夢小説 完結 | ナノ
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8 不治の病


「苗字」


掛けられ声に顔を上げる。「待たせたな」と眉を下げた北さんに、いえ。と小さく首を振った。


「………あ、あー……ほ、ほんなら!俺は先帰るで!信介!!」

「おん。また明日な」

「お、おう!信介も苗字も気いつけて帰れよ!」


大袈裟に手を振って歩いていく尾白さんを北さんと二人で見送る。気を使ってくれたことが丸分かりで逆に申し訳なくなるけれど、ここは甘えておくべきだろう。
「お疲れ様でした!」と小さなお辞儀と共に声を張ると、顔だけ振り向かせた尾白先輩がおう!と手を挙げて答えてくれる。優しい人だよなあ、とふんわり頬を緩めていると「俺らも行こか」と北さんと共に歩き出した。

“部活が終わったら、そしたら聞かせてくれるな?”

その言葉通り、部活を終え監督から解散の合図があったと同時私を捕まえた北さんは「校門のとこで待っとれ」と言い、こうして話を聞く時間を作ってくれた。
普段であれば侑と治と帰るはずなのだけれど、「北さんに用があるから」と言って二人には先に帰って貰うことに。「北さんに用って何やねん?」と侑が不思議そうに首を傾げて来たのだけれど、何かを察してくれたらしい治が、そんな侑の腕を引っ張って連れていってくれたのはナイスフォローである。

北さんと二人、暗くなった道を並んで歩く。どこに向かっているのかは分からないけれど、口を開くのが億劫で、今はただ大人しくついて行く事しか出来ない。気にかけて貰えるのは嬉しい筈なのに、なんだか今日はその優しささえ素直に受け取ることが出来なくて、自分の可愛げの無さにため息が零れそうになった時、「ここで話そか、」と北さんの足が止まり、一歩遅れて自分も足を止める。


「あそこのベンチに座って、少し待っとってくれ」

『あ、は、はい、』


北さんが足を止めたのは、学校からそう遠くない場所にある小さな公園だった。二人用のブランコと小さな滑り台、それから二人掛けのベンチが二つ並んでいるだけの公園には、この時間になるともちろん人っ子一人いない。
示された通り、先にベンチに腰掛ける。待っとってくれって、何かまだ用があったのだろうか。だとしたら凄く申し訳ない。心配掛けて迷惑かけて、ほんと何してるんだろ、私。伏せた瞳を地面に向けた直後、「苗字、」と掛けられた声にハッと顔を上げると、目の前に差し出された温かいココアにぱちぱちと瞬きを繰り返す。


「一先ず飲んで落ち着き」

『あ………ありがとう、ございます………』


お礼の声と共にココアを受け取る。まさかこれを買って来る為に先に座っておくように言ってくれたのだろうか。
手のひらから感じるココアの温かさが、胸の奥にじんわりと広がっていく。やっぱり北さんって優しい。飲んでしまうのが勿体なくて、缶を握ったままじっと黙っていると、隣に座った北さんが、見兼ねたように先に口を動かした。


「……苗字は、いつも頑張っとるな」

『え……?』

「マネージャーとして、よお俺らの事サポートしてくれとる。今は女子マネは苗字しかおらんし、中々大変な事もあるやろ?けど、苗字は文句も言わんと、いつも頑張ってると思う」

『そ、そんな大層な事は……マネージャーであれば当然だと思いますけど……』

「その当然が出来んやつも世の中おるやろ。皆が皆“ちゃんと”出来る訳やない。だから苗字は、よおやってくれとる。……けどな、“ちゃんと”するっちゅーことは、我慢するっちゅーことやないで」

『……我慢って……』

「辛いことがあるなら辛いって言うてええ。俺でも、アランでも、侑でも治でもええ。苗字が言いたいことがあるんやったら、我慢せず口にしてええねん」


隣から向けられる柔らかく優しい声が身体に染み込んでいく。我慢。我慢か。そんなつもりないけれど、私は我慢しているのだろうか。
ココアに向けていた視線をゆっくりと隣に向ける。前を向いたままだった北さんの瞳が応えるように此方へ動く。


『……バレーとは、本当に関係ない事ですよ?』

「今は部活中とちゃうで。どんな話でもかまへん」

『でもっ、……その……くだらないことですし……』

「くだらないかどうかは聞いてから俺が決めるわ」


「話してみい」と優しく促すその声に、視線を再び手で包んだままのココアへ落とす。北さんの真っ直ぐ過ぎる瞳は、全部見透かしてしまいそうで、目を見て問う勇気がないのは、どうか許して欲しい。


『………今日、北さんに会いに来た先輩って、』

「会いに来た?………ああ、芳澤か」

『……その芳澤先輩と、昼休みも一緒にいた所を見て、』

「おったなあ。日直やったから、焼却炉にごみ捨てに行っとったわ」

『……お二人が並んで歩く所を見て、なんだかすごく……その……モヤモヤして、……部活の時、芳澤さんが訪ねてきた時も、北さんと話してる所を見てると、すごく、………すごく、嫌で、』

「……嫌、か」

『………は、はいっ……嫌、でした』


小さく、けれどしっかりと頷き返した私の横顔に、北さんからの視線がじっと向けられる。顔を上げて目を合わせたいのに、返ってくる答えが怖くて、視線が上へと上がらない。
ココアの缶を握る手に力が入る。呆れられてはいないだろうか。不快にさせてはいないだろうか。こんな、彼女でもなんでもないただの“後輩”の嫉妬なんて面倒以外の何物でもないだろう。
しかし、口にしてしまった以上後戻りは出来ない。もしここでお前には関係ないとか、芹澤さんが好きだとか、そういう類の答えが返ってきたのなら、北さんへのこの想いは部活の後輩としてふ必要なものだ。だから、その時は、


