お夜食(1/3)


(すっかり遅くなってしまったな……)


虫の音が聞こえる深夜の本丸に、金属の固い音がまじる。
金属は身に着けた装具か、それとも下げている刀か。
膝丸は静かな虫の音を邪魔せぬよう靴を脱ぎ、主殿へと繋がる階を上がった。すると、廂から手燭を持った内番着姿の髭切が顔を出し、膝丸と、その後に続く部隊の皆に微笑んだ。


「おかえり、皆。遅くまでご苦労だったね」

「兄者……、起きていてくれたのか」


簀子を踏む足音に気を付けながら膝丸は嬉しそうに兄の元へと駆け寄った。
そしてその兄の後ろに誰かくっ付いていないか確認するように左右を見渡し、髭切へと向き合う。


「兄者、主は」

「あの子なら奥でちゃんと休んでいるよ」


安心おし、とばかりに苦笑する髭切に、膝丸の肩から加州清光が顔を出す。


「なぁに。お出迎えがなくて寂しいって?」


審神者と膝丸が恋仲だと本丸の皆に知られているせいか、加州はからかうように目を細め、膝丸の腰を小突いた。
しかし膝丸は照れることも、おそらく冷やかされていることも気付いていない様子で「いいや」と短く返した。


「主がこんな遅くまで起きていたのなら逆に叱っていたところだ」

「なにそれ」

「人の身は脆い。まして女人なら尚更。こんな遅くまで起きていたら翌日の仕事に支障をきたすだろう」

「いやいやそこは迎えてくれて、ありがとう〜嬉しい〜ってならない?」

「ならん」

「まじか」


考える素振りもなく返された膝丸の言葉に、加州が髭切の方をみやると、髭切は困ったように笑ってみせた。


「以前は主もしていたんだよ、夜のお迎え。でも深夜のお迎えをするたび主が寝不足でふらふらしちゃって。それを見たこの子が『可哀想だ!』って」

「ああ……」


確かに、以前はどんなに遅くとも主自ら帰還の出迎えをしていたが、ここ最近の夜戦帰りではその姿を見ていない。
まあ、今夜は帰還が遅くなってしまっただけで太刀を連れた夜戦を行っていたわけではないのだが。
目標人物が時間遡行軍の手から逃れた後、歴史通り事を運ぶかどうか最後まで見送る必要があったため、帰還がこんな時間になってしまったのだ。元々戻るのが遅くなるであろうとは思われた此度の任務だったが、日付が変わるまでとは膝丸も予想しきれなかった。部隊に夜目のきく愛染国俊を連れていたのはいいが、最後はすっかり愛染頼りになってしまい、とても感謝している。
話しは戻って深夜の迎えだが、もちろん「深夜の出迎えは不要だ」という膝丸に審神者が素直に頷くわけがなかった。
皆が頑張って戻ってきたのに主である自分が眠っているだなんて絶対嫌だ、と強気に言い返した審神者はこれだけは引かないとばかりに膝丸を見上げていたのだが、膝丸はそんな審神者を見下ろし、「君は、俺達が無傷で戻ってくると信用していないのか?」と絶妙かつ巧妙に論点をずらしては審神者を丸め込……説得することに成功したのであった。


「主は主らしく、自分の采配を信じていればいい」


その采配が正しかったと思わせるのは俺達だ、と続けた膝丸に加州は、何かかっこいいことを言っているが要は夜更かしさせては可哀想だという話なのだろうな、と何処か遠い国の話を聞いているかのような、温かいような冷たいような生温い笑みを浮かべた。
そんな加州の横で、小さな口を大きく開いて愛染が眠たそうに目を擦った。


「ふわぁ……ねむ……。なー、もう解散でいいんだよな?」


此度の出陣で目標人物の探索から追跡まで、それこそ朝から晩までよく働いてくれた愛染に膝丸が「ああ」と頷く。


「主への報告は明朝、俺からする。皆はもう休んでくれ。愛染も、今日はすまなかったな」


遅くまでありがとう、と部隊長である膝丸が皆の顔を見渡しながら労い、此度の部隊は解散となった。
皆が寝静まった本丸内で各々自室へと戻るのを膝丸が見送ると、髭切が膝丸へと向き直る。


