落ち込みガールの真相「(…神矢の様子がおかしい)」
とある日の朝練中。
平古場はラケットを手にしたまま涼音の姿を盗み見た。
平古場の視線に気付いていない涼音はいつもと変わらずぼーっとコートの端に突っ立っている。
少しして、ぼーっとしていることに気付いた木手に頭を引っぱたかれて渋々と転がっているテニスボールを拾い集め始めた。
普段と何も変わらない日常である。
が、平古場にはどこか引っかかるところがあった。
初めに引っかかったのは、今朝家から出てきた涼音の顔を見た時だ。
普段から面倒くさそうな顔をしている涼音だが、今日はそれに加え少しの不機嫌さも垣間見えた。
口数はいつも以上に少なかったような気がする。
涼音の部活に対してやる気がないのは日頃からだが、学校に着いて部室に入った時も、やたらため息をついていたように思えた。
いや、全てが平古場の「気がする」や「思う」と憶測に過ぎず、確信は持っていなかったが…やはり普段の涼音と何か違う気がしてならなかった。
「(…あー、なんか調子狂うさぁ)」
はぁ、と周りに気付かれない程度にため息をついた。
「…凛!」
と、急に甲斐の声が飛ぶ。
呼ばれたところで我に返った平古場が振り向く。
「何よ、
あがっ!?」
ガツン!と飛んできたテニスボールが平古場の額を捉えた。
「〜っ」
「あー、悪い悪い。大丈夫か?」
「大丈夫…なわけあるか!もっとまーい(周り)見ろ、裕次郎!」
「ははっ、わっさん」
どうやら甲斐の打ったボールが軌道を逸れ平古場にヒットしたようだ。
平古場の元に来た甲斐だが、反省するつもりは余りないようで呑気に笑っている。
「やてぃん、そんな所に突っ立ってる凛も凛やし。ぬーしてるんばぁよ」
「あー…いや」
「…?」
甲斐が平古場の視線の先に目を向けると、のろのろとボール拾いをしている涼音の姿があった。
何故か中腰で動くその動作はひとつひとつが遅く、鈍い。
一見すればただやる気のないだけにも見える。
「涼音?が、どうかしたか?」
「…あぬひゃー、何かいつもと様子が違う気がするんばぁよ」
「そうかぁ?」
そう言われた甲斐は涼音を見てみるが、平古場の言う「様子が違う」ところは見受けられないようだった。
首を傾げてまた平古場の方を見る。
「わんにはいつもと変わらないように思えるさぁ。凛はどこが違うと思うんだばぁ?」
「どこがって…」
聞かれても、平古場はこれと言ってはっきり答えられない。
「どこか」おかしいと思っていても「どこが」おかしいとは明確に分かっていないのが現状だ。
「…何となく」
「何となくぅ?…あー成程な。やー、涼音ぬくとぅよく見てるもんな。違いも分かるんだな」
半目になった甲斐が面白がって茶化した。
平古場は分かりやすく慌て、目を見開く。
「ふ、ふらー!たー(誰)も見てなんか…!」
「貴方が何を見ていようが見ていまいがどうでもいいんですがね」
「!」
「!」
いきなり背後から飛んできた声に平古場も甲斐も揃ってビクッと反応する。
恐る恐る振り返れば、そこには見るからに苛立っている木手が立っていた。
「え、永四郎…」
「今は無駄話をしている時間ではないんですよ。全国大会も近付いている今の時期の一分一秒がどれだけ大切なのか理解出来ていないようですね」
「わ、悪かったさぁ」
「す、すぐ戻るって」
「…まったく」
2人が謝れば、木手は腕を組んで大袈裟に息を吐いた。
すぐさまコートに戻る甲斐に平古場も続こうとするが、ふと足を止める。
木手の方に顔を向け、問う。
「…なあ、永四郎」
「何です」
「…神矢の奴、なんかいつもと様子が違うような気がするんやしが…」
「神矢クン、ですか。…まあ、いつも以上に動きが鈍い気もしない事もありませんが…」
「!」
やっぱりそうか、と平古場が顔を上げたと同時、木手が「しかし」と声を大きくする。
「いつも以上に動きが鈍いのは他ならぬ平古場クン。貴方だと思うのですが?これ以上俺を苛立たせるつもりなら、
ゴーヤ食わすよ」
「もっ、戻る戻る!戻るからゴーヤは勘弁!」
平古場は逃げるようにして木手の前から走り去った。
