俺の主(1/3)

膝丸と髭切は仲が良い。
『弟の……、えーっと、何ていったかなぁ』
『兄者っ! 俺の名は膝丸だ! ひ、ざ、ま、る!』
そんなこと、彼らは兄弟である前に二振りで一つの『二振一具』なのだから百も承知だ。どんなに兄が弟の名前を思い出せなくとも、いつも二振り肩を並べているのを見ればわかることだ。互いに互いを尊重し、唯一無二の存在と認めている。性格は違えども、凛とした佇まい、品のある顔立ち、源氏の重宝としての高邁な精神を持つ二振りは、仲が良いだけではなく心の通じ合った兄弟だ。
『俺と兄者は本当に仲の良い兄弟なのだ。……本当だぞ』
審神者とてわかってはいるのだが、膝丸の恋人としてそれを目の当たりにしてしまうと、正直心揺らぐことの方が多い。膝丸の気持ちを疑っているわけではない。膝丸はいつも審神者を優しく慈しんでくれる。
ただ、少しだけ寂しいのだ。
膝丸の一番大事なものが自分ではなく、髭切だということが。
(……欲張りね、私は)
膝丸と心を通わせ、恋人同士になれただけでも嬉しいことなのに、そればかりか彼の一番大事なものになりたいと願っている。誰かの一番など、本人にしか決められないものだというのになんと高慢な願いだろうか。純粋に互いを思い合っている兄弟を前に、ひどく醜い形をした自分の心が嫌になってくる。
「……君」
こんな心を持っていたら、とてもじゃないが彼の一番になどなれるわけがない。いいや、なってはならない。こんな自分が、彼の一番になどなってはならないのだ。ヒビの入った器から滲み出るような気持ちを審神者は握った拳で抑え込む。
「――君」
すると、視界に梔子色の瞳が飛び込んできた。
俯いていた顔を持ち上げれば、内番着姿の膝丸が高欄を挟んで審神者を見詰めていた。庭に面した簀子に腰を下ろしていた審神者の顔を、やや心配そうに覗き込む膝丸に審神者は驚く。確か、先まで髭切と庭を歩いていたように思えたが、いつの間にかこんな近くにきていたのか。審神者は凭れていた高欄から思わず体を離した。
「膝丸……」
「大丈夫か。先から何度も呼んだぞ」
「ご、ごめん……。気付かなかった」
「…………」
本当は膝丸のことを考えていて余所に注意がいっていなかっただけなのだが、本人にそれを言うのは憚れる。膝丸へあのような感情を抱いているなどと、とてもじゃないが知られてはならない。
「日向ぼっこしてたらうたた寝してたみたい。ごめんね」
膝丸の呼びかけが聞こえなかったことを適当な理由で誤魔化せば、膝丸の眉が険しく寄せられた。
「休むなら部屋で休みなさい、ここでは風邪をひく。それとも具合が悪いのか」
「ううん、そんなことないよ。天気が良かったから、つい」
天気が良くて日向ぼっこをしていたのは嘘ではない。そこで膝丸を見付けたので呼び止めようとしたら、髭切と仲良く肩を並べていたのを見て止めたのだ。
膝丸があまりにも無邪気な笑みを兄の前で見せるものだから、その笑みが眩しくてつい座り込んで眺めていたのだ。審神者には見せることのない表情を、離れたところで、そっと。
「……元気がないな。本当に大丈夫なのか」
「大丈夫。ちょっと事務仕事続きでぼーっとしてただけ」
心配しないで、と付け足せば険しい表情は幾らか和らぐも、代わりに気遣うような表情をさせてしまった。心配させているという申し訳なさと、心配してくれているという嬉しさが綯い交ぜになる。
「俺に手伝えることがあったら言って欲しい」
「ううん、本当に大丈夫だから。事務仕事もきちんと終わらせたよ」
「本当か」
「うん、本当。ありがとう、膝丸」
心配してくれる膝丸へ小さく笑みを浮かべれば、安心してくれたのか膝丸もつられたように微笑んでくれた。膝丸の優しげな笑みに揺らいだ心が少しだけ凪ぎ、審神者の心は落ち着きを取り戻したかと思えた。
「やあ、主。日向ぼっこかい」
膝丸の後ろから、彼によく似た顔の髭切が顔を出すまでは。
膝丸の後を追ってきたのか、やや遅れて登場した髭切に審神者は浮かべた笑みが引き攣るのを感じた。醜い感情を髭切へと向けていた後ろめたさに心がざわめく。大好きな二振りに卑しい気持ちを抱いた罪悪感に嫌な汗がじわりと滲む。
