無理も道理も最期の最期まで(1/4)

俺っちの大将はお忙しい人だ。


「大将、そろそろ起きないといつもの電車に乗り遅れるぜ?」

「ん〜、今何時〜?」


分厚い饅頭のように丸くなった布団から細い腕が伸びて、ベッド上の携帯を手当たりに探す。俺がその手元に携帯を置いて大将がそれを受け取った。


「…う、うううう〜。」

「ほらな、さぁ起きた起きた。」


携帯を手に取った大将は時間を確認して、まだ布団の温もりを恋しく感じつつももう起きなければと猫のように大きく伸びをした。昨日も夜遅くに退社し、帰ってもコンビニ飯を片手に仕事をしていた。パソコンに向かっての仕事は俺にはちんぷんかんぷんだが、大将が仕事に対して真摯に頑張っていることは十分にわかる。
大将は出会った時から仕事熱心なお方だった。その目標が達成するまでに綿密な計画を立てるしそれまでの努力もする。頑張り過ぎでたまに危なっかしくて俺達はいつも心配していたけど、その心配もかけまいと俺達の前ではよく明るく笑っていた。まぁ元から明るいお人でもあるのだけど。仕上げるところはきっちり仕上げる、けどその後は別だ。大きな仕事が終わった後はお疲れ様会と称した大宴会が催され、飲んだくれ続出で色々ひどかったが、やはり皆でどんちゃんするのは楽しかった。


「大将、朝飯はどうする?」

「んー。会社で資料の読み直しもしたいし、コンビニ寄って菓子パン買って済ますかな。」

「そうか。落ち着いたらたまには米も食ってくれや。」


そんなこんなで以前の事を思い出していたら大将は化粧も済ませ、着替えも終わらせていた。スーツを着た大将の背はピンと伸びていて、俺はそれがどこか誇らしい気持ちになる。ブランドバックに財布、携帯、鍵、定期券が入ってるのを確認して、大将は鏡の前に立つ。衣服の乱れが無いか全体を確認したあと、綺麗に色のついた唇で強気な弧を描く。


「よし、行くか。」

「たーいしょ、大事なモン忘れてんぞ。」


身なりを整えた大将に、パソコンについてるUSBを指差す。昨日大将が寝る間も惜しんで作成した資料のデータが入ってる大事なUSBだ。これこの間忘れてって慌てて家に取りに帰って会社遅刻しそうになったんじゃなかったか?とくすくす笑えば大将は「あ!」と弾かれたように声をあげた。


「USB!あっぶない!忘れるところだった〜。」


パソコンからUSBを抜き取り、きちんと鞄の中に入れたのを二人で確認する。


「あ、と、は、…忘れ物ない、よね…?」


指差し確認をした大将に俺ももう一度部屋を見渡すが、うん、問題はないと思うぜ。小さな玄関から大将はお気に入りのパンプスを選んで取り出し、華奢な足をそこに通す。ストラップがついてるそれは歩きやすくていいのだそうだ。いつか嬉しそうに話していたのを覚えている。


「ほいじゃ、今日もいっちょ働いてきますかな〜。」

「ああ、頑張れよ、大将。」


両足にパンパスを通した大将は俺っちに振り返る。
それから部屋をゆっくりぐるりと見渡し、数回瞬きをした後、少し眉を寄せてこてんと首を傾げた。


「…気のせい、か。」


そう言って大将は1DKの小さな城を出る。俺は扉が閉まるまで笑顔でそれを見送る。バタン、と扉が閉まった後、ガチャリと鍵が回される。誰も居ない部屋に俺一人が取り残され、ほんの少しだけ寂しさを感じた。


大将はもう、俺の姿が見えていない。

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