鬼とおもちゃ(1/2)


長方形の黒い箱。
ティッシュケースほどの大きさの箱に『それ』は入っていた。
なまえはそれをしばらく眺めては、そこに書かれている文字に深い深い溜息をついて項垂れた。


「う、うわあ……」


がっくりと肩を落とした審神者の手にあるその箱には、ファッションブランドでも書かれているようなお洒落な書体で『セルフプレジャー』と綴られていた。
セルフは自分、自身。プレジャーは楽しみ、満足、幸福。という意味がある。
いわゆる、『大人の玩具』であった。


「存在すら忘れていた……」


まるで見たくもないものを見付けてしまったとばかりにそれを見下ろすなまえは、先程まで自室の押し入れの整理をしていた。
審神者を始めてからというもの、最初は初期刀と初鍛刀の刀剣達とのんびりと過ごしていたが、一振り、また一振りと増えていくと本丸はあっという間に賑やかな場所となった。
刀剣数が増えるということは出陣できる回数も増える、それに合わせて審神者の仕事量も増え、そうこうしている内にまた新たな刀剣が現れと、いつの日からか目まぐるしい日々を過ごしていた。
そんな日々を送っていたからか、気付けば自室の押し入れには物が溢れ返っており、流石に片付けないと主としての面子……、いや人間として駄目だろうと気付き、仕事を片付け、時間を作って押し入れの整理整頓をしていた。
そしてそんなこんなで見付けてしまった『大人の玩具』。


(これ審神者始める前に買ったやつだ……。審神者始めるからアパート引き払って荷物を実家に送ったのはいいけど、これだけは流石に手元で保管しておかないと見付かったら後が死ぬ、って思って持ってきたんだった……)


こんなもの実家に送って、ふとした拍子に親にでも見付かったら恥ずかしさで死ぬというよりも世間から抹消されてしまう……。ような気がして審神者を始めると同時にこっそりと自分の荷物に忍ばせたのだ。
―そう、透明なビニールに包まれた未開封の状態で。


(買ったくせに結局使うのが怖くて開けてないところが我ながらヘタレている……)


審神者も健全な女性だった。
人間の三大欲である、食欲、睡眠欲、性欲はきちんとあるし、それなりに男性とのお付き合いもした。
しかし審神者を始める前に当時付き合っていた男性と別れ、一人寂しく感じる夜を過ごした期間があった。まあ、その男性と別れたやけくそで審神者を始めることになるのだが、その話は別として、寂しいと感じてしまう夜になまえは一大決心をしてそれを購入したのだ。
もちろん『大人の玩具』など初めて買うし、使用感なんてとんでもないが友人に聞けるわけもなく(そもそも所持しているかどうかも聞けない)、ネットでのプレビューを頼りにそれを購入、一日自分が在宅している日に日時指定着を設定し、受け取ったのだ。
受け取った感想は、とうとうやってしまった。という高揚感と罪悪感。ネットの情報では女性がそういうものを所持することはなんらおかしなことではないと前向きな意見がたくさん書かれていたが、やはり手にすると恥ずかしさやら、欲望の赴くまま購入してしまったはしたなさに後悔がのしかかってきた。
あれこれ自分に肯定と否定を繰り返し、最後には、これは本当に必要なものだったのかと自答し、結局それは未開封のままクローゼットの奥深くにしまいこんでしまった。


(わ、私は結局これをどうするつもりだったのか……)


捨てるつもりだったのか、それともこれから使うかもしれないと思って残していたのか。


「どう考えても捨てるタイミング逃したブツだわ……」


今となってはそれを見ても自責の念にかられるだけだ。
例え一人が寂しいと思ったとしてもこれに手を出すなんてその時の自分は相当溜まっていたのだろう(ここの溜まっているは決して性欲ではない、決してだ、本当だ。きっと職場ストレスとか対人ストレスとかのやつが溜まりに溜まって何かしらの我慢というやつが溜まっていたのだろう。だから決して性欲が溜まっていたとかそういうわけではないのは理解していただきたい)。


(なんて思えてしまうのは、髭切がいるから、かなあ……)


