amorosamente(1/2)




『この獣人め!ウチの家の前を通るんじゃないよ!』


買い物からの帰り道、いつも通る道でいつも私を嫌そうに睨むおばあさんからバケツいっぱいの水を浴びせられた。幸い、持っていた買い物袋の中はきちんとしばっていたから濡れずにすんだけど、リナリーさんから頂いた服はぐっしょりと濡れてしまった。

(久しぶりに、人間からああいうことをされた。)

いくらハーフアニマルという単語やハーフ人権委員会というものができようが、まだまだ獣人を蔑む人間は少なくない。以前だって石投げられたり唾吐き捨てられたりしてたけど、最近はそういうのなくって、本当久しぶりですごくびっくりしてしまった。でも色水とかじゃなくて良かった。水なら干せば乾くし。

(ご主人様が帰られる前に着替えなきゃ。)

水が滴る前髪を(誰もいないのを確認して)ぷるぷると振り散らし、お家の中が水浸しにならないよう服もきちんと絞って、私はお家の鍵を取り出しドアに差し込んだ。

(………あれ…。)

鍵が、回らない。
う、ううん、鍵は回ってる。けど回ってない。つ、つまり鍵がかかっていない。…いつも家を出る時は確認に確認を重ねて出ていくし今日もちゃんと鍵を閉めたのを確認してから家を出たので鍵がかかっていないなんて事はありえない。でも、それでも鍵がかかっていないということは…。
ドアをゆっくり、静かに、少しだけ、開けてみる。そしてその隙間から玄関の靴を確認。そこには。

(ご、ご主人様がもう帰ってらっしゃる…!!)

今日履いて行かれたご主人様の靴があって、あ、も、こ、これはどうしよう…!私の脳内ではご主人様が帰る前に帰ってシャワーを浴びて着替えて洗濯機も回してご飯の支度もしてご主人様が帰られるのを待つというプランだったのだけど、どうしよう…!一番最初からプランが崩されている…!というかご主人様より後に帰ってきてしまった…!こ、こんなのお家に住まわせてもらっている獣人失格だ…!しかも今体すごいびしゃびしゃで帰られたご主人様にコーヒーを、どころじゃない…!
ああどうしようどうしよう、私はいったんドアを閉めてその前でぐるぐるぐるぐる回って考える。でもご主人様が帰ってきている時点でどうしようもないのだけど、でも、ど、どうしよう…、ご主人様はすごくすごくお優しい方だから私が後に帰ってきたのは怒りはしないだろうけど(お、お出迎えできなかった自分が悔しいのですっ)、こ、このびしょびしょの格好は気に…する、よね…。します、よね。きっと何があった?って、お優しいから、し、心配して、くださる…。私はそんな、心配されるような存在ではないのだけど、ご主人様は、お優しいから…。
とドアの前をうろうろうろうろしていたら、がちゃり、ドアが開いた。そして。


「なまえ…、お前…!」

「っ!」


ご主人様が、そこにいらっしゃった。


「ドアが開いた音がしたと思えば…、いや、まず入れ。」


驚いた顔のご主人様は私の格好を見るとすぐに腕を引っ張り、家にいれてくれた。あ、あの、ご主人様、手が濡れてしまいます。そうご主人様を見上げるも、ご主人様は私から買い物袋を取って床に置き、濡れた前髪を左右に分けた。


「なんでこんなびしょびしょになってんだよ。何があった。」


と、特に何もありません。ちょっと水がかかっただけで、ご主人様にお聞かせするようなお話は特に…ない、です。ご主人様の「どうした、何があった」という目から逃げるように私が俯くと、ご主人様から小さな溜息が聞こえた。(ううっ)


「とにかくシャワー浴びてこい。体が冷えてる。」


(私の大好きな)ご主人様の大きな手が、私の体温を確認するように首から胸元を滑った。ご主人様の手は気持ちよくて、つい何でもない動作でも気持ち良くって首をそらしてしまいそうになるけど、こ、ここは耐えました…!
それからご主人様は買い物袋を持ってリビングに戻ろうとしてて、あ、あの買い物袋、わ、私が…!とその後をついて行こうとすると、振り返ったご主人様がピッとバスルームを指差した。


