近侍のはて(1/5)

この本丸の膝丸は、笑わないのだと思っていた。
山姥切長義は、鮮やかな海を注ぎ込んだような瑠璃色の瞳で、先まで先陣を切って敵へ突撃していた部隊長を見詰めた。

「第一部隊、帰還した」

審神者を前に頭を深く下げた彼は、戦場では朗々とした声で号令を飛ばし、その声に相応しい、勇ましい戦いぶりを見せてくれた。
敵の懐へと駆け出す迷いのない足、相手の胴を真っ二つに切り上げる力強い腕、倒した敵を振り返ることもなく次の敵へと切り返せるしなやかな体。
押されている仲間がいれば敵を斬り伏せつつ、すぐさま後援にまわる。深追いはせず、相手の攻撃がおさまればその場を引き、後を仲間に任せる。気付けば彼は隊の後ろに構えては、戦況を見極め、次の一手を考えていた。
勇猛果敢、しかし、冷静であることを忘れない。隊長として実に素晴らしい逸材だ。流石源氏の重宝と謳われた刀、と感心した程だ。
しかし、山姥切長義が尊敬の眼差しを向けた凛々しい彼は今、あの時共に戦った勇ましい刀とは思えないほど優しく、慈愛に満ち溢れた表情を浮かべていた。

「膝丸のおかげでまた新しい刀剣を迎えることができたわ。いつもありがとう」
「なに、主である君の命だ。必要とあらば、いつでも戦場に向かおう」
「山姥切長義を迎えることができたから、膝丸はしばらくお休みだよ。体を休めてちょうだい」

春の山々を思わせる白緑の髪。そこから覗く梔子色の目が、陛に立つ一人の若い女を見上げていた。
敵を斬り倒していた時は眼光さえ刃かと思わせるほど鋭かったというのに、女の前で膝をつく膝丸は、木漏れ日に目を細めるように穏やかだった。

……これは戦場で見た刀と同じか?

敵を前に不敵に笑うことはあっても、その涼しげな顔を崩すことは決してなかった膝丸が、こうも柔らかな表情を見せるとは。

「あなたが、山姥切長義……?」

審神者の目がこちらに向けられた。
審神者の手より立たされた膝丸の視線も、つられて山姥切長義へと向けられる。ほっそりとした審神者の手を握ったまま、目だけをこちらに寄越した膝丸に、山姥切長義は「なんだ、そういうことか」と納得する。
笑みを浮かべて歓迎してくれる審神者とは違い、興味が無さそうに向けられた膝丸の目には、山姥切長義など映っていなかった。そこに山姥切長義がいるのかすら怪しいほど、何も映していなかったのだ。
ここに来るまで、この本丸の情報は事前に把握していた。審神者のプロフィールから最近の戦績、刀剣男士との関係まで書かれた報告書を頭に入れてからこの本丸に来たつもりだったが、この本丸の審神者と膝丸が男女の関係にあるというのは書かれていなかった。
しかし二人がそういった関係であるというのは、この膝丸を見れば一目瞭然だ。そこまであからさまなのはどうなのだろうか、と思いつつも、山姥切長義は外套も目隠しも取った姿で審神者の前に立った。

「そう。俺こそが長義が打った本歌、山姥切。戦場での采配、見事だったよ」
「私は本丸で貴方達の帰りを待っていただけ。現場での細かい作戦指示は全て膝丸がやってくれているから、実質私は何もしていないわ」

ゆえに、その言葉は自分に向けられるものではない、と審神者は言った。しかしそうだとしても、主命から反れないよう戦場を指揮できる刀剣男士を育成できるかできないかは、審神者次第だ。

「他の刀剣達も見事な戦いぶりだった。その刀剣達も、君に忠誠を誓い、主命を遂行するために勇んでいたのだから、十分君の手柄さ。俺もその内の一人となれるよう、尽力しよう」
「……私も、貴方に良い主だと思ってもらえるよう、努力するわ」

褒められるのはあまり得意ではないらしい。山姥切長義の言葉に苦笑を浮かべた審神者ではあったが、悪い気はしない。報告書にあった通り、謙虚な性格をしているのだろう。控えめに笑みを浮かべるさまがそれを裏付けている。

「この本丸に慣れたら、貴方にも隊に入ってもらって出陣してもらおうと思っているから、よろしくね」

隊に入るということは、部隊長に任命されるわけではないのだろうか。ここに来るまでにこちらの実力は存分に見せたつもりだったが、隊長への道のりは長いらしい。
山姥切長義は審神者の側に控える膝丸を一瞥しては、小さく肩を竦めてみせる。

「いいのかな? 隊長の見せ場まで奪ってしまうかもしれない」

審神者と膝丸の関係を今一度確かめるように言ったつもりだったが、膝丸は山姥切長義を見ることもなければ、気にした様子もなかった。おや、と眉を上げてみたが、膝丸の態度は変わることはなく、審神者が山姥切長義に一言残しただけでその場は解散となった。

「期待しているわ」

それから審神者は膝丸へ出陣の報告を聞かせて欲しいと言い、二人は審神者の私室へと向かって行った。
審神者へ向ける膝丸の笑みを思い返し、煽れば何か反応らしい反応があるのかと思ったが、そうではなかったことに山姥切長義は少しだけつまらなさそうな顔をした。
いや、別に冷やかすつもりはなく。
ここにある名は違えど、『薄緑』の名を持つ膝丸がどんな刀なのか知りたかったのだ。
先の戦場では見事な戦いぶりを見せてくれた彼ではあるが、審神者を前にする彼はまた違った一面を見せてくれた。普段も戦場と同じく冷静で涼やかな目をしているのかと思えば、微笑みもすれば穏やかな表情もする。
言うなれば表と裏。どちらが本当の彼で、どちらが偽りなのか。
名の多き刀だと聞くが、その性格も数多くあるのだろうか。
語られる逸話は幾つもあるものの、あの刀を物語るのは何なのか。

(さて、彼は何ものだ)

二人の背中を見据え、山姥切長義は踵を返した。

×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -