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小麦!!!ーFields of Goldー


夏のある日、二人が作業終わりのお茶会を始めてすぐのこと。

「馬に、乗りたい」
「……」

彼はおやつの巨大パン・オ・ショコラ──材料を提供したのはカタクリ、焼いたのは名前だ──へ伸ばした手を止めた。
名前の呟きを一旦無視したのは、その内容のあまりの唐突さ故だ。

「ねー」
「……馬?」

うん、馬、と頷いた彼女はリビングの木のテーブルに頬杖をつき、既に小さなパン・オ・ショコラを頬張っている。

「乗れるのか?」

乗馬はあまり一般的な移動方法ではない。

一部の地域を除けば貴族や上級戦士の一部が嗜みとして習うもの、というのが一般的な認識だ。
小麦一筋の彼女は庶民然として、乗馬の趣味があるようには見えなかった。

「うん。あ、庶民だよ?うち、農場だけど獣舎もあってさ」
「ほう」
「馬は好きだし、お姉ちゃん……あ、お姉ちゃんが私の乗馬の先生なんだけどね、結構褒められてたんだよ?」
「そうか」
「意外?」
「まァな」
「ちょっと連れて来てくれない?」
「この島に馬はいねェ。時間が掛かるぞ」
「え?カタクリの馬は?」
「……なんでおれが馬に乗ると思った?」

母と共に海で暴れ、国の黎明期を守ってきた彼に貴族趣味はなかったし、そもそも馬に乗るより走ったほうが早い。
彼の体格に合う馬が存在するのかも疑問だ。

名前は驚いたように目を丸くした。

「え?それ拍車でしょ?」

カタクリは自身のブーツの踵を思い出して、ああと納得した。

ずっと蹴り技の強化用武器として使っていたので、すっかりその本来の用途を忘れていたのだ。
単純な踵落としも、彼の体格と力、この拍車があれば大抵の船を一撃で沈める威力を持つ。

「そうだったな」
「ええ……」

常に拍車付きのブーツを履いている彼を相当の乗馬好きだと思っていた名前は、残念そうに息を吐いた。
体格が合わなくても、相乗りくらいは出来るかなと思ったのだ。

頬杖を崩してテーブルに突っ伏し、やる気を失ったように目を閉じる。
きっちりと束ねられた干し草色の髪先がパン・オ・ショコラに触れかけたのをカタクリが払ってやったのにも気付かない。

「おい、時間は掛かるがちゃんと取り寄せてやると言ってるだろう」
「んー……そこまででもない」
「そこまででもないって態度じゃねェな」
「ほんとはめちゃくちゃ馬と触れ合いたい」
「素直にそう言えばいい」
「だって長旅の後に馬小屋もないんじゃ可哀想じゃん」

馬への配慮は出来るのか、と少し意地の悪いことを彼が考えたのは、ここ何日かずっと風車造りに容赦なく駆り出されているからだ。
一応閉じこめている負い目があるので口に出しはしなかったが。

正直最近のこき使われ振りを鑑みると、いっそ正式に雇った方が良いのではないかと考えることもある。
よく働く代わりに他人にも容赦ないのだ、名前は。

「ほら、もういいから食べなよ、冷めちゃうし」

パン・オ・ショコラの入ったバスケットをずいとカタクリへ寄せた名前は、落ち込みつつも既に乗馬を諦めつつあった。
友人を困らせるのは本意ではないし、引きずらないのが自他共に認める彼女の長所だ。

カタクリは手に取ったパン・オ・ショコラの甘く香ばしい香りに若干表情を緩めたが、そのまま手を下ろしてしまった。

「どうしたの?」
「……馬小屋、作るぞ」

フゥ、と溜息をついた彼に名前は驚きの声を上げる。

「いいの?」
「あァ。明日には設計図を持って来させよう」

ありがとう、と顔を輝かせた名前に、カタクリはもう一度嘆息した。

(こいつから奪いたい訳じゃねェ)

人生も、楽しみも。

友人らしき存在の幸せを願う心は自然なものだ。
上機嫌で紅茶に追加するミルクを取りに行った名前の後姿を目で追った。

よいしょ、と大きな容器を抱えた彼女は、どうやらカタクリの分まで持って来ようとしているらしい。

「おい、おれがやる」

カタクリは立ち上がり、小さな後ろ姿に声を掛けた。

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