小説 | ナノ

小麦!!ーFields of Goldー


ぴかぴかのフルーツタルトがなくなっても、瑞々しく清く甘い香りは朝のキッチンに残ったまま。

今日も良い小麦日和になりそうだ、と名前は腕まくりをした。


この家に鏡はないから、身支度は本当に適当だ。
作業着に着替えて六メートルはありそうな木製のドア――キャットドアと同じ要領で名前サイズの出入口が付いている――の前に立つ。

なんとなく体中の筋肉を伸ばすように体操をしつつ、名前はやっぱりこれは自分用の家じゃないなとしみじみと思った。

「なんてったって猫戸だよ」
「?」
「まあいいや」

寝転ぶカタクリに畑行ってくるねと声を掛けると、自分も、と応えがあった。

「へ?」

これは常にないことだ。
いつもなら、カタクリはしばらく名前の家で軽い休息をとってから“仕事”へ向かう。

「今日はもう帰るの?眠そうだったのに」

なんてったって自分の上で寝るかと誘って来たぐらいだ。

「いや、一人では出来ない作業もあるだろう」
「え!手伝ってくれるんだ。助かる」
「ああ」
「優しいね」
「……」
「いたいけな小麦農家を拉致した悪い人なのにね……」
「うるせェ」
「うそだよ、ありがとう」

名前はころころと笑った。

カタクリの力で常人には重すぎるドアが開かれると、初夏の早朝の風が一気に部屋を駆け抜けた。

二人の服が風を受けてはためき、収穫間近の小麦の香りが鼻腔をくすぐる。
紅黄色の朝焼けを浴びて、小麦畑は一層その黄金を深めていた。

「ね、最高の朝!」

ドアにもたれて景色を眺めるカタクリを、名前は待ちきれない。輝くような笑顔を残して、駆け出した。



「ふはー!休憩にしよー」
「ああ…」
「おつかれさまー」
「まさか製粉のために風車小屋を造り始めるとは」

懐中時計を見てみればもう十一時。
不本意ながらちょっとした達成感を自覚しつつ、カタクリは作業の成果を見遣った。

そこには彼が見てもそれなりと感じる広さの土地が整備され、石造りの基礎が出来つつある。
どうやら最終的には水を引いて水車まで作る気らしい。

お菓子のためなら能力を活用しての大工仕事もやぶさかではないが...

「思い切りが良すぎねえか」
「思い立ったが吉日、ってね」
「俺を使えるからだろうが」
「だって、大工さんはもうここには入れないよね?」
「……まあ」
「私一人じゃできないし。設計図は頭に入ってるけど」
「……」
「小麦粉を自分で大量製粉できない生活…可哀想な私…ぎゃっ」

うっ、と泣き真似を始めようとした名前は、カタクリのデコピンを寸でのところで避けた。

「しぬ!」
「……」
「もうちょっとで当たってた!えっ…地面抉れてる」

ジェリービーンズが弾丸になる威力である。

「避けさせてやったんだ」
「ねえ地面」
「フフ」
「笑いごとか!」

自分の代わりに犠牲になった地面から目を逸らしつつ、名前はレモン水を家から持ってきた。
カタクリのコップに数種類の果物がフォークと共に添えられているのは手伝いのお礼だ。

「はいどうぞー」

彼はいつの間にか平らに石を積み上げた基礎の上に転んでいる。

「疲れた?」

水を置き、瞳の閉じられた顔を上から覗き込む。

「いや」
「だろうね」

初夏のお昼前、適度に冷えた石の上。寝心地はさぞ良いだろう。

起き上がって透明なコップを干したカタクリは名前を手招いた。

「寝るぞ」
「私も?」
「座ってみろ」

石の基礎に腰かけて小麦畑を眺める。
黄金の波だ。
西からの風は黄金色の小麦畑の表面を渡り、名前の顔を撫でて、また遥か東へと去っていく。

「あー……いいね。お昼寝もいいかも」

髪紐が風に攫われ、きつく束ねていた髪がぶわりと靡いた。
す、とカタクリが寝転んだまま髪紐を事もなげに捉え、名前に差し出す。

「ありがとう」
「よく乾いた干し草だな」
「ああ、私の髪ね。お兄ちゃんやお姉ちゃんもそう言ってくれた」

そのたとえは気に入ってるんだ、と珍しく穏やかに微笑んだ。

「ちょっと変だけどね」

はー疲れた、と倒れ込み、カタクリの胸を背に空を仰ぐ。空が青い。

「さっきの、まだ有効?」

おれの上で寝るか?って。

「ああ」
「そっかー」

じゃあお邪魔します、と笑って、名前はカタクリの胸に右頬を乗せるようにして寝転んだ。
枕は自分の右腕だ。
石は寝転ぶにはいいが、名前が寝るには冷たい。

(もうほとんど寝てやがる)

恥じらいがないな、とカタクリはマフラーの奥で密かに笑って、名前が落ちないようにその腰を軽く支えた。

「お前は夢でも小麦畑にいそうだ」
「んー……そうでもないかも?」
「?」
「カタクリの夢、見る気がする」
「なんだと」

まあその話は今度ね、眠いんだ。
ゆるゆると呟いて、名前は今度こそ心地良い眠りに身を任せた。


―――――――――――――――――

「まさか本当におれの上で寝るとはな」
「だめだった?」
「いや」
「良かったんだ」
「…良かっ……なんだその言い方は」
「え?」
「……。ストレスだ」
「んー?あ、明日クッション持ってきてね!」
「ああ。おれの部屋のを持ってきてやる」
「…移住する気じゃないよね?」
「さあな」

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