「お前も、はやく風呂を済ませて寝てしまいなさい」

「ああ、そうさせてもらおう」

「うん。……ああ、そうだ!」


自室へと戻ろうとした時、髭切は何か大事な事を思い出したかのように足を止める。


「お前、腹はすかせていないかい?」

「いや、特に……」


突然何を聞かれると思えば、と返した膝丸だったが、その言葉とは裏腹に、膝丸の腹部から庭で鳴く虫の声とは違う音が小さく響く。


「……と、言いたいところだが……空いている……」


敬愛する兄に腹の音を聞かれ、膝丸が恥ずかしそうに目を伏せたのを髭切はくすくすと小さく笑った。


「短刀の子が奮闘していると聞いていたからね。おおかたお前は弁当を分けてあげたんじゃないかと」

「うむ……」


そこまでお見通しか、と膝丸は情けなく眉を下げたが、髭切はむしろそれで良いとばかりに頷いていた。


「だと思って、お前の夜食が用意されているよ。……ええと、厨番の子が作ってくれたんだ」


となると、今週当番に入っていた歌仙兼定あたりだろうか。
此度の出陣は愛染が大いに働いてくれたゆえ、その分彼の負担も大きかった。「腹減ったー!」と道中嘆く愛染に部隊長である膝丸が苦笑を浮かべて弁当の握飯全てを与えたのは当然だろう。


「助かる。風呂を終えたあと、ありがたく頂戴しよう」

「うんうん、よく味わって食べるんだよ」

「……? もちろん、そうさせてもらう」


普段よりもにこにこと笑う髭切に小さく首を傾げつつも、膝丸は風呂の準備をするために自室へと向かった。
途中、体が自然と審神者の部屋へと向かおうとしたが寸でのところで堪える。
自分で「寝ていなさい」と告げたにも関わらず、適度に疲労を感じる体は愛する審神者を求めていた。
むしろ疲れているからこそ、だろうか。せめて寝顔だけでも、と心が負けそうになるが、それこそ寝顔など見てしまったら愛しさが募って額やら頬やらに口付けてしまい起こしてしまうかもしれない。
いいや、それくらいで済んだらいい方かもしれない。
審神者の寝顔は可愛い。少しだけと口付けては唇やそれ以外のところに口付けてしまい、起きて、あの丸い目に自分を映して欲しいなどと思ってしまうかもしれない。
そんなことになってしまったら、深夜の迎えをしたがる審神者を何のために説得したのかわからない。
それは駄目だ、と膝丸は首を振った。
……正直、膝丸自身が我慢すればいい話である。

それから膝丸は出陣した皆と風呂に入り、雑念を振り払うために冷水を頭から被れば、それを少し浴びてしまった加州清光に「冷たいんだけど!?」と叱られた。「す、すまない」と小さく謝罪し、風呂へと浸かれば温かい風呂が空腹に沁みた。段々と無視ができなくなってきている空腹に膝丸は気力で夜着に着替え、腹に手をあてながら厨へと向かった。
厨番が用意してくれた夜食が待っていると思えば幾許救われる。
こんな遅い時間に夜食など……、と罪悪感を覚えつつも膝丸は厨の暖簾をくぐると、優に四人は囲める机の上に蓋付きの丼が置かれていた。
『温めて食べること』
調理用としても使われる木製の机の上には丼と共に、さらさらと流麗な字で書かれた書置きと、箸と匙が置かれており、この字は歌仙兼定のものだな、と膝丸は心の中で彼に感謝した。
そして中身が何なのかと確認することも忘れ、その丼を大事そうに両手で包み、部屋の隅に設置されているレンジへと押し込む。
決まった時間にしか食事をとらない膝丸にレンジの加減はわからなかったが、中を見ながら温めていれば問題ないだろう。腹を空かせた髭切が肉まんを温めている時、レンジに引っ付くようにしてそうしていたのを思い出す。
それを思い浮かべながら適当に操作し、レンジの中を覗き込みながら温まるのを待った。レンジの硝子面に中を覗き込む自分の顔が映り、滑稽な姿だな、と苦笑しつつも温め終了の合図が鳴るのを待った。
合図が鳴る。
レンジの扉を開け、中の丼へと手を伸ばす。


