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『っ、はっ……はっ……っ、…はあっ、はあっ……』

「苗字もういい、お前も早くここを離れるんだ」


情けなく咳き込む背中を暖かい手に撫でられる。
ツッと頬を伝った汗を乱暴に拭い、嫌だと言わんばかりに首を振ると、背中を撫でていた轟くんの顔が苦しそうに歪められる。

あれから、どのくらい経っているのだろう。
半壊した部屋の中に時計は見当たらず、飯田くんと常闇くんがこの場を離れてからどれくらいの時間が経過しているのか検討もつかない。
ただただ、発動と解除を繰り返し、皆の手錠についた忌々しいタイマーを1秒でも長く止める。それだけに意識を注いだ。けれど、どんなに気持ちが強かろうと、身体がついてきてくれるかは別問題。
繰り返す個性の発動に浅くなった呼吸。揺れる視界の中、なんとか視線を轟くんに合わせると、その後ろに立っていて緑谷くん達が悔しそうに拳を握った。


『まだっ……まだ、諦めないっ……!わたしはっ……私は、まだっ……!!』

「これ以上は危険すぎる…!体育祭や期末試験の時みてえに…いや、もっと取り返しのつかない事になるかもしれねえ…!」

「そうだよ苗字さん!!もう、これ以上は…!」


背中を撫でていた手が止まる。
上手く力が入らず、ついに膝をついてしまうと、今にも倒れそうな身体を支えるように、轟くんと緑谷くんの手が肩に添えられた。

分かっている。
自分の身体だ。これ以上“個性”を使えば、またあの時のようになるかもしれないと。
そう分かってはいる。でも。


“いいか!!ヒーローっつーのはなあ、
こんな事じゃ諦めねえ人間のことを言うんだよ!!!!”


爆豪くんの声が頭の中で反芻する。
まだ。まだだ。まだ諦めるな。
どんな理由であれ、ヒーローを目指すというのなら。今、この場所にいるのなら。誰かを助けられるのなら。

大切な人を、救えるのなら。

まだ。


『諦めないっ……!』

「っでも、『ヒーローは…!』っ!」


『ヒーローは、諦めない………!……でしょ?』


霞む視界の中、ゆっくりと視線を動かして捉えた先。
紅い瞳を見開いて固まる彼と、爆豪くんと目を合わせ、強がりな笑顔を見せれば、見開いた目をそのままに、爆豪くんの唇が小さく動いた。


「苗字、」


多分、そう、動いた。小さく小さく紡がれた自分の名前。その声がどこか少し労わるような色を含んで聞こえたのは、きっと私の勘違いだろう。皆の声と共に鼓膜を揺らすピ。ピ。ピ。という機械音。ひどく耳につくその音はとても不快だ。

悪足掻きだと笑われてもいい。無茶だと馬鹿にされてもいい。危険だと後で怒られてもいい。それでも、私は、


『もう、大切な人を失うのは嫌だ………!』


“発動っ…!!”


ポロリと右目から涙が落ちたのと同時に、個性を発動させる。ドッドッドッ、と押し寄せるように大きくなる心臓の鼓動。浅い呼吸のせいで、肺まで空気が取り込めない。
涙の膜が張った瞳で緑谷くんの手錠を見ると、残り時間は2分弱。あと、何分で助けが来るのか分からない。だから、延ばせ。1分でも、1秒でも。助けが来るまでの時間を、大切な人を守れる時間を、少しでも。

再び迎えた限界に、個性を解いて息を吐き出す。
動き出した瞬間、切島くんと上鳴くんが駆け寄ってきて、心配そうに声をかけてくれる。
「もういい苗字!」「それ以上はヤバいって!!」こんな状況にも関わらず私のことを心配してくれるなんて、ホント、優しすぎる。小さく笑い返し、震える唇を引き締めて息を止めると、皆の動きが止まったことを確認し、苦しさから滲んできた涙をゴシゴシと拭う。


『(っ…また限界が……)』


使う回数が増えれば増えるほど、1回の発動時間が短くなっていく。警報を鳴らすように劈く心臓に、堪えきれず息を吐き出すと、上手く息を吸い込む事が出来ず、咳き込んでしまう。ゴホゴホと喉を鳴らした咳を繰り返したせいか、口を押さえる手に血がついた。喉の奥が切れてしまったらしい。
それに気づいた皆が更に顔を歪め、もう止めろというように、轟くんに腕を掴まれる。