その時はきちんと、北さんの事を諦めて、


『っ、ふっ………う………』

「………なんで泣くん?」

『っ、す、すみませんっ、なんか、勝手にっ。す、すぐ止めるので、』

「無理して止めようとせんでもええ。泣きたい時は泣いてええねん」


そう言って優しく微笑んでくれる北さんに、また涙が溢れてしまう。もし、この優しさが、ただの後輩に対するものだとしたら、嬉しいのに苦しい。優しいのに残酷だ。
ポケットから取り出したハンカチで涙を拭っていく。拭っても拭っても止まる気配がないそれに、見兼ねたように北さんが口を開く。


「……今苗字が泣いとるんは、俺のせいか?」

『ち、違います!!!北さんのせいとかではなく、あの、……私が、勝手に色々想像して泣いてるだけっていうか……』

「色々て?」

『それは、その…………………き、北さんが………芹澤さんのことを、その……………』

「………言うとくけど、芹澤はただのクラスメイトや。用があれば喋るけど、普段は早々話したりせえへん」

『え、』


意外な返答に驚きから涙が止まる。「お、止まったな」と少し悪戯っぽく笑って顔を覗き込んできた北さんに、今度は頬に熱が集まる。


「芹澤に限った話やない。クラスの女子とはそんなに話したりせえへん。大抵は大耳と行動しとるしな」

『そ、……うなん、ですか………』

「俺が自分から話しかけたり、気いかけたりするんは、苗字くらいや」

『……………………………え??』


今、北さんなんて言った?
赤い顔を隠そうと俯いていた顔をあげる。今度こそ真っ直ぐに北さんへ視線を向けると、ふっと柔らかな笑みを零した北さんと目が合う。焦げ茶色の瞳に映る自分は酷く驚いた顔をしていて、北さんにはさぞかし間抜け面を晒しているに違いない。けれど今はそんなことよりも、北さんの言葉の続きの方が気になって、どういう意味かと問うように北さんを見つめれば、そっと愛おしむように目を細めた北さんが、再び口を開き始める。


「……最初は、部活の後輩やからやと思っとった。よお働いてくれるし、唯一の女子の後輩やし。せやから、つい目で追ったり、何かと気にかけてまうんやろなと思っとったわ」

『……“思っとった”?』

「せや。“思っとった”んや。……けど、今はもうそれだけやないって分かる。侑が苗字を悪く言うんが許せんのも、勉強見るなんて名目つけて会いたいのも、他の奴らが知らん姿見たいのも、苗字の時間が欲しくなるんも、………こうして、嫉妬してくれとるのが分かって嬉しなるんも、全部、ただの後輩やからやない。苗字が、俺にとって、“特別”な子やから感じることや」

『き、北さん、あの、それって、「けど、すまん」』

「俺はまだ、苗字に、ただの後輩のままで居っておしいねん」

『え…………』


グサリと心臓をナイフで一突きにされたような感覚だ。
特別だって、今、確かにそう言ってくれた。言ってくれたはずなのに、じゃあなんで私は、“ただの”後輩でなければならないのだろうか。北さんの言う“特別”と言うのは、もしかして、“恋愛感情”とは別の“特別”なのだろうか。
止まったはずの涙が再び流れそうになる。熱くなる目頭を隠すように俯こうとした時、「苗字、」と改めて呼ばれた名前に思わず顔を上げてしまう。


「俺がバレー部の主将である間は、“後輩”でおってくれ。ほんで、引退したら、その時は……改めて苗字に言うわ。“特別”なんて言葉やのうて、もっとちゃんと、苗字をどう思っとるのか」

『え………?』

「ほんまは直ぐにでも自分のもんにしたい所やけど、主将である以上、部員は平等に扱わなあかん。けど、もし今苗字と付きおうたら、平等になんて無理やろな。そのくらい、苗字の事が………特別や」

『っ、』


なんか今、物凄く嬉しいことを言われてるよね?
気持ちの整理が追いつかなくて言葉が出てこない。つまり、今は“まだ”付き合うことは出来ないけれど、もし北さんがバレー部を引退して、堂々と私を“特別扱い”できるようになったら、その時は………私は、北さんの“彼女”になる事が出来ると、そう思っていいのだろうか。
赤くなっているであろう顔のまま北さんに向き直る。「もちろん、これは俺の勝手や。苗字が待っとる必要ないで」と付け加えられた言葉に、反射的に口が動き出した。


『待ちますっ!』

「っ、」

『私、待ちます。待たせて下さい。北さんの、北さんが、バレー部の主将でなくなって、私を………その………“特別”な存在にしてくれるまで、その時まで待ちます。だから、もしその時が来たら……北さん、私っ、北さんに告白してもいいですか……?』


北さんの目が小さく見開く。じっと北さんの瞳を見つめたまま、頷いてくるのを待っていると、ふっと笑みを零した北さんは、首を縦にではなく横へと動かした。


「いいや。その時は、俺から言わせてくれ。ちゃんとした言葉で、苗字に、伝えたる」


優しく、柔らかく、愛おしそうに微笑む北さんの手が伸びてくる。ポンポンっと頭を撫でる手の温もりが心地いい。
北さんの口から“ちゃんとした言葉”を聞けるのは多分もう少し先になりそうだけれど、そのくらいいくらでも待とう。だってもう、とっくの昔に、私は、


不治の病ー症状 北信介

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