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「……全員、いるな?」

幸くんの問いかけに、それぞれ返事を返す。

“女”から逃げ、一つ上の階にある教室へ飛び込んだ私達。久しぶりの全力疾走に息を整えようと深い息を吐き出せば、「大丈夫っすか?」と心配そうに日向くんが尋ねてきた。


『うん、平気、だよ。…それより…引っ張ってくれて、ありがとう』

「あ……いえ、あれは、その…なんつーか、身体が勝手に動いてたんで……」


ポ気恥しそうに頬を掻きながらそう言う日向くんに、拭った筈の涙が再び溢れそうになる。きっと面倒見がいいのは、彼の性分なのだろう。記憶のない状態で、“怪しい”私でさえも放っておけなかったのだから。
もう一度、「ありがとう」と微笑めば、「もういいっすよ」と少し頬を赤くして視線をそらされた。


「…っ、あ、あの、」

『うん?……さつ…も、もいさん?なに?』

「…その傷…私の、せいで、…」


悲しそうに眉を下げて腕に出来た傷を見つめるさつきちゃん。隠すように手で傷を押さえて、「気にしなくていいよ」と首をふると、「でも…!」と声を上げた彼女は更に言葉を続けようとした。
けれど、その言葉は、随分と冷めた声色の声によって遮られる。


「桃っち、その人、気にしなくていいって言ってるじゃないっスか」

「き、きーちゃん…」

「……大体、その傷だって、“わざと”付けたものかもしれねえっスよ」


再び、その場の空気が一気に変わる。向けられる視線に、息が、詰まりそう。ぐっと奥歯を噛んで俯くと、「さっきの質問の続きやけど、」と翔一くんの声が聞こえ、また顔をあげる。


「証拠はあるん?ワシらと“知り合い”なんやろ?」

『…証拠は、ない…です…』

「……それなら、質問を変えよう。なぜ、先程、あの“女”が来たことに気づけたんですか?」

『え……?』

「廊下から声が聞こえた。そう仰られていましたよね?つまり、あなたには“アレ”の声が聞こえていたと?」


こえ。コエ。声。確かに、あの時、何か声が聞こえた気がした。か細くして、なんと言っているかは到底聞き取れなかったけれど、それは、確かに誰かの声だった。でも。


『…分からない…』

「…と言うと?」

『私が聞いた声が、あの“女”のものだったとして、どうしてその声が聞くことが出来たのかは、分からない……』

「…おいおい、まさか、それを信じろと?」


ふざけるなとばかりに目を吊り上げた和成くんが、鋭い視線で睨んでくる。その視線に耐えきれず下を向けば、和成くんの拳が震えているのが目に入った。怒って、いる。当然だ。
こんな訳の分からない場所で、いきなり現れた知らない女。問いかけに対しての答えもたいした情報さえ持たない、そんな、“邪魔”なだけの、女。

和成くんや皆にとって、今の私は、その程度の価値しかないのだ。


『っ…ごめん、なさいっ……』


耐えきれず、震えた声で謝れば、誰かの舌打ちが聞こえる。震える手で、唯一の“頼り”である指輪を握ろうとした時。


『っ……え……』


さあっと全身の血の気が引いていく。
ゆっくりと視線を胸元へ落とせば、そこに、あった筈の指輪が。


『ない……?どう、して……?』


いつも首に掛けているはずの指輪が、なくなっている。さっきは確かにあった。この訳の分からない場所にも、確かに指輪は“来て”いた。それなのに。なぜ。
様子が変わった私を、怪訝そうに皆が見つめる。

そうだ。確か。あの時、日向くんに手を引かれ、走り出したあの時、音がしたのだ。キンっと、まるで、金属が床を跳ねるようなそんな。


「…どうかしましたか?」

『っ、指輪をっ、指輪を落としてしまったの…!』

「指輪…?」

「そういや、さっき付けてたな…」


征十郎くんの質問に焦った声で答えれば、思い出したように大我が呟いた。


『っあの指輪は、とても大切なものなの…!お願い、探しに、』

「そう言って、都合が悪くなったから逃げるつもじゃねえだろうな?」

『そっ、そんなつもりは…!』


怪しむような清志くんの物言いに、首を大きく振る。違う。そうじゃない。あの指輪は、こんな所に忘れていいものじゃない。知らない世界で生きていく私を、ずっと支えてきてくれたものだ。和也さんが、愛した人がくれたものなのだ。
ジリジリと心臓を蝕むように向けられる冷たい視線。痛い。胸が、痛い。
確かに私は和也さんを過去にする決意をした。それが出来たのは、居場所をくれたみんなが居たから。でも、もしこのまま、皆が私を忘れてしまったら?もう二度と、笑いかけてくれる事がなくなったら?