涼音が気になるには気になるが、木手の怒りは食らいたくないのが本音である。
しかしコートに入る前にまた、ちらりと涼音に視線を渡す。
涼音は面倒くさいと言わんばかりに無造作にボールを放ってはカゴに入れている。
…違和感に確信を持てないまま、平古場は練習を再開させた。
☆
朝練が終わり教室に移動してからも、平古場の持つ違和感は払拭されなかった。
「…」
隣の席の涼音に視線をやる。
涼音は教室に着くやいなや机に伏せている。
それから一言も発していない。
居ても立ってもいられない平古場は声を掛けることにした。
「…おい」
「……」
「…おい、神矢」
「………あ?」
数回呼び掛けて、ようやく返事がくる。
体は伏せた状態で涼音は顔だけのっそり上げた。
「……何さ」
「…やー、風邪でもひいてるんばぁ?」
「風邪ェ?いや、別に…」
「じゃあなんであんし(そんなに)テンション低いだよ」
「えぇー…低くないし超バリ高だし」
「嘘つけ」
「ウソて…」
ぴしゃりと返してくる平古場に涼音は困った顔…と言うより面倒くさそうな顔をする。
「というか、別に良くない?うちのテンションとか…平古場くん関係なくない?」
「関係ないってな…って、おい、まー(どこ)行くんだばぁよ」
話している途中だと言うのに涼音はふらりと立ち上がり、席を離れていく。
「あー…ちょっと、お花摘みにでも行ってきますわ」
その背中に平古場が声をかけるが、涼音は振り返りもせず返す。
お花摘みと言ったがつまりはトイレである。
平古場もそれを引き止めるわけに行かず「ああ…」とだけ呟いた。
教室から出るまでものろのろ歩く涼音の姿は、前に授業で使う巨大巻物型地図を平古場に向かって全力で投げ付けてきた奴と同一人物とは思えないほどだ。
「(風邪、ではないのか…)」
平古場は先程の会話を思い返し少しだけ安心していた。
「(…いや、というか風邪じゃないんなら何なんだよ)」
本人に聞いたと言うのにむしろ違和感と疑問が増した気がする。
教室に残された平古場ははあ、と重いため息をつくのだった。
☆
結局、核心には触れられぬまま午後の部活時間となってしまった。
「…やっぱりあぬひゃーおかしいだろ」
「まぁだあびてる(言ってる)んばぁ?凛」
今日1日、部室で着替えている今もしつこく同じことを繰り返している平古場に、さすがに甲斐も呆れ顔になる。
甲斐は着替え終わっているのだが、平古場はまだ制服のままだ。
「涼音は何でもないってあびてたんだろ?じゃあ気にするくとぅねーらん」
「…そうあびてても何でもないようには見えないんどー…」
喧しいくらいのテンションの涼音があれほど沈んでいるのだから、よっぽどのことがあるのだと平古場は思っている。
しかしそれが何なのか、他の生徒とのトラブルか、はたまた家で問題でも起きたのか…と、考えたところで答えが見つかるわけでないのだが。
「やーは気にし過ぎさぁ」
「……」
「涼音くとぅやし、どうせあちゃー(明日)になったら普段通りになってるって」
「…そう……か」
そう言って笑う甲斐に、平古場も渋々と頷く。
涼音自身も訳を話すのは面倒くさそうにしていたし、1人で
考えても答えは出せない。
だったらもうこの件は考えることを止めるべきか…と、平古場は無理に自分に言い聞かせた。
と、そこで部室のドアが開かれる。
「おー、木手。遅かったなぁ」
「ええ、まあ」
そこに居たのは木手で、甲斐の言葉に軽く返しながら自身のロッカーを開けた。
「少し神矢クンと話していたので」
「…神矢?」
「はい。今日は部活を休むそうです」
「……はっ?」
平古場の動きが止まる。
「…休む…?」
「へー、珍しいなあ」
「俺も鬼ではないのでね。許可しましたよ」
「はは…」
木手の日々の言動は鬼と変わりない、とでも言いたそうな甲斐だが、言葉を飲み込み苦笑いを浮かべている。
甲斐が引きつった顔をしているのに気付いていながら木手は敢えてスルーをした。…が、代わりに隣の平古場の様子が目に止まったようであった。
その平古場は目を丸くさせて動きを止めている。
