T,ロー希望
 ローの率いる海賊団がこの島に訪れてからもう三日が経つ。理由はこの島の情報量と豊富な物資、そしてなによりどんな時でも冷静に構えるロー自身にあった。新世界に向け、船員たちは先を急ぐべきだと言ったのだが、ローに焦りはなかった。なんの準備もなしに挑んでも勝ち目はない、それよりも準備を万全に整えてから確実にワンピースを手に入れることを考えるべきだというのが彼の決断だった。彼とて、他の者にひとつなぎの大秘宝を渡すつもりは毛頭ない。焦らずに機を待つ、ローはそういう男だった。
 夜も更け、船員たちが寝静まったころ、彼は一人船を下り街はずれの酒場へ向かっていた。眠ろうにも逆に冴えてしまった頭、一度こうなってしまうと眠気はそう簡単には訪れてくれない。だったら酒でも飲んで夜を明かそうと思ったのだ。
 月光の下、島の真ん中に通る大きな一本道を急ぐでもなく歩いていく。寝静まった街は暗く閑散としていて、昼間通った時とはまったく違う空虚な空間が広がっていた。まるで朽ちた土地のようだと彼は小さく笑った。しばらく歩いていくと、お世辞にも綺麗とは言えない照明で彩られた看板が見えた。照明は色々な色の電球が線で繋がれた簡単な物で、左側半分は電球が割れていて直された様子もない。ローは店内に視線を向けた。道中、もう閉店しているのではないかと多少の心配もしたが、入口から見た様子だと客がいないだけでまだ店を開けているらしい。彼は中に入り、カウンターの席に腰を落ち着けた。
「なんにする?」
座って早々、愛想の悪い年配の店主が注文を催促した。持っていた刀を隣の椅子に立てかけてローは言った。
「ラムをくれ」
足を組み、一息つくとすぐに店主が瓶をテーブルに置いた。礼を言うこともなく瓶を取ると、彼は瓶を口に当てて傾けた。一口飲み、瓶を持ったまま肘をつくと、なにを見るでもなくぼんやりと手元に視線を落とした。こういう酒の飲み方も悪くない。
しばらくそうして一人酒を楽しんでいると、店の外でコツコツと深みのある足音が聞こえた。それは徐々に店に近付き、やがては店の中に入ってきた。視界に入った影で、それが女であることがわかった。どうやらこの女は彼の一つ開けた左隣の席に座ったらしい。
「ラムを…」
そう小さく聞こえた。そしてすぐあとに瓶を置く店主の手が視界に入った。別に見るつもりはなかったが、なんの気なしに女に視線を向けた。女の顔をはっきりと見て、ローは目を見開いた。そして視線をそのままに思わず呟いた。
「アリー……?」
その声に、横に座る女がこちらを見た。一瞬呆けたあと、女はその整った顔に笑みを浮かべた。
「ロー。久しぶりね」
「どうしてお前がここにいる?」
驚きを隠せないローに、アリーと呼ばれた女が今度はにっこりと笑いかけた。
「野暮用でね。今日の夕暮れ時にこの島に着いたの」
腰まで伸びた長いブロンドの髪を耳にかけ、彼女は席を詰めて彼のすぐ隣に移動した。そして自分の瓶を彼の瓶に小さく当て、それを口に運んだ。
「あなたは?少し会わないうちにずいぶん有名になったようだけど」
「あぁ、この島には情報収集で立ち寄ってる。もう三日になるか」
「そう…」
彼女は短く言って目を細めた。変わらないな、最後にあったのは三年前か、ローは彼女の顔を見ながらそんなことを思った。
 しばらくの時間、二人は互いに再会を喜び、楽しい時間を過ごした。やがて思い出話も尽きると、ふいにローが彼女に訊ねた。
「そういや、お前の野暮用ってなんだ?」
ローの言葉に一瞬アリーの表情が曇った。彼女はすぐにそれを消したが、ローはその一瞬を見逃さなかった。
「ボスの雇った人さらいが売り上げを誤魔化していたの。野暮用はその回収と用済みになった彼らの始末……」
彼女は一度言葉を切り、足元に置いた大きなバックを顎で指した。そして小さく告げた。
「彼の指令よ」
その言葉にローはピクリと眉を動かした。彼女のボスは七武海の一人、ドフラミンゴ。この海で彼の名を知らない者はいない。最も、一部に知れ渡っているのはもう一つの名の方だが。
 彼女の言葉を聞き、ローは改めて彼女をよく見た。店内が暗いせいで気付かなかったが、彼女の顔には痣があり、口に至っては端が切れて血がにじんでいた。ドフラミンゴ直属の部下とは言え、今回のような仕事を女一人でこなすのは容易ではないはずだ。ましてやボスから売上金を失敬するような輩が相手では、彼女がこうして無事でいられるのも奇跡だと言える。そんな仕事を敢えてアリーに与えるドフラミンゴに、ローは怒りを覚えた。
「これも大事な仕事よ」
ローの表情の変化を見て、アリーがなだめるように言った。
「お前がやる必要はなかったはずだ」
「人手がなかったのよ。それに、ボスの命令に従わないわけにはいかない」
