてもらった方が安心できる気がしてきた。

「あー……やっぱり、送ってもらっていいですか?」
「そりゃ勿論」
「コンビニは明日でもいいかなって」
「だな。懸命な判断だと思うぜ。ここら辺って治安悪いからなぁ」

ですよね、私もそう思います。
会社を出て、まず前後左右を確認してしまう。相手は手練れなのか、私が初心者だからか、全く姿が見えない。でも、写真は収めてきている。会社から出た写真、帰路の途中の写真、休日出掛けた写真、家に入る写真。あらゆる箇所にまで犯人は近寄ってきている。

「確かミョウジの家こっちなんだよな?」
「え? ええ、そうですけれど……」
「玉垣と同じ方面なんだろ?」
「あ、ああ。千奈ちゃんから聞いたんですね」

焦った。もしかして家が知られてるんじゃ、もしかして高砂子さんが犯人なんじゃって、一瞬でも疑った自分を怒りたい。

…………もしかして、職場にいたり? 
いやいや。でも家まで知っているスタッフなんていないでしょ。あ、だからストーキングしたのか。あれ?

「ここら辺暗いな……住宅街っても静まり返ってるし。部屋の電気も消えてて、少し怖いな」
「高砂子さんでも怖いって思うんですか?」
「おいおい、俺だって感じるさ。衝動で殺人とか窃盗とか、起こる世の中だろ?」
「そうですね」

そっか。職場に限らず、知らない人が何かの腹いせにってこともありえるのか。尚更分からない……。警察、行った方がいいのかな。

「俺、ここ曲がるんだけどミョウジは?」
「このまま直線なんです」
「なら家の前まで送るぜ」
「さすがに大丈夫ですよ! ありがとうございました、高砂子さん」
「おう! また明日もよろしくな」
「はい」

ここまで来れば本当に一直線。
高砂子さんと別れて、少し早歩きをして帰路についた。正直、うん、大分ポストを見るのが怖いけれど開けてみる。

案の定、白い封筒が入っていた。
いつもと違って、平べったくない。何かが入っていた。指でなぞると、円形の……筒のようなもの。部屋へ入るまでこれでもかと警戒をして、ようやく鍵をかけて安心が出来る。電気を付けて、リビングですぐに開封した。

「なにこれ?」

封筒の中に入ってたのは小瓶だった。
瓶と言ってもガラス製ではなくて多分プラスチック製品? ラベルは貼られていなくて、中には8割ほど白濁とした液体が入っていた。液体と言っても少し粘着がありそうで、傾けるとねっとりと中を滑っていく。見ているだけで不快感が生まれそうだ。いや、もう気持ち悪いけど。

一応、と封筒の中からいつものを取り出す。先に写真。昨日の帰り道、雨に降られたときの写真だった。道路を挟んだ場所から撮られている。雨の日もカメラを向けているのかと考えるとぞっとした。

次に、同封されている用紙を取り出す。いつもこれに、短い君の悪いメッセージが残されているけれど、今回は行数があった。目を落として、身体が硬直した。


『この間知らない男と会っていたね。優しい君は離れられなかったのかな? だからって肩を汚い手で触られて可哀想に。早く消毒をしてあげたい。ひとまずこれを君にプレゼントするよ。君を想って吐き出した愛の精液だから受け取って欲しい』


「っひぁ!」

思わず手にしていたものを全部投げ捨てた。
なんて書いてあった? 最後、最後の文に、せっ……転がっているあの容器の中身が、ストーカーのそれだっていうわけ? 冗談でしょう。嫌だ、気持ち悪いとかそういうレベル通り越している。

「やだ、……やだ……!」

頭を振って、視界にも入れたくなくて後ろへと下がると、チェストに当たってしまう。咄嗟に後ろを振り返ると、当然誰もいなくて、一瞬安堵してしまった。

一体どうしてこんなことになった?
どうしてここまで被害に遭わなくてはならない?
こういう時、どうすれば――

「……なんで、頭の中に出てくるの……!」

――「次、何かあれば頼ってください」
違う。頼りたくなんてない。
あんな酷い最低の変質者に誰が助けを求めるものか。

――「すみません」
謝らないで。悪くない。誰も悪く……あの時、安室さんは助けてくれた。あんな顔して謝る必要なんてなかった。
私が言わなかったのがいけないんだし、黙っていたのがいけない。


言えればいいのに。助けてと。
震える手を頑張って伸ばして、近くのレジの袋を手にした。一瞬、ほんの一瞬だけまたあの小瓶に触れて袋の中にしまう。それだけなのに、息が酷く上がってしまった。