「…何です、平古場クン。何か言いたいことがあれば言ったらどうですか」
「……休むってどういうくとぅよ」
「は?」
「……神矢、体調悪いのか?それか、家で何か…」
聞かれるも、木手は一瞬の思案の素振りを見せ、それから首を横に振った。
「放っておいてあげればいいですよ」
「放って…?…って、じゃあやっぱり何かあるんだろ!?」
「どうせ少ししたら元に戻ります。…何ですか、急に声を荒らげて。平古場クンが気にしていないで、練習に…」
「…何でやーが元に戻るなんて分かるんばぁ…!」
平古場は見るからに苛立っていた。
それが、休むほど深刻だった涼音に気付けなかった自分に対してなのか、その自分では気付けなかったものが木手には分かっているからなのか…平古場本人もよく分かってはいなかった。
「……平古場クン、少し落ち着きなさいよ」
「落ち着いていられるか!…行ってくる」
「え?おい、凛!?」
甲斐の声も聞かず、平古場は部室を飛び出していく。
おそらく…いや、涼音の元へ向かったのは言うまでもないだろう。
「……どうする?」
開けっ放しのドアと木手の顔を見比べながら甲斐が聞いた。
「……本ッ当に、面倒な人達ですね…」
吐き捨てるように言った木手の眉間にはそれはそれはぎっしりとシワが寄っていた。
☆
「…神矢!」
昇降口で平古場は声を上げた。
今まさに出て行こうとしていた涼音は足を止める。
「…平古場くん?」
涼音は平古場の姿を捉えると怪訝そうな顔をする。
なに、と涼音が言うより先に平古場は走り寄り、口を開いた。
「どういうくとぅよ!」
「は?…何がさ」
「永四郎から聞いたんどー、部活休むって!」
「あー、それ。うん、今日は休ませてもらいますわ」
「何でよ!?」
「え、なんでって…いや良いっしょ、別に仮病じゃないんだから」
「仮病じゃねーんなら何で休むんばぁ!?」
「声デッカ。…いや、平古場くんには関係ないし…」
「…っ!」
「んじゃ、もういいよね?うち帰りますんで。部活がんばがんば〜」
荷物を抱え直して、涼音はくるりと向きを変えた。
「…待て!」
「!」
大股に近付いた平古場が涼音の腕を取る。
強制的に足を止められた涼音はいぶかしげに平古場を見上げた。
「…なに?ビックリすんだけど」
「わんには関係ないってぬーよ!?やーも永四郎もっ…!仮病じゃないんなら何なんだ!?」
「
こっわ。平古場くん勢いこわ。どうした。いや、ホント気にしなくていーから」
「気になるんだよ!」
「
なんでだよ」
荒れている平古場に反して涼音は冷静にツッコミを入れている。
しかしその間にも平古場は手を離さず、涼音は帰りたくても帰れない状況だ。
「仮病じゃないってんなら本当にどっか悪いってくとぅやし!」
「わ…るいって訳でもないけれども」
「じゃあぬー(何)よ!…やくとぅ(だから)ちゅー(今日)様子がおかしかったんだろ!」
「様子ぅ?…うちのどこが」
「おかしかっただろ!いつにも増してやる気は無さそうでテンションも低くて動き馬鹿みたいに鈍くておばぁみたく腰曲げて!」
「それは悪口なのだろうかね、平古場くん」
平古場は至って真剣なのだが、その言葉の端々に毒が入り込んでいると涼音は顔を引き攣らせる。
「でもとにかく、これはビョーキとかじゃないから。いいかげん手ぇ離し…」
「ちゃんと言うまで離すか!」
「なんでや!」
一歩も引こうとしない平古場に、痺れを切らした涼音はいつもと変わらないツッコミを入れた。
「と言うかまず、何で平古場くんがそんな気にするわけ!?放っといてくれればいいんですけど!?」
「やーが放っとけるようなちら(顔)してねーからだろ!」
「過保護か!過保護の平古場か!しつこいんすけど!」
「しつこくもなるさぁ!…あークソっ!言うつもりが無いんなら、うり!保健室!」
「…はっ?」
「保健室!いちゅんどー!」
「え。いやいや…!?」
返事も待たず、平古場は掴んだ腕を引いて歩き出す。
「え、なに、なんで!?保健室とか行かないからね!?帰るからね!?」
涼音はずるずると引き摺られながらも訴える。
「帰らせるか!どっか悪いには変わりないんどー!」