「お前は、風呂!」


…まるでハウス!と言われている気分でした。
濡れた服もろもろを洗濯機に入れて、一緒に濡れてしまった鈴は軽く拭いてタオルに挟むことにした。
温かいシャワーを浴びながら、水をかぶった時のことを思い出した。もうあそこは通れないな、遠回りになっちゃうけど違う道を行った方がいい。ご主人様が優しいから、つい忘れてしまいそうになる。獣人の扱われ方を。どんな法律ができようがどんな団体ができようが、獣人は獣人だ。人間に仕えるために、いる。
体と髪をざっと洗ってバスルームから出た。脱衣所にはご主人様が用意してくれたのだろう、私の服(詳しくはご主人様が買ってくださった服)が置いてあってそれに着替えた(鈴はまだ乾いてなくて鈍い音だったけど、一応つけといた)。クラシカルな花柄ワンピースのファスナーを後ろ手でしめながら、ご主人様に着替えを用意してもらうなど、すごいことをさせてしまった…と後悔。

(ほんとに…いいヒト…)

この服だって、リナリーさんのお下がりで十分すぎる(むしろお下がりを私が着てリナリーさんは気持ち悪くなったりしないのかな…)のに、ご主人様が「自分が選んだ服くらい欲しいだろう」って一緒に選んで買ってくださったものだ(といっても私から服を選ぶなんてとんでもない事なのでだいたいご主人様が選んでくださった)。


「ああ、あがったか。」


リビングに戻るとご主人様がコーヒーを飲んでいた。そして「お前も飲むか?」と聞かれたけど全力で首を振った。そ、そんなこと私が…!し、しかも私の分までなんてとんでもない…!あ、あああ、あと着替えありがとうございました…!と何度も頭を下げる私だけど、ご主人様はそんなことしなくていいから、とでも言うように私をソファに座らせて(ゆ、床でいいです私)その隣にご主人様も座った。


「で、何があってびしょびしょで帰ってきたんだ?」


ソファの背もたれに腕を置いて言うご主人様から、な、なんというか圧迫感というか…、に、逃げれないオーラが…!心なしかご主人様の目が少し、こ、怖…いえ、なんでもないです。

な、何もありません。
ありませんでした。そう首を横に振るとご主人様は再度小さな溜息。どうしよう、お主人様、呆れた…?で、でも本当に、ご主人様が気にされるようなことはまったくありません…。少し盗み見るようにしてご主人様を見上げれば、ご主人様の指が私の顎を取った。そして顔を左右に振られて。


「怪我は…ないな。なまえ、本当に、何もなかったのか。」


ご主人様は、確認するように私に言った。
私は、それに一呼吸おいて、こくんと頷いた。


「…………、」


するとご主人様の顔があきらかに不機嫌そうに、不快そうに、不満そうに歪んで、しまった…。ど、どうしよう、ご主人様…、お、怒ってる…。い、言わないから…?私が水かけられたこと言わなかったから…?で、でもそんな事以前はよくあったし、獣人なんていつもそんな感じで、だから、だからあえてご主人様にお聞かせするようなことでもなくて、本当に、わたし、な、なにもなかった…んです…。


「俺は、信用ないか…?」


ご主人様の両手が私の両頬を包んで、俯いてた顔が上にあげられた。必然とご主人様の目から逃げられない感じになって、真っ直ぐなご主人様の目に、すごく、緊張したけど、私はご主人様の言葉に必死に首を振った。

そんなこと、そんなことないです!ご主人様は優しくていつも私に良くしてくださって、こんな、こんな獣人の私にいつもいつもお声をかけてくださる…!ご飯だってお風呂だってお洋服だって!家事しかできない役立たずな私を、置いてくださる、そんなお優しい方を信用ないなんて、とんでもないです!わた、わたし、私はご主人様のこと、すごく、すごく…す、!……って、私何を言おうとしてるんだろ。そんな馬鹿なことは言ってはいけない。と、とにかく、ご主人様が信用ないなんて、そんなこと、ないです!私、ご主人様が死ねというならば喜んで死なせて頂きます!それぐらい、私ご主人様のこと信用しています!むしろ信用させて頂いております!