私には、また、“指輪”だけになる。


『お願いしますっ…!もちろん1人で行きます…!ご迷惑は、』

「だからっ!そうやって、俺らをここから逃がさないようにしてんじゃっ「ええやん」っ…は…?」

「行かしたったらええやん」


清志くんの言葉を遮り、貼り付けた笑顔でそう言った翔一くん。「おいおい、けどよ、」と健介くんが心配そうに眉を下げると、表情を変える事なく翔一くんは更に言葉を続ける。


「1人で行くって言っとるわけやし。もし、探し物を探しに行って、“何か”があったとしても、ワシらには関係あらへんのやし」

『っ』


それは、つまり。たとえ私に何かあったとしても。死んだとしても、どうでもいいということ。

“良かったなあ、と思うて”
“良かった?”
“名前さんがまた、笑うてくれるようになって”

優しく、安心したように微笑んでくれた彼は、ここには居ない。私のことを忘れてしまった彼にとって、私は、居なくなった所で、どうでもいい存在なのだ。
瞳に涙の膜が張る。泣くな。泣くな。泣くな。今泣いたとしても、何かが変わるわけでもないのだ。浮かんできたそれを隠すように俯く。
翔一くんに、反対の声をあげる人は誰もいない。つまり、皆も、彼と同じ意見だと言うこと。私は、今のみんなには、


『(必要ない……)』


涙が零れる前にここを離れよう。指輪を、唯一の拠り所を、探しに行こう。顔を上げることなく、振り返って扉へ向かおうとしたとき。


「ちょっと待った」

『っ、え……?』


引き止めるように掴まれた腕。ゆっくりと顔を上げ、腕を掴む相手を見る。

ああ、どうして。どうしていつも、あなたは。


「…俺も行く」


私を、助けてくれるの?
日向くん。


「なっ…ちょ、ちょっと日向くん…?今、なんて、」

「俺も、この人と一緒に行ってくる」

「おいおい、危険を冒してまで、その人に付いていくメリットでもあんのかよ?」

「…分かりません。けど…この人を1人で行かせたら、きっと後悔する。そんな気が、するんです」


握られている腕に、力が籠る。少し痛いくらいなのに、その温もりに耐えきれず、頬を、涙が伝う。
今の私には何も無い。皆と過ごしてきた時間も、記憶も、ましてここから皆を救う手立ても何も持っていない。けれど、そんな私にさえ、日向くんは、手を、差し伸べてくれている。

健介くんの声に真っ直ぐに答えた日向くんに、「でも…」とリコちゃんが心配そうにまゆを寄せる。それはそうだろう。いくらなんでも、怪しい女と日向くんを2人きりで行かせるわけには行かない。そう思うのは当然だ。大丈夫。1人で行けるよ。と彼の手をやんわり解こうとした時。


「「僕も行きます/俺も行く」」

『っ…て…黒子、くん…?それに、火神くんまで…』


日向くんに続いて、名乗りを上げた2人に目を見開く。どうして。とそんな顔をしているであろう私に、柔らかく目を細めたテツヤくんが小さく微笑む。


「主将の気持ちが、分かる気がします。僕も、彼女を1人で行かせたくない」

「俺もそう思う。1人で行かせるくれえなら、一緒に行くぜ」


迷うことなくそう言った2人に、涙腺が壊れたように涙が流れ続ける。まだ、消えていないのだろうか。私の、居場所が、まだ、“ここ”にも、あるのだろうか。次々と溢れてくる涙を拭っていると、リコちゃんの呆れたようなため息と「しょうがないわね」という声が聞こえてくる。涙で濡れた顔で彼女を見つめると、心配そうに、けど、信じていると言わんばかりの真っ直ぐな目をした彼女が3人に向かって言葉を向けた。


「絶対に、“4人”とも無事で帰ってくること。それが
守れるなら、行ってきなさい」

「ったりめえだ。こんなとこで怪我なんてしてらんねえしな」


「指輪なんかさっさと探して、ここから出てやるよ」と言い残した日向くんは、握ったままの腕をそのままに教室を出ようとする。その後ろを続くようにテツヤくん、タイガが歩き出すと「ちょ、黒子っち!火神っ!!」と焦った声の黄瀬くんが2人を引き止めた。


「なんでっスか!?なんで、その人を庇って、」

「分かりません。でも、彼女は悪い人ではないと思います。だって、身を呈して桃井さんを守ってくれましたし、それに、」

「…それに…?」

「…彼女を見ると、ひどく、懐かしく感じるんです」


まだ、教室に残る皆はどこか納得出来なそうな顔をしているけれど、テツヤくんの言葉は、みんなにどのように聞こえたのだろうか。
私を忘れないで 2

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