「でも、日向ぼっこをするのなら羽織を一枚持ってきた方がいいよ。風邪をひいてしまうからね」
「兄者、それはもう俺が注意したところだ。休むなら部屋で休むよう言った」
「そうなのかい? 流石、僕の弟はしっかりしている」
「こんなことでしっかりしていると褒められてもな……」
「おや、嫌だったかい?」
「い、嫌とは言っていない……」
「うん、ならいいじゃないか」
「…………」
髭切に褒められた膝丸が口を引き結ぶ。しかしそれが照れ隠しなのは見て取れた。
内心嬉しそうにする膝丸の姿を見て、心に新たなヒビが入るのを感じた。
――ほら、私の入る余地など無い。
先まで審神者と話していたのに、膝丸の意識はすぐに髭切へと向けられる。はにかむような表情も、審神者の前では絶対にしないものだ。新たなヒビからじくじくと滲みだすどろりとした黒い何かに胸が痛みだす。胸が詰まる息苦しさにそっと息を吐けば、思い出したかのように膝丸がこちらへと振り返った。
「そうだ、君。何か食べたいものはあるか」
「え……?」
「今日は夕餉の当番を任されている。要望があれば今の内だぞ」
「僕、ハッシュドビーフがいいな」
「兄者、ハッシュドビーフは前の当番の時に作ったであろう」
「そうだっけ? んー、じゃあ、ハンバーグ。甘い人参のやつを添えて欲しいな」
「今は主のリクエストを聞いている……」
「僕のは聞いてくれないのかい?」
「……は、ハンバーグは既に決まっている。……先日、兄者が食べたいと言っていたからな」
「おお……! 優しい弟を持って僕は幸せだよ」
兄弟仲が良いことはいいことだ。
わかっているはずなのに、どうしてかそれを心穏やかに受け止められない自分がいる。感情がざらつき、胸が落ち着かなくなる。そんな事が尚更自分を汚い人間に思わせて、審神者は自分自身をひどく嫌った。
張り付けたような笑みを浮かべ、審神者は顔を上げた。
「悪いのだけど、夕飯はいらないわ」
「……何故」
「恥ずかしいから皆には黙ってて欲しいのだけど、仕事中にお菓子をたくさん食べちゃってお腹がいっぱいなの。食べ過ぎたから夕飯は我慢するわ」
「なら、軽いものを君に作ろう。何も食べないのはよくない」
「大丈夫よ。それに、やっぱり事務仕事で疲れているから今日はゆっくり休むことにするわ」
はやく寝てしまえば変な時間にお腹空かないでしょう? と続け、審神者はその場から立ち上がった。すぐに膝丸が引き止めるように審神者を呼んだが、審神者はそのまま踵を返した。
「放っておいて、疲れてるから」
この笑顔も限界だ。はやくこの場から立ち去りたくて、審神者は短く告げてその場を去った。背中に膝丸と髭切の視線を感じたが、無視して自室へと足早に向かった。角を曲がったところで目の奥から熱いものが零れ出そうになったが、何度か瞬きを繰り返してやり過ごす。
(泣くな。勝手に傷付いて、勝手に嫌な気持ちになって、あんな態度を取って、泣いていいわけがない)
冷たい言葉を掛けられた膝丸と髭切の気持ちにもなってみろ。きっと優しい二振りは何かあったのだろうかと心配してしまう。
……いや、もしかすると変な主だと首を傾げているだけかもしれない。
願わくは、そちらの方がいい。そっちがいい、と審神者は辿り着いた自室の中で涙を流した。


――一方、残された膝丸は審神者がいなくなった廊下の先を見詰めては口を開けて立っていた。
疲れているから、と軽くあしらわれたような言葉に理解が追い付かず、何だか冷たくもされたような気もするが、審神者から冷たくされたなどと認めたくないために懸命に違う可能性を考えていたが、その頭裏を突然叩かれた。
ばしんっと庭先で音が鳴る。
「……っ! な、なんだ、兄者!」
膝丸の頭を叩いたのは隣にいた髭切で、何か不可解なものを見るように眉間に皺を寄せて膝丸を見詰めていた。
「いや、なんとなく……?」
「な、なんと、なく……?」
なんとなくで叩くものなのか頭は……、と膝丸は強く叩かれた頭裏を擦った。

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