近侍のはて(2/5)

戦場から戻った後、部隊長は審神者へと出陣の報告義務がある。
近侍同席のもと行われることが多いのだが、此度部隊長であった膝丸はこの本丸の近侍ゆえ、報告は審神者と膝丸、二人で行われることとなった。

「近侍を……?」
「うん。しばらく膝丸には近侍を外れてもらおうかなって」

そこで膝丸は、審神者から近侍を解く話を聞かされる。
出陣の戦果、新たな刀剣男士、負傷者の有無等の報告を部隊長である膝丸が報告し、それを聞いた審神者が近侍である膝丸へ次の出陣までどう過ごすかを話す番だった。それは、審神者の私室にて聞かされた。

「ここ最近出陣ばかりで疲れたでしょう? ゆっくりしてもらおうかと思って」
「いや、特に疲れなど……」

突然の暇を告げられ、膝丸は少しばかり戸惑った様子だった。それもそうだろう。膝丸が近侍を務めて今この時まで、膝丸は近侍から外れたことがない。膝丸が出陣でいない間は近侍代理として兄の髭切がこの本丸を、審神者を守ることになっているのだが、それでも代理としてなので近侍はずっと膝丸のままだったのだ。

「何か、俺に不備があっただろうか……」

審神者の前で座した膝丸が、少しだけ視線を落とす。僅かに俯いた膝丸がまるで捨てられた仔犬のようで審神者は慌てて言い直した。

「不備だなんて! そんなつもりはなくて、全然、まったく!」
「本当に……?」
「ほ、ほんとうに……! 膝丸にはずっと近侍をやってもらっていたし、心の底から休んで欲しいと思ってて!」

審神者は膝丸へと詰め寄り、他意はないとしっかり目を見て告げる。すると、落ちかけていた梔子色の目が少しだけ持ち上がったのだが、その目はまだ疑いの眼差しで審神者を見上げていた。弱々しくも何かを強く訴えようとする目に審神者は詰まりながらも、自分の誠意をわかってもらおうと膝丸の手を取った。

「膝丸がいると、私は膝丸に甘え過ぎちゃうから……」
「……? それの何が悪い」

膝丸が右目にかかる前髪を揺らす。首を傾げては梔子色の瞳が不思議そうに丸くなった。

「俺は、君に頼りにされることが嬉しい」

それが俺の幸せだとばかりに話す膝丸の眩しさに審神者は目が眩みそうになる。しかし審神者はそのまま流されまいと、自分の中のリズムを整えるように包んだ手で膝丸の手をゆっくり叩いた。

「そ、それだと、膝丸が休めないでしょう? 今回は出陣も続いていたし、多分、膝丸の感じてないところで体も疲れていると思うの。体も気も休めて欲しいの」
「君は……、俺がいると休まらないのか」
「まさか! 居てくれたら助かる事ばかりでそんな事思いもしないよ!」

何故そんな事をいうのだ、と審神者が悲しそうにすれば、そんな審神者の表情に膝丸はやっと他意が無いとわかってくれたのか、そっと目尻を下げた。

「ならば問題はない。俺こそ、君の側に居ると気が休まる。君が不快に思わないのなら、変わらず側に置いてくれると俺は嬉しい」
「……っ」

膝丸の指が落ち着きのない審神者の手を掴む。どうか離さないでくれ、とばかりに絡んでくる指は審神者の手を封じ、侵蝕していくように合間を縫ってきた。
じわじわと絡んでくる指に負けてしまいそうだ。いや、いっそ負けてしまった方がいいのではないだろうか。そんな考えにさせてしまう膝丸がずるい。しかし、審神者は此度の出陣の間のことを思い出しては、膝丸のため、自分のためを思い、その手を押し戻した。