…なんて、言ってみるも情けないことに喋れない私は無様に口をぱくぱくしてるだけで。伝わない。伝わらない、ですよね…。何言ってんだこの獣人は…って話ですよね。すみません。でも、私、ご主人様を信用してないなんてこと、ほんとに、ない、です。ないのです、よ…。

自分が喋れないことに、ご主人様の言葉を言葉で否定することができない自分に、目を伏せた。すると、私の頬を包んでるご主人様が、ご主人様の顔がふいに近付いてきて、思わずぎゅ、と目を瞑ると、こめかみにご主人様の唇が触れた。
びっくりして、目をぱちぱちさせると、またご主人様の唇が、今度は額に触れた。小さな音がして離れていく唇に、すごくどきどきした。そしてそのどきどきしっぱなしの私に、ご主人様はこつんと額を合わせた。え、あ、あの、こ、これは一体どういう状況で、その、ごしゅ、ご主人様、あの、えっと、…ご主人様……?


「今、俺が、お前に、どんな気持ちを抱いてるか、わかるか…?」


至近距離、ほぼゼロ距離と言っても過言ではないご主人様の近さにくらくらするけど、それ以上に睨むように(で、でもちょっとだけ拗ねたように見えるけど、ご主人様が拗ねるなんてそんなことないからきっと気のせい…?)こちらを見るご主人様の目に体が強張る。
ふるふると小さく首を振れば、今日一番の深い深い溜息が落ちた。
ど、どうしよう、また駄目な返答をしてしまっただろうか…。そう自分でもわかるくらいおろおろしてしまったら、ご主人様は私の腰を抱き、引き寄せ、頭裏を支えるようにして、口付けた。唇に。


「…っ、」


腰を抱き寄せられて自分の体がぴったりとご主人様の胸にあたって、あの、ご主人様、体がすごく触れてます…!シャワー浴びたので多分大丈夫だと思うけど、でも、よ、汚れちゃ、う、獣臭い、匂い、ついちゃ…んんっ


「どうしたら、通じんだよ…」


少し苦しかった口付けの唇が離れて、は、は、と息を整えている私の肩口にご主人様の額が落ちた。埋めるようにするご主人様に、距離に、私はどきどきしてしまう。だって、今のご主人様のお声、とても切なさそうで…、胸がきゅうって鳴きました。きゅうって…わたし猫なのに、変ですね。
ご主人様は肩に顔を埋めたままお顔を上げなくて、どうかされましたか?って見下ろすと、ちょうど顔をあげたご主人様と目があって、自分の耳がぴんっと立つのがわかった。それはもちろんご主人様にも見られて、ご主人様はおかしそうに笑った。それから、またキスをした。


「髪、少し濡れてるな。」


ちゃんと乾かしたか?と言われて、あ、す、すみません、ちょっと拭いただけで、あの、放っておいたら乾くかなって、あの、ご主人様、濡れてるなら、その、髪触らない方が、あの、指が濡れてしまいますし、髪こそ、獣臭…


「このシャンプー、この間ラビが持ってきたやつか?」


あ、は、はい。
あのラビさんが「せっかく綺麗な黒髪なんだからいいシャンプー使うさ!石鹸が許されるのあれユウだけだから!!」って…。綺麗な黒髪は置いといて、でもこれ使うさ!と頂いたので、せっかくなので使わせて頂いてます。とこくんと頷けばご主人様は今度こそ拗ねたような顔をされて、こめかみ、というより髪の地肌に唇を寄せて、あ、も、ち、近いです、ご主人様…!


「くそウサギめ…。俺の知らないとこで…。」


チッ、と舌打ちが聞こえて、あ、わ、私何かまた駄目なことをしてしまったのでしょうか…!!


「お前も、他の男からもらったもんホイホイ使うな。欲しいものがあったら俺に言え。俺が買う。」


は…はぁ…。で、でも私、そんな欲しいものなんて、ありません…。わたし、ご主人様と一緒に暮らせるだけで、すごく、すごくすごく幸せ、なんです…。こうして抱き締められるのは、とっても緊張して心臓が口から出そうなんですけど、でも…(本当はすごく嬉しくて幸せなんです。ご主人様が構わず私に触れてくださる手とか、もうすごく、幸せ…です)。


「俺の知らない匂いを纏うな。」


ぞくり。
ご主人様の唇が私の首に触れて、鳥肌がたった。


「俺に隠し事を作るな。」


隠し事、なんて、そんな、ない、です。ご主人様に隠れてこそこそ、なんてしません。わたし、ご主人様の忠実な獣人、です。


「お前は俺のものだろ。」


はい、わ、わたしは、恐れ多くもご主人様のモノでございます。
こくり、頷けば濡れた鈴が不細工な音で鳴いた。

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