6 出血多量
あ。と思った時はもう遅かった。
紅白試合中、治が打ったボールを控えチームのリベロが弾いた。勢いをそのままに角度を変えて飛んだボールは、そのまま私の目の前へ。
ガンっ!という強い衝撃と共に尻もちを付いた私に、試合を中断した皆が慌てて駆け寄ってきた。
「苗字!大丈夫か!?」
『いっ…たあ……』
打った鼻を押さえて立ち上がろうとすると、ポタリ。と何かが床に滴れ落ちる。え、と下を見れば体育館の床に赤い雫が落ちていて、鼻を押さえていた手を見ると、手のひらが真っ赤な血で汚れてしまっていた。鼻血だ。
「うお、鼻血やん!」「大丈夫か?」「ブスが更に酷くなるで」と治、銀島、侑の声を聞きながら、隠すように鼻を覆って顔を俯かせる。恥ずかしい。鼻血が出ているなんてかっこ悪過ぎる。下を向く私の前に「苗字、」と膝をついた北さんが現れる。鼻血で汚れたみっともない顔を晒すのが嫌で、顔を上げずにいると「これ使い、」と白いタオルが鼻を覆う手に押し付けられる。
『え、で、でも、これ北さんのタオルじゃ……血が……』
「ええから使え」
促す声に申し訳なく思いながらもタオルを受け取る。顔の下半分を隠すようにタオルで覆うと、北さんに肩を支えられる。「立てるか?」という声に頷いてそのまま立ち上がり、「冷やした方が良さそうやな」と止まらない血に気づいた北さんが監督へと視線を移した。
「保健室に連れて行きます」
「ああ、頼んだぞ」
監督の返事を聞くと、「行くで」と私の肩を抱いたまま歩き出した北さん。支えなくても大丈夫だと伝えようとしたけれど、じっと前を向いて歩く北さんに声を掛けるのが億劫になり、そのまま黙って保健室まで向かうことに。
「失礼します、」と一言断り保健室の扉を開けた北さん。鍵は開いていたものの、中には誰もおらずどうやら先生は出ているようだ。「座っとき」という声に従い、保健室の丸椅子に腰掛ける。ドクドクと脈打ちながら流れ出る血を不快に思っていると、備え付けの冷凍庫から何かを取った北さんがそれをタオルに包んで渡してきた。
「これで冷やし、」
『あ、ありがとうございます…』
渡されたのは保冷剤だった。「眉間のあたりを冷やすとええで」と言う声に倣って眉間に保冷剤をあてると、ひんやりとした冷たさが気持ちよく思わず目を閉じる。暫くそうしていると流れていた血が止まったことに気づく。タオルを取って鼻の下を触ってみると、固まった血の赤色が手についてため息を吐いた。
「止まったみたいやな」
『あ、はい……』
「顔洗ってきい。血で汚れとるやろ」
はい。と答えて保健室の中にある流し場で、顔についた血を流す。鏡で血が全部取れた事を確認し、改めて北さんに向き直ると、「取れたみたいやな」と安心したように北さんが微笑んだ。
『あの、北さんすみません……。私、タオルを……』
「気にせんでええ。洗えば大丈夫や」
『でも……』
赤い大きな染みを作った白いタオル。血って洗って取れるようなものだっけ?結構付いちゃってるけどこれ。
うーん。と唸りながら借りているタオルを畳み直すと、「ほれ、」と伸びてきた手がタオルに伸びてきた。
『あ、待って!』
「なんや??」
『これ、私が洗って返します!上手く汚れが取れなかったら、その時は買い直してお渡しするので……』
「買うてまで返そうとしなくてええで」
『でも、』
「恩を着せる為にしたわけやない。ほんまに気にせんでええから」
ポンポン。と慰めるように頭を撫でてくれる北さん。気にするなとは言われても、はい分かりましたと素直に納得することは出来ない。罪悪感に苛まれる私に、北さんが困ったように眉を下げる。
「……ほな、新しいタオル買いに行くのに付き合うてもろてもええか?」
『え?買いに行くのを、ですか?』
「おん。苗字はタオルを選んでくれたらそれでチャラや」
『…そんな事でいいんですか?なんならタオル代も…』
「せやから、それはええって言うとるやろ。お金の代わりに別のもん貰うさかい」
『別のもの?私に渡せるものですか??』
「せやなあ、」
頭を撫でていた手がゆっくりと頬へと滑り落ちる。スパイクで固くなった掌に左頬を包まれ、すぐ側に近づいてきた整った顔にブワッと顔を真っ赤にしていると、ふっと笑んだ北さんがまるで愛おしむように目を細めた。
「苗字の時間が貰えるんやったら、それだけで十分や」
顔が熱い。止まっていた鼻血がまた出てきそうだ。
煙が出そうなほど真っ赤になっている私に、クスクスと面白いものを見つけたように笑う北さん。誰のせいでこうなっていると思っているのか。顔を隠そうとしたけれど、頬を包む手がそれを許してくれない。
緊張と恥ずかしさからキュッと唇を引き締めると、北さんの白い指先が唇の端を撫でる。うそ。ちょ、ちょっと待って。まさか、北さん、そんな、このまま。
「……付いとるで」
『…………え?』
「血、ここにまだ残っとる」
ち?ちって……血。血か。
顔の熱はそのまま、北さんが触れた場所を自分の手で強く擦ると、固まった血が手の甲にこびり付いた。「取れたな」と満足そうに笑った北さんが離れて行くのを見届けると、「練習、戻っとるからな。苗字はゆっくり来いや」と北さんは保健室を出ていってしまった。
キス。されるのかと思った。
はっと浅く息を吐いて肩の力を抜く。良く考えれば分かるだろ私。北さんが、あの北さんが、彼女でもない女の子にキスなんてする筈ないだろう。はあ、と今度は深く深く息を吐き出す。北さんに触れられた唇の端にもう一度触れれば、優しく触れられた感触を思い出して、再び熱が集まったのだった。
北さんのせいで貧血気味(北さん、名前大丈夫そうですか?)
(血は止まったで。あとは……熱が引けば戻ってくるやろ)
(ねつ???)
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