「あ、あのね、膝丸……っ」
「…………」

押し戻された手に膝丸の表情が一瞬だけ消える。凍ったかのようにも見えた。

「じ、実は、膝丸が出陣でいない間、その、恥ずかしながら、膝丸がいないとわからないっていう案件が結構ありまして……」

しかしそれはほんの一瞬だけで、膝丸は審神者の言葉を聞き、すぐに申し訳なさそうに目を伏せた。

「それはすまなかった。すぐに取り掛かろう」
「いや、大丈夫。ちゃんと調べて終わらせたので大丈夫……。でもね、それが個人的に非常にまずいことだなと思って……」
「どういうことだ?」
「誰かがいないと駄目なものがあるって、ここの責任者としてはあまり褒められた体制じゃないなって思って。だから膝丸に休んでもらいたいのは大前提なんだけど、その間、ちゃんと本丸のお仕事を整えたいなって考えたの」

膝丸に戦場を任せている間、審神者は執務に追われていた。近侍代理として髭切が手伝ってくれていたものの、膝丸に確認してみないとわからないといった案件が何件もあり、審神者はそんな本丸の実態に愕然としたのだ。
膝丸……近侍が抱えている仕事量が知らない間に増えている。本丸責任者としての重要書類等は審神者が抱えていたものの、細々とした申請や後回しにしていた書類が全て膝丸の元で管理されていたのだ。提出期日にはまだ余裕があったため、膝丸がうまく管理してくれているのだとわかったのだが、それでもこんなに抱えているとは知らなかった。道理で最近、執務が順調だと思ったわけだ。全部、知らない間に膝丸がサポートしてくれていたとは。
優秀な審神者になったつもりだった……と自分の不甲斐なさに打ちひしがれる審神者の横で髭切が「主に聞かないで勝手なことをする弟も良くないなあ」と苦言を呈していたが、審神者はそもそもそんな環境を作ってしまったことに問題があると考え、本丸体制の見直し……主に近侍の役割分担について考え直すことにした。

「膝丸が出陣している間、膝丸がやっていてくれた仕事は私の方で全部処理をしました」
「君が……、大変だったであろう」
「ううん、元々は私の仕事だし。その前にそれを膝丸にやらせていた事が私は申し訳なく思ってて。だから一度膝丸には近侍を外れてもらいたいの。だって膝丸、近侍をやらせたら絶対私を手伝うでしょう?」

もちろん膝丸を休ませることが第一の理由ではあるのだが、そこ行き付いた経緯をきちんと話すと、膝丸は少し悩んだ素振りを見せた後、審神者へと向き直る。

「……俺が側にいると仕事の洗い出しができない、か。君の言いたいことはわかった。しかし、俺が休みをもらう間、近侍はどうする。兄者か?」

付けないわけにもいかない近侍の空席を膝丸が尋ねると、審神者は「うん」と頷いては背を正す。

「せっかくだから、山姥切長義にお願いしようかと思っているの」
「山姥切長義……」

まるで、その場で初めて聞いたかのように膝丸はその名を口にした。

「あの子なら、本部から届く資料や案件の管理方法とか把握しているだろうし、もしかすると処理の方法について何か良いアドバイスをもらえるかもしれない」

先程話した限りでも、話し方は落ち着いていたし、真面目でしっかりとした印象を持った。ゆえに、彼を近侍にすることで問題点の洗い出しができて、近侍本来の仕事の割振りが見えてくるに違いないと審神者は思ったのだ。

「どうかな?」

同意を求める審神者を、膝丸は静かに見詰めていた。深い色の目に見詰められ、審神者は何か咎められているような気がしたのが、それを問う前に膝丸が審神者から一歩下がり、頭を低くした。

「俺に拒否権はない。君がそうだと決めたのなら俺はそれに従うまで。……しばし、休みを貰おう」

むしろ休みを取ってくれと言っているのはこちらの方なので、審神者は慌てて膝丸の肩を掴んで頭を上げさせる。

「そんな堅苦しいことしないで。これは膝丸に甘えた私の落ち度だから、膝丸は何も考えず、ゆっくり休んで。ね?」
「…………」

そう口にする審神者の顔には、膝丸が出陣でいない間、一人執務をこなしていた疲れが滲んでいた。自分の手から離れていた案件を全て手元に戻したのだ。笑みに覇気が無いのも仕方が無いだろう。
膝丸はそんな審神者の頬へと手を伸ばし、疲れの見える目元をそっと撫でる。