「苗字、もういい」

『っだめ……!まだ、まだ……!!助けなきゃ…わたしが、っ……私が、みんなをっ…………!』

「ああ。だから、もういいんだ」

『え……………?』


どういう意味?そう問いかけようと顔をあげた時、


「みんな!!!」

「無事か!?」

『い、………いいだ、くん……、とこやみ、くんっ……』


背後から聞こえてきた2人分の声。助けを呼ぶために出ていったはずの二人が居るということは。
ふっと身体の力が抜ける。「居たぞ!」「解除班!急げ!!」というヒーロー達の声が聞こえてきたかと思うと、不快なタイマーの音が一つずつ消えて行く。肩を支えてくれる轟くんと目を合わせれば、「お前のおかげだ」と微笑む彼に鼻の奥がツンっとした。


「ありがとな、苗字」

『と、』


轟くん。そう彼の名前を呼ぼうとした瞬間、視界が一気に暗くなりみんなの声が遠のいた。



***



「なあ、本当に行くのか?」

『うん。ってこの話何回目??ホントにもう大丈夫だよ?』

「けどよお…」


納得出来なさそうに眉を下げる優兄ちゃんに苦く笑う。

戻の屋敷から帰ってきて5日が経った。“帰ってきた”とは言っても、現在私が居るのは病院で、まだ家へは戻れていないのだけれど。
飯田くんと常闇くんが助けを連れて戻ってきた事を確認した瞬間意識を失った私は、次に目を覚ました時、病院のベッドの上にいた。例のごとく、個性の使いすぎで呼吸が止まっていた私は、約2日間、眠り続けていたらしい。
起きた瞬間、心姉ちゃんに泣きながら抱き締められ、優兄ちゃんに無茶し過ぎだと叱られたのは記憶に新しい。
とはいえ、5日も経てば体力も元通りに。明後日には退院も決まっているので、もう身体の心配は必要なさそうだ。もちろん、心姉ちゃん達が納得するかは別問題として。


『心配掛けてごめんね。でも、この通りもう元気だからさ』

「……まあ、名前がそう言うんならそうなんだろうけどよお……母ちゃんがなんて言うか……」

『そこはまあ……なんとか納得してもらうよ』


林間合宿への参加を反対し続ける心姉ちゃんを思い出し、眉を下げる。今日は用事があって来ていないけれど、昨日もその前もさらにその前も、心姉ちゃんは何度も何度も「雄英なんて止めなさい」と口酸っぱく言ってきたのだ。林間合宿はもちろんだけれど、まずは雄英に残ることに納得して貰わないなあ。


『ところで優兄ちゃん、そろそろバイトの時間じゃ…?』

「え?…うお!?もうこんな時間……!?わ、悪い名前!もう行くな!!」


「また明日!」と慌てて病室を駆け出ていく優兄ちゃん。「気をつけてね!」とその背中に声を掛けると、片手を上げて応えてくれた優兄ちゃんは、病室を出てすぐ看護師さんに走らないように注意を受けていた。忙しないな。
ふふっと笑って閉じた扉を見つめていると、コンコンと扉がノックされる。優兄ちゃん、忘れ物かな?と思いながら、「?どうぞー……もしかして忘れ物ー?」と声をかけると、ゆっくりと開かれた扉の先に見えた人物に、ギョッと目を丸くする。


「?忘れ物??」

『!?と、轟くんっ…!』

「俺たちも居るぜ!」

「おっす!苗字!!」

「具合はどうだい!!苗字くん!!」

「こ、こんにちは、苗字さん、」

「失礼するぞ、苗字、」


次々に現れるみんなの姿にぱちぱちと瞬きを繰り返す。
まさか、皆が来るなんて思ってもみなかった。
驚いた顔をそのままに、「ど、どうしたの??」と首を傾げれば、「とりあえず、これ、」と轟くんから差し出された大きな花束。次いで、「これもな!」と切島くんから果物の盛り合わせが。なぜ花束と果物。あ、お見舞いの品か。


『あ、ありがとう…。そこに置いてて貰ってもいいかな?』

「おー!」

「花束は俺たちからの見舞いな!」

「んで、果物はお礼、っつーことで!」

『おれい??』


なんの話し??キョトンと目を丸くする私に、皆が目を合わせる。「あれ?分かんねえ??」と聞き返してくる上鳴くんにおずおずと首を縦に振れば、にっと眩しい笑顔を見せた切島くんが大きく口を動かした。


「お前のおかげで!俺たち助かったんだ!!だから、ありがとな!苗字!!」

『あ……』


おれい。お礼って、そうか。そういう。
納得して、サイドテーブルに置かれた花束と果物へと視線を向ける。きっと皆でお金を出して買ってきてくれたのだろう。随分と立派なソレは、今の私には不釣り合いに思える。