「だから、悪いんじゃなくて……!あーもう引っ張んなってば!靴!まだうち靴ですけど!?」
「知るか!」
「なんでや!!」
涼音の2度目のツッコミが飛ぶ。
しかし平古場は聞く耳持たずで、力任せに涼音の腕を引いて保健室に向かおうとしていた。
性格はアクティブな涼音でも、さすがに身長差も体格差もある平古場には力及ばず引っ張られていく。
「ちょ…くっそ…!ホント…だから…!」
「かしましい!」
「ぐっ…離っ……
だああ!離せやこンの金髪があ!うちはどっこも悪くないわぁ!」
「それだけで納得出来るか!悪くないんなら何なんだ!!」
「生理だよ!!!」
「………はっ?」
涼音の半ばヤケクソに言い放った台詞に、平古場はぴたりと動きを止めた。
まさか答えるとは思わなかったという驚きと、考えてもいなかった返答に言い返すことも出来ずにただ涼音を見返している。
「…生……は?」
「は?じゃねーし!これが!あんたが欲しがってた答えですよ!生理!せ・い・り!月経!月の障り!月からの使者!そういうことだよ馬鹿野郎めッ!!」
ここが昇降口だということも忘れて大声でまくし立てる涼音。
そのもの勢いに押されて平古場は何も言えずにいた。
「それが酷いんだよ!酷いから部活休むんだよ!木手くんには理由話さないで休ませてはくれないから言ったまでだわ!」
ぶうん!と涼音は思い切り腕を振り、平古場の腕から逃れる。
乱暴な動きをされたにも関わらず、平古場は怒る気も起きない。
少しの間の後、ようやく口を開く。
「酷い……って、それそんな顔色悪くなったり動きが鈍くなったりするモンなのか…?」
「なるわ!うちは今回珍しく重いだけだけど、世の中にはそういう人ゴマンといるからな!?」
「……そ、そういうもんか…」
「そういうもんだよ!!…だー!というか平古場!オメェあれほどしつこく聞いておきながらいざ聞いた途端引くなよ!」
「べ、別に引いてなんか…」
「引いてんだろ!あぁあだから言いたくなかったんだよ!もう…このっ…
デリカシー無さ男が!!」
「デッ…」
ネーミングセンスの欠けらも無い言葉を吐き捨てた涼音は足音も荒く外へ出て行った。
生理からくる体調の悪さを感じさせない荒々しさなのは、どうやら平古場に対する怒りの方が上回っていたからだろう。
ぽつねんとその場に残された平古場はただどうすることもなく立ち尽くすだけだ。
「…だから言ったでしょう、放っておけば良いと」
「え、永四郎…」
ふと気付けばユニフォームに着替えた木手が後方に立っていた。
腕を組んだまま平古場に近付く。
「貴方がどうこう出来るものじゃないんですよ。だから気にせず練習しろと言ったというのに…」
「や、やてぃん、たー(誰)も教えなかっただろ、そんなくとぅ…!」
「そんなデリケートな話をおいそれと出来るわけないでしょうが」
「じゃ、じゃあ分からなくて当然さあ!」
「気にするなと俺も神矢クンも散々言っていたでしょ。そこで貴方が素直に引けば、神矢クンが怒ることもこんな所で大っぴらに言う必要も無かったんですよ」
「うっ……そ、そうかも知れないけど…」
木手の言うことも一理あるが、あんなに隠されては気になってしまうのも仕方ないだろう。
ひとえに神矢が心配で気になっていただけなのに、デリカシーが無いと言われる平古場の立場はなんなのか。
「…ほら、行きますよ。時間を無駄にした分今日はいつもの倍は動いて頂きますからね」
「げ…しんけんか…」
木手に急かされ、やるせない思いの平古場は肩を落としたのだった。
その翌日。
木手や甲斐の言う通り、涼音は昨日のことなど夢だったのではないかと思うくらい普段のテンションに戻っていた。
「いやー珍しく重くてさぁ。あっはっは、死ぬかと思ったわー!」
「…」
「てかさ、平古場くんってマジでデリカシーないのな!そんなんじゃ見た目は良くたってモテないんだからなー?」
「…かしましい!」
ごん!
「痛ェ!」
平古場の気も知らずに呑気に言い放った涼音の後頭部に鉄拳が落とされた。
…いつもより拳に力が入っていたのは、言うまでもない。
おわり