今これを見ても何故こんなものを買ってしまったのだろう、と思えるのはほぼ間違いなく、今のなまえに恋人と呼べる存在がいるからであろう。
心の中でぽつりと溢した恋人の名前になまえは一人頬を染め、手にした箱を膝の上に落とした。
今の審神者には、髭切という恋人がいた。
彼は彼女の所持する刀剣男士であるのだが、それと同時に近侍であり、恋人でもあった。
出会った当初は浮世離れした穏やかな性格になかなか調子が掴めなくて内心苛々したこともあった。
しかしそれは髭切に対してではなく、実は戦績が伸び悩む自分自身に対しての八つ当たりだとなまえは気付いたのだ。
その時のなまえはちょうど中堅と呼ばれるような立ち位置で、気付けば自分の後ろには後輩審神者が次々と戦績を残していて、自分でも気付かない内に追い詰められていたのだ。
そんな時、彼女を支えてくれたのが髭切だった。
伸びない成績に頭を悩ますなまえを髭切は優しく抱き締め、「焦らなくていいんだよ」と言葉をくれた。
いい大人になってそんな優しい言葉をかけられたのは久しく、なまえは髭切の腕の中で子供のように泣きじゃくったものだ。
そんな恥ずかしいいきさつもあり、なまえは髭切を近侍として側に置いた。
髭切を側に置くことにより、なまえに心の余裕というものができたような気がした。
振り返れば優しく頷いてくれる髭切がいる、ということはなまえにとってとても安心するものだった。
それからというもの、なまえは伸び悩んでいた成績を持ち直し、「髭切が近侍の審神者と言えば」と問われれば、自分の名前が上がる程度にはそこそこ成績を残せている。
そんな彼女と髭切が恋仲となったきっかけは正直覚えていない。
気付けばハグもキスもされていたし、朝起きたら髭切は当然のようになまえと同じ布団で休んでいた。しかも抱き枕よろしくだ。
髭切は、日中は近侍として皆をよくまとめてくれるのだが、夜の二人っきりの時間になると例えなまえが書類作成をしていても、近侍のような恋人のような甘やかな空気を出してなまえを誘惑してくる。
髭切にたっぷりと可愛がられ、昼過ぎに起きてしまって皆に気を使われたことは一度や二度ではない(恥ずかしいからしばらく触っちゃ駄目! と言うと髭切がとても悲しそうな顔をするのでなまえは強く言い出せないでいる)。
おかげでなまえは心身共に充実した日々を送れている。
ゆえに、今のなまえにこの『大人の玩具』はまったくもって不必要なのであった。


(かといって捨てるにしても、どうやって捨てればいいんだ?)


ごく自然に捨てる方向へと話がいき、なまえは手にした箱を持ち上げ、これが何ごみなのかを確認した。しかし箱のどの側面を見てもそんなことは書いてはいなかった。


「開けばわかるかな……」


説明書にだったらどう捨てればいいのか書いてあるだろうと審神者は思い付く。
そしてなまえは、購入して数年を隔て、それが入った箱を開けるのであった。
透明のビニールにカッターを入れ、するりとそれを剥ぐ。
中身はさらりとして手触りの箱で、パッケージもお洒落な電子機器を買ったような気分にさせるデザインであった。いかに女性が嫌悪しないかがよく考えられて作られている。
そういえば『大人の玩具』を買うにしても、男性が女性に使用するための玩具ではなく、女性が女性のために使用する玩具を買ったのだ。購入したサイトも女性用に作られていたため、何やらふんわりとしたサイトデザインと説明に背中を押され、ついついポチってしまったのを覚えている。
黒い箱の中には更に箱が入っており、それぞれ細長い長方形の箱が二つ並んでいた。片方には説明書在中と書かれており、ここに目的のものがあるとわかったが、つまりもう片方の箱の中身が……そうなのであろう。
なまえはごくりと喉を鳴らし、説明書在中と書かれた箱……ではなく、もう片方の箱へと手を伸ばした。


(ど、どうせ捨てるんだし……、な、中身くらい見たって……)


そうだ、どうせ処分するのだから中身くらい確認したって何も悪いことはない。だいたい一度興味を持って購入したものだ。値段だってそこそこしたのだから実物を見るくらいバチは当たらない。
そう自分を奮い立たせ、なまえはそれが入っている箱をそっと開けた。
箱の中身はまるでネックレスを入れるような化粧箱が入っており、なまえの手により開けられるのを待っていた。なまえはその化粧箱を取り出し、手のひらに乗せ、顔の前まで持ち上げた。


「すごい、なんの箱か全然わかんないや」


本当に、何かのアクセサリーや小物が入っているかのような入れ物だ。あまりにもシンプルなデザインなのでなまえはそれをしげしげと眺めた。
その見た目のせいもあってか、なまえはすっかり抵抗感など失せてしまい、箱の中心にある小さな突起に指をかける。
この突起を押せば箱が開いてしまうのだろう。
なまえは先程よりも気負いなく、その突起を優しく押し、箱の上蓋をゆっくりと持ち上げた。


「お、おお……」


ネットで購入する際、散々吟味した形のものがそこにあった。
形状は細長く、わからない人が見ればただの棒に見える(かもしれない)、あまり男性のそれとは直結しない程度の細長い棒状のものが入っている。色は水色で、女性用に作られているからか、水色といってもはっきりとした水色ではなく、ほんのりと優しい色をした水色だ。