「休みが必要なのは、君の方だと俺は感じるのだが」
「膝丸ほどではないよ。それに、これは自業自得だし、私も落ち着いたらお休みを取るから」

今は膝丸が休んでくれ、と審神者は微笑み、膝丸はその微笑みにつられるようにして苦笑した。和らいだ空気に、膝丸は審神者へと額を擦り合わせた。

「何かあったら呼んでくれ」
「何もないよ。ゆっくり休んで」

出陣していた間を埋めるように距離を詰めた膝丸に、審神者は擽ったそうにしつつも腰へとまわった腕に素直に抱かれた。

「……夜は、部屋に行っても……?」
「う……、す、すこし、なら……」

不意に恋人同士の話をされ、審神者は少し言葉を詰まらせながらも小さく頷いた。何が少しなのかわからないが、頬を染めて返す審神者へ膝丸が安堵したようにふっと笑った。

「良かった。それさえも奪われたら俺は気が狂うところだったぞ」
「お、大袈裟な……んっ」

小さく笑った審神者の口に膝丸の唇が押し当てられる。
まだ話途中だったというのに唇を吸われ、審神者は息を吸うタイミングを逃した。
膝丸は小さく柔らかい唇を、角度を変えながら優しく食み、反っていく審神者の背中を抱き寄せる。ちゅ、ちゅ、と甘い音をたてながら唇を何度も吸われ、審神者は息をつく間も与えられない。

「あ、ふ……っ」

いつもよりきつく抱かれ、少し苦しい。そう膝丸の胸を押し返すも、膝丸はその腕ごと押し潰すように腕の力を強めた。口付けの合間の、は、と短く吐き出す息さえ奪うように口付けられ、審神者は苦しさに身を捩る。しかし、膝丸の手が審神者の首裏を支え、唇を離すことは許されなかった。

「ん、……んっ、ぅっ」

苦しい。息ができなくて苦しい。しかし重なる唇と食んでくる唇が嫌になるくらい優しくて、審神者は苦しいのか気持ちが良いのかわからなくなってくる。

「……っ、ん、んぅ…………」

だんだんと審神者の頭がぼうっとし始め、その息苦しささえ心地良くなり始めた頃。甘く熟した唇がひやりと冷えて意識が急に呼び起こされる。ちぅ、と可愛らしい音を立てて離れた唇で審神者は目を覚ました。

「……心配だ。口付け一つでこんなに蕩ける君の側から離れるなど」

膝丸はそう言って、未だ夢心地な審神者の頬を撫でる。文字通り蕩けた体をしっかりと抱き留める膝丸の腕に、ついうっとりと酔いしれそうになるも、審神者はかき集めた意識で膝丸の胸に両手をついた。

「も、もう……、させたのは誰よ……」

弱々しく胸を押し返し、なんとか姿勢を正す。しかし、膝丸の唇がまだ終わっていないとばかりに追い掛けてきた。

「早く君の側に戻れるよう、精進しよう」
「んっ……!!」

甘く囁くような低い声と共に、薄く開いた唇に、ふう、と息を吹き込まれた。
びくりと震えた審神者の体を抑え込むよう、膝丸が審神者の両手首を掴んでは動きを封じた。

「ひ、ざまる……っ!」

膝丸の息が血か何かのように全身へと駆け巡った。悪戯に息を吹き込まれただけというのに、審神者の全身はかっと熱くなり、ぞくぞくと粟立つ。
拘束するようにされた手首を放して欲しかったが、その手が放れることはなかった。しかし、振り解けないほど強く掴まれているというのに、審神者の手首を抑え込む手は優しい。そのちぐはぐな力加減に、これは乱暴にされているのか、それとも優しくされているのか、どちらか判断がつかず審神者の頭はくらくらとしだす。
座っているというのに審神者の体がふらついてしまいそうなった時だ。膝丸の唇がやっと離れ、頬をなぞるようにして耳元へと唇を寄せられた。