そう言って彼女は手の中にある瓶に視線を向けた。その視線はとても穏やかで、見ていたローは苛立って眉を寄せた。彼女の右肩には、ボスの掲げるマークが彫られている。彼女は左手でそっとそのマークをさすると、誇らしげに笑みを浮かべた。
「わたしは彼の部下だもの」
「いつまでそうしているつもりだ?」
ローが声を低めた。彼女は視線をローに向けた。
「どういう意味?」
「いつまで奴の下にいる気だと訊いたんだ」
笑いを含んで返した彼女に対し、ローは口調を荒げた。アリーは一瞬押し黙った。しかしすぐに彼の問いかけに答えた。
「わたしは部下を辞める気はないわ」
ローは顔を歪めた。
「奴の関心がいつまでもお前に向くと思うな。ドフラミンゴからしたらお前はただの駒なんだぞ」
そう言った途端に彼女の顔から笑みが消え、代わりに冷たい表情が現われた。そして戸惑いもないままアリーは素っ気なく言った。
「わたしの決断よ。あなたにとやかく言われる筋合いはないわ」
アリーはこれ以上この話をしたくない様子だった。ローは納得がいかなかったが、一度決めたら譲らない女だ。彼女の性格はロー自身もよくわかっていた。だから尚更気に入らなかった。ドフラミンゴに従うと決めた彼女が。彼の元で叶う望みのない希望にしがみ付いて生きると決めた彼女が―。
 店を出たあと、ローはアリーに彼女の宿屋まで送ると申し出た。彼女は断ったが、ローは譲らなかった。静寂に包まれた道を二人はゆっくりと歩いた。酔ってはいない、ただ互いに煮え切らない思いを無理矢理に消化させながら、一歩一歩前へ進んでいた。ゆっくりと、しかし確実に、前へ進んだ。
行く時に通った一本道を折れ、二人は路地裏に入っていった。彼女が宿を取った宿屋はこの先にあるようだ。やがてそれらしき建物が見えると、彼女は足を止めた。
「ここでいいわ」
そう言って振り返るアリーの笑顔はただただ綺麗だった。ローはその顔をじっと見つめていた。
「久しぶりにあなたに会えて嬉しかったわ。またどこかで会えるといいわね」
空空しい、そうなる可能性がほぼことをお前はわかっているはずだとローは思った。いくら繕ったところで綻びは出る。それが一方的なものなら尚更だ。あの日、アリーが答えを出した時点で全ては決まった。全ては叶うはずのない希望になってしまった。いくら彼女がドフラミンゴを想ったところで結果はなにも変わらない。またローがいくら救おうとしたところでアリーも変わらない。救われようとしない限り、彼女の未来は決まっている。アリーは彼のビジネスについて知り過ぎている。都合よく使われ、彼がアリーに飽きたところで彼女は消されるだろう。ドフラミンゴは、いつまでも一人の女を構っているような男ではないのだ。あの男は、駒を使い物にならなくなるまでとことん活用して捨てる。今回の仕事を敢えてアリーに与えたところを見ると、彼の中での彼女は駒からいつの間にかただの捨て駒になっていたようだ。
ローは彼女の肩を掴み、壁に追い込んだ。突然のことに驚いたのと体を打った痛みとで、彼女は小さく声を漏らした。ローは少し屈んで目線をアリーの目の高さに合わせると、彼女を睨んだ。すぐには言葉が出てこなかった。ただそれまで堪えていた思いが一気に溢れ出し、ローの、アリーを掴む手の力を一層強いものにした。アリーはというと、彼女の方もなにも言わずにただじっと彼の瞳を見つめていた。やがてローは潤んだ表情を浮かべるとぽつりと言った。
「なぜ、おれを選ばなかった?」
一瞬、彼女の瞳が揺れた。しかしただそれだけで、彼女がなにか言うことはなかった。ローはうつむき、彼女の肩から手を離すと背を向けた。静かな路地裏に、自分の足音がひどく大きく響いている気がした。
 大通りを抜け、船につく頃には水平線が白み始めていた。船に乗り込めば、船員たちが寝ぼけ眼で船の上を行き来していた。
「船長、出かけてたの?」
目をこすりながらやってきたベポは、甲板に立つローに声をかけた。まぁな、と短く答えると、ベポは起きたばかりだというのに隅の方で床に寝ころび、再び寝始めた。ローはベポのすぐ横に腰を下ろすと、彼のお腹に寄りかかって瞼を下ろした。
ゆっくりと、日常へと引き戻されていく。寝ていないせいか、頭が重くぼんやりしている。ふと脳裏に浮かんだのは、夢のような、おぼろげな彼女の記憶。その曖昧さにローは一瞬、全て忘れられるのではないかと思った。しかしそれは彼の薄っぺらい希望にすぎなかった。この手には、彼女の肩を掴んだ感触がまだ残っていた。そして、頬を伝いこの手に落ちた彼女の涙の跡が、まだ消えずに残っていた。

【♪:Red−Natalie Walker】
http://www.youtube.com/watch?v=guy_B8VneZ8


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