――「ある一定のラインを超えてさえしまえば何でも衝動的にやってしまう性質だ」
怖い……一体、次は何を送りつけてくるんだろう。
次は、どうエスカレートしてしまうんだろう。

「け、けいさつ……」

明日こそ、警察に、行かなくちゃ。
仕事終わったらすぐに行こう。千奈ちゃんにも、事情を話して一緒に来てもらおう。頑張って……行かなくちゃ。

いつの間にか涙が出てきていて、手で拭おうとしてその手も止まる。瓶越しとはいえ、あれに触れてしまったのかと思うと、一気に胃から嫌なものが込み上げてきた。慌ててトイレへと走った。


――……


当然全く眠れなかった翌日。夜通し吐いていた気がする。
もう無理だ、嫌だ、限界だ。家を出る時は待ち伏せされているのではないかと、びくびくしてしまったし。街を歩くときはカメラを向けられているのではないかと、終始きょろきょろしてしまった。私の方が不審者だ。

「ナマエさん酷い顔……! どうしたんですか!? ううん、何があったんですか!?」
「千奈ちゃん……」

顔を合わせるなり、挨拶よりも先に酷く心配された。

「やっぱり可笑しいですよ! 私から支店長に文句言ってきます! ナマエさんが過労で倒れでもしたら、どう責任とってくれるんですかって話ですよ!!」
「千奈ちゃん違うの……」
「違くないです!! もう私、堪忍袋の緒が切れましたからね! あんな人、告発してやります!!」
「違くて……。お願い。休憩時間、話聞いてもらいたいの……」
「ナマエさん……。はいっ、分かりました! キッカリ時間内に仕事終わらせますからね!!」

さすがに仕事中に話せない。千奈ちゃんのことだから大声上げて職場の皆にバレてしまう。こっそり話してこっそりお願いしよう。その後、一緒に警察に行ってもらおう。一人はもう、怖い。

「ミョウジ、郵便だ。受け取ってくれ」
「はい。……すみません、お待たせしました」
「こちら、ていと銀行のミョウジさん宛てです」
「はい?」

私? とりあえず受け取って、伝票を見てみる。そこには確かに私の名前が書かれていて……差出人が何故か書いていない。なんで? 茶封筒の裏を見ても書いてなかった。どこかからの契約書……なわけないし。

思い当たる節がなくても、忘れている案件かもしれない。そう思って封を開けてみた。三つ折りのA4用紙を取り出すと、何やら中に挟まっている。デスクに座って広げた瞬間に、一気に悪心を感じた。


『浮気者』


「ナマエさん? どうし――」
「ごめんトイレ!」

慌てて手紙一式を持ってトイレへと駆け込む。個室の鍵を閉めている間にも、自分の肩が上下に上がっているほど息が乱れていることに気が付いた。……恐る恐る、もう一度手紙を開けてみる。

A4の用紙に同封されているのは、写真だった。いつもの写真と違って二枚、私の隣には別々の人も映されている。

金塚さんとの、オペラからの帰り。車へ乗り込む前の写真。
高砂子さんとの、会社からの帰り。後ろから二人横並びの写真。


『警察に言ったら殺す。アンタか写真の男か。誰がいいか選びたかったら警察へ行けばいい。もう一度言う。警察に言ったら、殺す』


殺される。
私じゃなく、金塚さんと高砂子さんまで殺されるかもしれない……!

「…っぅ……」

もう胃袋に何もないのに。込み上げてくる苦い感触に涙さえ零れた。

助けて――そう叫ぶのが、遅すぎた。




「えぇっ!? ゴキブリィ!?」
「そ、そうなの……最近部屋に出て……」
「ナマエさん、ゴキブリダメなんですね……」
「全世界共通で皆ダメだと思う」
「確かに……」

怖い。
もし話したら、次は千奈ちゃんまで巻き込んでしまう。それだけは、絶対に……こんな明るいいい子を巻き込んだら私は一生かけて後悔する。死んでも死にきれない。

「でも、ようやく出てったんですね?」
「う、うん。死体が、転がってて……」
「うわぁ…朝からショッキングですよ! そりゃ顔面蒼白にもなりますよぉ!!」
「あはは……心配かけて、ごめんなさい」

怖い。怖い。
本当は助けてって叫びたいけど、職場も家も交友関係も割れ始めている。どうすればいいんだろう。さりげなく、警察に……? でも、もしバレたら金塚さんと高砂子さんが……。ううん、写真に載っていないだけで千奈ちゃんだって……。

「次出たら教えてくださいね? 私は……大の苦手なのでお役に立てませんけど、助っ人呼びますから!」
「その時はね」
「絶対内緒はダメですよ! 約束ですからね!?」
「……ええ」

心苦しい。
痛い。辛い。助けて。




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