「――君の近侍はこの俺だ。ゆめゆめ忘れるな」

とろり、と毒を流し込むような低く掠れた声。まるで呪いでもかけられているような気分だと審神者が息を飲めば、膝丸の手がやっと離れた。赤い頬を一撫でされ、膝丸が立ち上がる。

「山姥切長義を呼んでこよう。俺から近侍の話は伝えておいた方がいいか?」
「は、話しても大丈夫だけど、詳しい説明は私がするから……」
「そうか」

一人だけ涼しい顔をする膝丸からたっぷりと見下ろされ、審神者は負けじと睨み返したが、柔らかく目を細められて一蹴されてしまった。

「では、失礼する」

膝丸がそう短く告げ、審神者の部屋から出て行った。何事も無かったかのように退室した膝丸を見送り、審神者は一人息を吐いた。

「…………はーっ」

何の溜息なのかわからないそれに、再度溜息が出そうになる。二度目の溜息をなんとか堪えつつ、乱れた気がする衣服を整えては近くの机に体を預けた。火照った頬に冷えた机が気持ちいい。

(もう、膝丸ったら……)

休んで欲しいから近侍を外すと言えばあのようにされ、嬉しいような、困ったような感情がぐるぐると審神者の中に渦巻く。振り回されている、と感じつつもそれに喜びを感じてしまう自分はもう膝丸を制御することなどできやしないのだろう。

「う〜っ……!」

息を吹き込まれた時の恥ずかしさを思い出し、審神者は机に突っ伏す。唇にそっと指先を添えれば、まだ吹き付けられた感触が残っている気がして頬が熱くなった。

(……ヤキモチ、なのかな)

両手首を縛るようなことをされ、いつもより少し強引にも思えたあの行為は、自分以外の誰かが近侍を務めることに対しての抵抗なのだろうか。そうだと思えば、審神者の胸が甘く締め付けられる。
手首を強く掴まれたことに驚きはしたが、それほどにまで側に居たいと願っているのかと思うとこんなに嬉しいことはない。きゅうっと悲鳴をあげそうになる胸に手をあてたまま、早く膝丸が近侍に戻ってこられるよう体制を整えてあげようと審神者は目を閉じた。
深く息を吸い、気を引き締めるよう体を起こした瞬間。

「……っ」

吸い込んだ息が喉奥で絡んだ気がして審神者は咳き込んだ。
二度、三度と肩を上下させるも、突き出るような咳は止まらず、何故咳き込んだのかわからないまま審神者は胸を押さえる。吐き出した分だけ息を吸えば、胸がぎりぎりと引き千切られるような痛みが生まれ、審神者は顔を顰めた。

(えっ……、な、なに……っ!?)

急に痛み出した胸を押さえたまま、審神者は全身から何かが噴き出るような感覚を味わう。
肌がざわつく。髪が逆立つ。感じたことも無い強い衝動が全身に走っては満たし、体から出たがっている。それは噴出させてはいけないものだと無意識に悟った審神者は自身を抱くようにして蹲り、顔を歪めた。出してはいけないと感じるものの、心と体に反してそれは出ようとしていた。

「あ、い、いや……、だめ……っ」

急激に体が熱くなり、震え出す。ぱき、ぱき、と部屋中から板を割るような乾いた音が鳴りだし、まさか自分が音を出しているのかと審神者は首を振った。

「やめて……、だめ、こわい……っ」

この溢れ出そうになっている力はなんだ。体の奥底から湧き上がるそれは自分の霊力のように思えたが、こんなに制御が利かないことは初めてだ。自分ではどうすることもできない見えない力に、審神者は頭に浮かんだ名前を呼ぶ。

「……っ、膝丸……っ」

誰に縋っていいのかもわからない。しかし一番に浮かんだ名なら助けてくれるかもしれない。そう名前を口にするも、まるでそれが引き金だったかのように、審神者の体から何かが噴き出た。

「――っ!!」

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