「熱っ……」


温め過ぎたのか、火傷しそうな程熱くなった丼に中身をひっくり返しそうになったが、急ぎ机の上へと移し、慌てて手をはなした。赤くなった指先を擦り合わせ、備え付けの椅子を前に持って行き、そこに腰掛ける。今は熱さよりも、断然食欲の方が勝っていた。
今度は夜着の袖を引っ張り、わくわくと頬を緩ませながら熱くなった丼の蓋をそっと開けた。
――ふわり。
白い湯気が立ち上がる。温かな湯気が膝丸の顔面を包み、甘いだしの香りが鼻腔を擽った。
見えたのは丼一杯に敷き詰められた黄金色に輝く卵とぷりっとした鶏肉。僅かな隙間からはふっくらとした白米が顔を覗かせている。透き通った玉ねぎと青い三つ葉が卵とよく絡んでおり、その色彩に口内の涎がたまる。込み上げてくる湯気を膝丸は鼻いっぱいに吸い込み、たまった涎をごくりと飲み込んだ。
空腹の膝丸にはたまらない一品、親子丼だ。
膝丸は手に取った箸をすぐさま突き入れようとするのをなんとか堪え、両手で箸の中心を持ち、静かに長い睫毛を伏せる。


「――いただきます」


そう小さく口にしてから鼻から大きく息を吸い、箸の先を黄金の絨毯に突き入れる。
米と、卵によく絡んだ鶏肉を掬い上げ、湯気が出るそれをしばし見詰める。そして白い湯気を吹き飛ばすように、ふう、と息を吹きかけ、慎重な程ゆっくりと口の中に入れる。
一口。はくりと含んだそれは口内に入れた瞬間、とろけるようだった。粒だった米が膝丸の舌上で踊るように広がり、柔らかな鶏肉がたっぷりの肉汁とだしを含んでほろほろと崩れる。口内で広がっていく白米と鶏肉をとろとろの卵が優しく包み込み、じんわりと甘味と旨味を膝丸の脳に染み渡らせていく。
膝丸はその一口をよく噛み締め、じっくりと味わい、ごくりと飲み込んだ。


「………………うまい……」


思わず天井を仰ぎ、薄い唇からは溜息のような声が漏れた。
意識から外そうとしていた空腹がもう我慢ならん! とばかりに叫び声を上げ、それからは行儀など気にせず、丼を口元へと寄せ掻き込むようにして親子丼を食した。
このように食事をするなど、源氏の者達が見たら卒倒するかもしれない。しかし今は深夜。誰も見咎めるものはいない。
膝丸はそう頬いっぱいに親子丼を掻き込み、無心にそれを食した。

(うまい。米も、肉も、卵も、玉葱も。甘味を引き締めるような、凛とした香りの三つ葉がまた食欲をそそる)

かつかつと丼の中身を掻き入れ、丼の底が見え始めると箸から匙へと持ち替え、米一粒も残さんとばかりにそれを頬張る。
厨には膝丸の息遣いと、匙と丼が擦れる音がひたすらに響く。
熱々の親子丼を口の中に含んでは、はふはふと熱を逃がし、口内に先程の一口が残っているのにも関わらず次の一口を入れる。そうしてあっという間に丼の三分の二を平らげ、膝丸はまるで栗鼠のように膨らんだ頬のまま、満足そうに息をつく。実際、すごく満足している。
満たされつつある食欲に膝丸がやっと丼と匙を口元から離した時だ。
厨外の廊下から、床板の軋む音がした。

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