「わ……柔らかい……」


思わず手に取ってみると、それは想像以上に柔らかかった。さらさらとした手触りのシリコンは手に馴染みやすく、片手で掴んでも指先と指先が付くのでえげつない太さではない。先端を指先で突いてみるとふにふにと柔らかく、昔流行った柔らかいバナナのキーホルダーをなんとなく思い出した。


「へぇ……すごい。なんか、全然いやらしくない」


ネットで何時間もかけて吟味したのだから知っていたはずなのだが、やはり画像としての情報だけではなく、実物に触れるのでは全然違う。大きさや手触り、質感、思った以上に女性に対しての配慮が感じられ、じっくりと観察していたなまえだが、それを裏返した時、手のひらにあたる小さな粒に気付く。
いや、粒ではない。スイッチだ。


「こ、これは……」


丸い銀色の粒もといスイッチを発見し、思わず見詰めてしまう。
きっとこれを押してしまえば、この柔らかい棒はぶるぶると震えてしまうのであろう。
なまえは息をつめ、その銀色のスイッチに狙いを定め、人差し指を突き立て……


「主、いるかい?」

「ッ五秒待ってください!!」


部屋の外から声を掛けられ、なまえは手にしていたものを大慌てで箱に戻し、押し入れに突っ込んだ。
それを二秒で済ませ、一秒で押し入れの戸をピシャリと閉め、残りの二秒で身支度を済ませる。


「どうぞ、髭切」

「失礼するよ」


何事もなかったかのように笑顔を張り付け、正座に座り直して入室する髭切を迎えた。
髭切は部屋の中心でちょこんと座るなまえを見ると瞬きを二、三回繰り返し、首を傾げた。


「押し入れの整頓はもう終わったのかい?」

「う、うん! もう大丈夫!」


嘘ではない。確かに例のブツは押し込んでしまったが、他の荷物はきちんと整理し終えている。


「そう、終わってなかったら手伝おうかと思ったのだけど」

(丁重にお断りさせていただきます……!)

「終わったのなら良かった。そろそろ夕餉の時間だから迎えにきたよ」

「ありがとう、私もそろそろ顔を出そうと思っていたの」

「なら良かった。一緒にいこう」

「うん!」


なまえが立ち上がると、髭切がそっとなまえの腰に手を添えた。
恋人となってから(いや、なる前からされていたような気もするが)髭切はなまえにそう触れてくる。
腰を抱いたり、腰に手を添えたり、ふとした時に手を繋いできたりと、何かと距離を縮めてくる。
嬉しいは嬉しいのだが、あまりにも美しい男性にそんなことをされると、何度やられてもなまえは赤面してしまう。
照れた顔のまま恥ずかしそうに笑えば、その笑みに髭切が嬉しそうに目を細めるのが一連の流れでもある。
しかし、今日の髭切はそんななまえにまた不思議そうに瞬きを落とした。


「ねえ主」

「……ん?」

「何、してたんだい?」

「……………………ん?」


髭切の言葉の意味がわからず、なまえは顔を固くさせる。
まさか、『大人の玩具』を見付けてしまったことを言われているのか? と考えたがそれはすぐに打ち捨てる。
何故ならあれに触れていた時はきっちりと戸を閉めていたし、全部しまってから髭切の入室の許可を出した。
ゆえに髭切が部屋の中でなまえが『大人の玩具』に触っていたことなど知るはずがないのだ。
髭切の顔を窺ったが、髭切の様子に後ろめたいものは感じられない。それならば何を聞かれているのか、バクバクと鳴る心臓の音を無視して審神者は答えた。


「……押し入れの、整頓……だけど……」

「うん……聞いてはいたけど……でも……なんか、君の香りが」


鼻先に指をあて、スンと鳴らした髭切になまえはハッと顔を上げる。


「ごめん、汗臭い? もしくは埃くさかった? 食事の前にシャワー浴びた方がいいかな?」


汗をかくほど気合いを入れて押し入れ整理をしたわけではないが、埃臭さは免れなかったかもしれない。
そう衣服に鼻をあてたなまえだが、髭切はそれに対して首を振った。


「ううん、埃臭くもないよ。……その、君の香りが強くて……」

「……?」


何やら言いにくそうにしていたため、最後の言葉が聞き取り辛かったなまえは髭切の言葉を待った。
しかしきょとりとこちらを見るなまえに髭切はしばらく考え込み、向けていた足先を切り替えた。


「少し、庭をまわってから広間へ行こう」

「え? でも夕飯……」


夕餉の支度を知らせにきてくれたのに庭へとまわってしまえば、夕餉に少し遅れてしまわないかと髭切を見上げたが、その見上げた先、なまえの唇に髭切の唇が重なった。


「……君が押し入れ整理している間、僕は一人放って置かれて寂しかったんだ。少しくらい僕に構ってくれるかい?」


一瞬だけ触れた口付けと共に髭切の声が低く囁く。
なまえは触れた唇に指先をあて、こくこくと頷くことしかできなかった。

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