『…お礼なんて……そんな……』

「ううん。苗字さんが居なかったら、僕たち、今、ここに居なかったかもしれないよ」

「そうそ!だから苗字はドーンと構えて、“私のおかげで助かったんだぞお前ら!”くらいの態度で居てもいいんだぜ??」

「うむ!!みんなの言う通り!!俺と常闇くんが助けを呼びに行けたのは、苗字くんが居たからこそだ!!」

「お前の“個性(ちから)”がなければ、あの場を切り抜けることは出来なかっただろう」


「ありがとよ!」「ありがとう、苗字さん」「ありがとな!」「ありがとう!!」「ありがとう、苗字、」と口々に発されるお礼の言葉。その声に何かが胸の奥からジワジワと込み上げてきて、ついには、「ありがとよ、苗字、」と轟くんまで2度目のお礼の言葉を述べてくるものだから、込み上げてきたモノが耐えきれず、ポロポロと涙となって溢れてしまう。


『っおれいなんて、お礼なんて本当にいいのっ……私はただ、……っ……ただ、皆がこうして生きていくれれば、それで、……それだけで、いいの、』

「苗字くん……」

『っむしろ、言わなきゃならないのは私………。っありがとう、みんな。あの時、あの時、私を信じてくれてありがとう。心配してくれてありがとう。っいきて、……生きてて、くれて、……あり、っありがとう……!』


随分と情けない声になってしまった。
涙で濡れたみっともない顔で下手くそに笑って皆を見ると、みんな穏やかな顔をしていて、「なんで苗字が礼言ってんだよ」と切島くんに笑われてしまう。だって言いたかったのだから仕方ない。
ハンカチで涙を拭きながら、そう言えばと「爆豪くんは…?」とここには居ない彼のことを尋ねると、「勝手に行けやって一蹴された」と上鳴くんが不満げに唇を尖らせた。


『そっか。元気なら良かった』

「元気ねえ爆豪なんて想像できねえけど……」

「確かに。しかし、彼も苗字くんに世話になったのだから、見舞いくらい一緒に来ればいいものを」

『いやいや、みんなと一緒にお見舞いに来る爆豪くんなんて想像出来なさすぎてちょっと怖いよ……』

「以下同文」


ワイワイと談笑が続く。入院してからと言うもの、見る顔といえば心姉ちゃんと優兄ちゃん。そして、後は病院の先生や看護師さん達くらいだった為、皆との会話が楽しくてしょうがない。他愛のないお喋りを楽しんでいたのも束の間。いつの間にか、面会終了の30分前を迎え、看護師さんが「そろそろ帰る支度をお願いね」と声をかけてきた。
名残惜しいけれど、明後日には退院出来るし。そしたらまた会えるだろう。それに、林間合宿にも参加するつもりでいるし。


『今日はありがとね、みんな』

「おう!俺たちこそありがとな!」

「またね、苗字さん、」

「身体に気をつけろよ」

「うむ!しっかり休むのだぞ!!!」

「じゃあな!苗字!!」

「…また連絡するな、」

『うん、またね』


パタン。と静かに閉じられた部屋の扉。
途端に静まり返った部屋に、さっきまでの騒がしさが嘘のようだ。あ、そういえば、貰った花束と果物がそのままだった。思い出したようにサイドテーブルの上にある花束に手を伸ばそうとした時、ギィっと音を立てた病院の扉。ノックもなしに開かれたそれにビクッと肩を揺らし、恐る恐るそちらを見ると、重たい足取りでゆっくりと部屋に入ってきた人物に、再び目を丸くした。


『ば……爆豪くんっ…!?』

「…………」


扉の前に立っていたのは、ポケットに手を突っ込んで、不機嫌そうな顔をしている爆豪くんだった。
え?いやいや。え?本人??本物??
確かにさっきみんなと一緒にお見舞いに来るなんて想像出来ないとは言ったけど、でも、だからと言って1人で来ることを予想なんて誰が出来ただろうか。
ズカズカと大股でベッドに近づいてきた爆豪くんは、ベッド脇に置かれているパイプ椅子にドカりと腰掛ける。一体何しに。と身構える私を他所に、動く気配のない爆豪くんは、じっと床を見据えて動こうとしない。本当に何しに来たのだろうか。


『…えーっと……ば、爆豪くん…?』

「…………」

『ええ…………』


呼び掛けにも反応を示さない彼にいよいよお手上げ状態に。口を開くまで待ちたいところだけれど、もうすぐで面会時間も終わる。出来れば直ぐにでも“用”を聞きたいのだけれど、今の彼の様子では難しいだろう。
さて、どうしたのものか。
首を捻って爆豪くんを見つめていると、不意に思い出したあの時の彼の言葉。

“諦めんなや!!!!!!!”

