HAS | ナノ
威嚇する瞳

「ナマエさんっ、こんにちは!!」


仕事を早く切り上げ、定時退社できた喜び。
普段残業で追われる日々を考えると、もうテンションも上がる今日。

せっかくだから直帰はもったいない。
そう思って向かう先はやっぱりポアロだったわけで。


「今日は早いんですね。お仕事お疲れさまです!」


表で、ヤツと出くわした。


「あはは、そんな嫌そうな顔しないでくださいよ」
「実際に嫌なんですけど。ユーターンしていいですか。」
「今日は梓さんもいますよ。」
「……。」


エプロンを着用しながら、表で掃除をしている安室さんはにっこりと笑顔を浮かべる。
ほんと、こんな胡散臭そうな笑顔出来る人間はそうそう居ないと思うわ。


「さ、どうぞ。」


カラン、と音を鳴らして扉を開けてくれる。
それだけ見るとスマートなんだけどなぁ。性格がなぁ。


「どうも。」


とはいえ、このまま下がっては申し訳ないので店内へと進む。
カウンターにいた梓ちゃんがすぐに気付いてくれて、にっこりと微笑んだ。


「いらっしゃいませー!」


いつものように「ナマエ、いらっしゃい!」とならないのは、お客さんがたくさんいるからであろう。
カウンター席にもボックス席もほぼ満席に近い。
幸い、手前のカウンター席が空いていたので、そこに腰を下ろす。
すると掃除道具を置いた安室さんが、すぐに水とメニューをおいてくれた。


「注文が決まりましたら、声をかけてくださいね。」


彼も仕事中なのを弁えてくれたのか、それだけを告げて離れていった。
まあ、正確には「安室さーん、すみませーん!」という女性からのご指名を受けてではあるが。

いつもこの距離感なら、イラつくこともないんだろうなぁ。


「ブレンドとハムサンドで。」
「かしこまりました。」


いつの間にか安室さんが改良していたハムサンド。
これがまた、……美味しいんだなぁ。珈琲との相性も抜群。
珈琲好きの私としては、もう歓喜だ。


「お先に珈琲です。」


褐色の手に白いカップが良く映える。
短く礼を告げて珈琲を飲むと、あのほろ苦い旨味が拡がった。

これは、梓ちゃんが淹れてくれたやつかな。
何となくわかってしまうのが怖いけれど、梓ちゃんとみると視線が合った。

どうやら、当たりらしい。


「ねえねえ、透くんって彼女とかいないの?」


団体さんやカウンターにいたサラリーマン、おばあちゃんが立て続けにお店から出る。
あれだけ騒々しかった店内に、普段の静けさが戻ってきた矢先だ。


「え、僕ですか? いませんよ〜。」
「まったまたぁ。実際モテるんでしょ? 欲しくないの?」


2つ離れたカウンター席に座っている女性が、安室さんにアタックしている。
おお、おお。凄い美人だ。


「今は仕事覚えるので精一杯ですから。」
「うっそー。もう完璧じゃん。偶に一人の時もあるしさ。」
「本当に、偶にですよ。」


あんな美人さんに、あの変態気質の男はもったいないと思う。
もっといい人探せばいいよーなんて心の中で余計な御節介をしてみる。


「ナマエさん、お待たせしました。ハムサンドです。」
「え、ああ、ありがとうございます。」


美人さんと話しながら、ハムサンドを作っていたのか。
安室さんがあの笑顔を浮かべながら、再び手を出してきた。
ハムサンドを受け取ると、隣から強い視線を感じたわけで。


「……。」
「……。」


見なければよかった。
あの美人さんがめちゃくちゃ睨んできてる。


「透クン、アメリカンおかわり。」
「はい、ありがとうございます!」


綺麗な顔も、怒ると怖いものだ。
ハムサンド中のレタスがやけに冷たく感じる。


「おまたせしました。」
「えぇ〜それだけ?」
「え?」


追加注文をした美人さんに珈琲を差し出すと、彼女は何かがご不満だったらしい。


「名前、呼んでよ〜。」
「今はお仕事中ですから。」


いや、仕事中じゃなかったら言うのか。
思わず、心の中で突っ込みをする。


「さっき呼んでたじゃん。」


あー、これは完全に目の敵にされてる。
ハムサンドを食べながらさりげなくポアロの入口へと視線を映した。
ちょうど、会計を終えた梓ちゃんと目が合う。

私と美人さん、残る客が2人になってしまった。
ハッキリ言ってめちゃくちゃ気まずい。


「えーっと……あはは。」


困ってないで名前を呼べばいいのに。
頬杖をついて、右からの痛々しい視線をシャットダウンさせる。
梓ちゃんが苦笑して口を動かした。

ごめんね、と音のない言葉が目に入る。


「もう休憩終わりなんじゃないですか?」
「あ。ホントだ。……はあ、透クンと話してるとあっという間だから困る!」
「ふふ、是非またいらして下さい。」
「せっかく淹れてくれたのにごめんね?」
「また入れますよ。」
「も〜透クンてば!」


おいおい、注文したのに飲まないの?
アメリカン珈琲飲まないの?
だったら私にくれ……。


「じゃ、お会計お願いね、透クン。」
「はい。」


ここにきても安室さん御指名か。
梓ちゃんが可哀そうだ。


「っ、」
「ああ、ごめんなさい?」


席に衝撃があり、手にしていたカップから黒い液体が跳ねる。
視線を後ろへ動かすと、例の美人さんがこちらを見下ろしてきた。

うわぁ、初めて会うのに何でこんな敵対心持たれてるわけ。


「ほら、舘田さん。時間時間。」
「カナミで良いってば! じゃあ、またね透クン!」
「またのお越し、お待ちしていますね。」


カランコロン、と扉から音と共に走るヒール音が遠ざかる。
閉められた途端に、思わず私の口からは重々しいため息が飛び出た。


「はぁ。」
「ごめんね、ナマエ。」
「いや、平気。」


正直、気分は悪いけど。梓ちゃんは何も悪くない。
むしろ梓ちゃんの方が、気分が悪くなっていないか心配だ。

美人さんを見送った安室さんが戻ってくる。


「ふう、」
「なんだかあのお客さん、毎日来てますよね。」
「ええ、職場がこの近くらしいんですけど……。」


何やら、お困りらしい。
珍しく客に対して困ったように眉を下げていた。


「安室さん目当てのお客さんって多いですけど、あの人はかなり距離感近いですよね。なんたって、透クン、ですし。」
「あはは、それは良いんですけど、他のお客様を目の敵にするのはちょっと。」


ああ、私だけじゃないのか。


「すみません、ナマエさん。」
「別に。」
「御気分、悪くされましたよね。」
「恐らく原因は、安室さんが私の名前を呼んだことにありますね。」
「あはは、ついいつもの癖で。」
「とりあえずその癖を止めましょうか。」


仕事中だから、と断ったのを私にも適用してくれ。


「でも、名前を呼んでほしいからってわざわざ追加オーダーしなくてもいいのに。」
「いっそのこと付き合ったらどうです?」
「ええ、ちょっとそれは……ホラ、僕ナマエさんに夢中ですし。」
「口が裂けてもあの人がいる前で言わないで下さいね。」


絶対、殺される。


「分かってますよ、もう。」
「もう、じゃないわ。可愛くないわ。」
「あーこの感じが癒される。」


なんで梓ちゃんのテンションが上がってるの……。
はぁ、とため息を零しながらブレンドを口にする。
さっきより苦味が強くなっている気がした。



×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -