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 意識が浮上して、真っ先に思い浮かんだのは、自分の居る場所が地獄でも天国でもないようだ、という事。
 寝ている床は凹凸が激しく、突き出た部分が背骨のある部分に当たって痛い。寝ぼけながらもその寝心地の悪さに身動きすると、不安定だったらしいその場所はパーツを抜いたジェンガのようにあっけなく崩れて私をずり落とした。ずいぶん高さがあったらしい。瓦礫に揉まれながら地に落ちると、正常な私の脳味噌は体の異常をご丁寧に痛みという形で喚起した。
 静かに寝かせてはくれないらしい。痛みと眠気がせめぎ合う中、嫌々瞼を開ける。億劫ではあったが、そろそろ此処がどこなのか知りたかった。

 手をついて起き上がると細かな瓦礫がぱらぱらと身体から零れる。続けて起き上がろうと膝を立てたら、左脚からとんでもない痛みが走った。僅かに残っていた眠気が吹き飛ぶ。視界が拓ける。飛び込んできたのは、大地震に遭ったとしか言いようがない、崩落した建物たちの山だった。
 なにここ。声を発したつもりが、錆びついた喉から出たのは言葉損ないの吐息。困ってしまって空を仰ぐ。抜き抜けるような真っ青な空に雲が流れていて、それだけ見ていれば平穏な日常だった。




 しばらくそうしていたし、いつまでもそうしていられる気はしたが、脚の痛みはそれを許してはくれなかった。怪我の酷い左脚を見ると、瓦礫に巻き込まれる際に足首を変な方向に捻って、さらにふとももは尖った部分に盛大に皮膚を破られたらしく、ちょっとした赤い水たまりが出来ている。切り口は破壊された細胞が喚いて酷く熱を持っている。無事だった右脚だけでなんとか立ち上がると、視線が高くなって少し遠くの方まで見えるようになった。それでも、見える限り瓦礫の山以外に何もなかった。
 どうしようもなくなって、また空を見る。空はどこでも同じだなあ、とぼんやり思った。そこに、黒い影が過ぎる。一瞬で通り過ぎていったそれは、鳥のようだったが、少しの違和感を覚えた。一瞬だったので何がおかしいのかまでは判然としない。けれどやはりただの鳥とは違うような。まだ飛んでいやしないかと上を探していると、微かに声が聞こえた。

「――だ!いた!」

「本当だ、まだ、生きているぞ!」

「おーい!そこのあんた!」

 瓦礫の山の向こうから、米粒のような人の影が動いて、だんだんと近づいてくる。私に向かって、だ。
 複数人の男性。顔つきが判別できるまで距離が縮まったとき、彼らも私の状況を把握したらしい。血相を変えて近づいてくる。

「姉ちゃん、大丈夫か!」
「こりゃひでえ、歩けるか?」
「…歩くのは、無理そうです」
「そうか、動くなよ」

 男性の一人が自分の袖を噛み切り、そこから引き裂く。そうして出来た簡易包帯を私の脚の付け根に巻いて、思い切り強く縛った。止血のためとはいえ、あまりのきつさに目が白黒する。
 男性の中で一回り小さい、少年ともいえる子が悔しそうに顔をゆがめる。

「アカデミアの奴ら、女子供構わず追い回して、こんな怪我までさせて…くそっ、ぜってぇ許せねえ!」
「あいつらは血も涙もない外道なんだ…分かってるだろ」
「分かってるよ!分かってるけどさ…!だから許せねえんじゃねえか!」
「とにかく今はキャンプまでこの子を運ぶのが先だ。姉ちゃん、俺の背中に乗れ」

 背中を向けてしゃがむ男性の好意に甘えて、おそるおそる背中に乗せてもらう。男性が私を乗せて立ち上がり歩き始めると、自分で地に足を付けて歩かないことが不安で、けれどしっかりした足取りで、そのちぐはぐさが妙だった。

「それにしても姉ちゃん、良かったな。あのままだと動けずにどうなってたかわからん。見つけてくれた黒咲に感謝しなきゃ、だ」

 男性はそう言って歩き始める。みな無言で、周りにはやはり瓦礫しかない。
 キャンプが何処にあるのか知らないが、あまり遠くない事を願った。




 願い空しく、キャンプまでは相当な距離があった。幸いなことに男性は壮健で、一度も休憩せず、重たいそぶりも見せず私を運んでくれたのだが、着いた頃には陽が暮れかかってしまっていた。
 崩落した都市の中で、辛うじて形を残していた運動ドームのグラウンドにはいくつもの避難用テントが立ち並び、そこで一つの巨大な集落を作っている。
 中へ踏み入れると、煤けた衣服を着た人達が大勢行き交っていた。貯水用のタンクを持つ者、缶詰を手にさまよう人……様々な人の中をかき分けながら男性は一つのテントの前で足を止めた。入り口には医療を示す十字が掲げられていて、白衣を着た医療関係者らしい人物が世話しなく出入りを繰り返している。男性は重苦しく息を吐いた。

「やっぱりだが、満員か…」
「…あの、ここまで運んでいただいて、ありがとうございます。」
「おお、気にすんな。ウチの女房に比べりゃ軽いもんよ」
「ここまで連れてきて頂ければ十分です。あとは、大丈夫です。」

 少年が不安そうに私を覗き込む。

「姉ちゃん大丈夫か?途中全然しゃべらないし、死んじゃったかと思ったぜ」
「おい田室井、そろそろ見張りの時間じゃねえか」
「ん、ああ、もうそんな時間か…姉ちゃん、本当に大丈夫か?」
「はい。本当にありがとうございました。服まで破いて…」
「気にすんなって」

 出血は止まりはしたものの、今更包帯となった衣服を返してもどうしようもならない。俯く私に、男性は大きな手で私を撫でた。泣きたいほど懐かしい感触だった。