あの台詞がなければ、きっと、私は、


『………あの、爆豪くん、』

「……………」

『…ありがとう、』

「は?」


床に向けられていた視線があがる。何でお前が礼言ってんだ、と怪訝そうに目を細める爆豪くんに小さく笑いながら、更に言葉を続ける。


『あのとき、爆豪くんが“諦めるな”って言ってくれたから……“ヒーローは諦めない”って教えてくれたから、だから、頑張れた。爆豪くんのおかげで、みんなを救うことが出来た。

だから、ありがとう』


ふわりと笑ってそう言った私に、爆豪くんの目が僅かに見開く。何か言いたげな瞳で見つめる彼に、今度こそここに来た理由を問おうとすれば、それを遮るようにガシガシと後頭を掻いた爆豪くんに開こうとした口が止まった。


「なんなんだよ、お前……」

『え?あ、ご、ごめん……?』

「っ謝ってんじゃねえクソが!!」

『え、ええ……』

「あんな目に合ったくせにヘラヘラ、ヘラヘラしやがって…!無茶すりゃいいってもんじゃねえんだよ!!そんくらい知っとけ!!このノロマ女!!!!第一な、なんでてめえが先に礼言ってやがる!?勝手に人の台詞奪ってんじゃねえ!!!」


いつもの調子を取り戻してきた爆豪くに、これでこそ彼だなあ。と小さく笑ってしまう。というか、今、“人の台詞奪うな”って。それって、つまり、


『……もしかして、“ありがとう”って言いに来てくれたの…?』

「ああ゛!?」

『そ、そこで凄まないでよ…』


もしやと思い尋ねれば、クワッと目を吊り上げた爆豪くん。否定しないということは、多分図星を突いたのだろう。一言“ありがとう”と素直に言えないところがなんとも爆豪くんらし過ぎる。
チッと舌打ちを打つ彼に、思わず笑ってしまうと、「何笑ってやがる!!!」と更なる怒声が。個室とは言え病院なので、大きな声はさすがにまずい。慌ててしーっ!と人差し指を立ててボリュームを下げるように伝えれば、眉間の皺をこれでもかと言うほど深めた爆豪くんは、渋々口を閉じてくれた。
そのタイミングで院内放送が流れる。どうやら面会時間の終わりが訪れたらしい。聞こえてくる放送の声を睨むように天井を見上げた爆豪くん。そんな彼に、「爆豪くん、」と声をかけると、「んだよ」とイライラした声が返ってくる。


『もう十分伝わったよ』

「っ…」

『来てくれてありがとう。嬉しかった』


にっと歯を見せて悪戯っぽく笑う。
「ほら!もう帰らなきゃ!」と促すように扉に視線を移すと、どっしりと椅子に座っていた腰が漸く持ち上がった。折角だし、玄関まで見送ろう。爆豪くんに倣うようにベッドから立ち上がった時、まるでたち塞ぐように目の前に現れた爆豪くん。どうしたのだろう?と目の前の爆豪くんを見上げると、照明の逆光で隠れた顔がゆっくりと近づいてきた。


『ばく、』


爆豪くん。
そう続く筈だった声がひゅっと喉に呑み込まれた。
トンっと肩に乗せられた額。かすかに香る甘い香りはきっと彼のもの。入った時からずっとポケットに隠れたままだった大きな右手は、いつの間にか私の左手を掴んでいる。

なにこれ。どういう状況???

左肩に感じる熱と重みに瞠目する。預けるように額を乗せられているせいで、今、爆豪くんがどんな顔をしているのかは見えない。けれど、深く長く吐き出された息は、まるで何かに安心するようなもので、驚きからますます身動きが取れなくなる。そんな私に、爆豪くんは小さな、とても小さな声をゆっくりと零した。


「次やったら、殺す」


次。次やったらとは、何をだ。
肩に乗せられていた重みがスっと離れて行く。そのまま背を向け病室を出ていった背中。パタンと存外静かに閉められた扉を呆然と見つめる。
なんだったんだ。今の。
爆豪くんの突然の奇行に首を傾げながら肩を撫でると、じわりと残る熱が広がるように消えていった。
MY HERO 37

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