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明光


「どういう事だ緑間。なぜ彼女が倒れた?」


赤司くんの鋭い視線が緑間くんへ突き刺さる。

朝、食堂に集まる僕らの元に、気絶した苗字さんを抱き上げた緑間くんが現れた時は、心臓が止まるかと思った。慌てて緑間くんから名前さんを受け取った管理人さんは、彼女の様子を確認すると、「大丈夫。気を失ってるだけですよ」と言ってくれて、その言葉にホッと胸を撫で下ろした緑間くんは、管理人さんに深くお辞儀をしていた。

午前練習を終えた後。緑間くんを呼び止めた赤司くんは酷く憤った様子で、それを詰め寄った。
彼女が倒れる理由など、僕らには一つから思い当たらなかった。


「…言ったはずだ緑間。無理に思い出させる事はやめようと、」

「俺は何もしていないのだよ」

「ではなぜ彼女は倒れた?お前が彼女の記憶を刺激するような事をしたからではないのか?」


2人の間に流れる空気が凍りつく。
じっと互いを睨み合う2人に、誰かが息を飲んだ時、体育館の入口が、ゆっくりと開かれた。


『…あの…し、失礼します…』

「!?名前!?!?」


扉から顔を出したのは、気を失っていた筈の苗字さんだった。「まだ寝てた方がいいよ!!」と桃井さんが慌てて彼女へ駆け寄ると、緩く笑んで首を降った苗字さんがゆっくりと視線を緑間くんへ向けた。


『…あの、ごめんなさい、緑間くん』

「…もう、大丈夫なのか?」

『うん、平気。今朝の痛みが嘘みたい。もう大丈夫だよ』


ふわりと柔らかく笑った彼女に、少しの間の後「そうか」と頷いた緑間くん。その横顔が何処か寂しそうに見えるのは気の所為だろうか。
2人のやり取りを盗み見ていると、苗字さんの視線がゆっくりと緑間くんから赤司くんへ移された。じっと赤司くんを見つめるその目が、何故かとても懐かしく思えた。


『…赤司くん、心配してくれてありがとう。でも緑間くんを責めないで。緑間くんは何も悪くないから』

「…では何故君は倒れたりしたんだい?」

『それは…』

「緑間が君に“何か”を言ったのか、もしくはした。それで君は酷い頭痛に気を失ったのでは?」


赤司くんの指摘に苗字さんが顔を俯かせる。少し強すぎる物言いに、「赤司くん、」と咎めるように彼を呼んでみたけれど、聞こえていないのか、それとも聞こえていないフリをしているのか、赤司くんの朱色の瞳が更に鋭く細められた。


「…言ったはずだ。もう思い出そうとするのはやめてくれと」

「っでも赤司っち!それじゃあ俺たち、名前っちに謝れないままっスよ!」

「だったらなんだ?彼女への罪悪感を消すために記憶を取り戻させようとするなんて、それこそ自己満足ではないのか?」


自己満足。確かにそうなのかもしれない。
赤司くんの言葉に、泣きそうに顔を歪めた黄瀬くん。そんな彼に一つ瞬きを落とした赤司くんは、再び視線を苗字さんへと戻す。


「もう君が、俺たちを思い出す必要なんて、ないんだ」











『逃げないでよ、赤司』


とても真っ直ぐで暖かい綺麗な声に、赤司くんの、僕らの目が小さく見開かれた。


『…確かに、あの頃は楽しい事ばかりじゃなかった。辛くて、苦しくて、忘れてもいいと思える事だってあった。でも…でも!全部忘れたいなんてそんな風に思った事はない!』

『皆でまた笑えていた頃に戻るために、私はあんた達と向き合おうとしていたの!それを…戻りたかった“あの頃”の事まで、忘れたいわけないでしょ!』


声が、響く。僕らのよく知る彼女の声が、止まったままだった時間を動かすように、響いている。
一息で言い終えたせいか、肩で息をしながら少し睨むように赤司くんを見つめるその眼に、僕も桃井さんも、他のキセキの皆も目を丸くした。


「っ…苗字…君は…」

『…私は、もう、逃げないよ。だから赤司、あなたも逃げないで』


苗字さんの手が赤司くんの頬を包む。その手に自分の手を重ねた赤司くんの目に薄らと涙の膜が張った。


『…初めて見た。赤司でも、泣いたりするんだ』

「…情けないと笑うかい?」

『まさか。悲しい時でも、嬉しい時でも、泣くのは、悪いことなんかじゃないよ。…赤司のそれは、どっち?悲しいから?それとも、』


嬉しいから?そう尋ねようもした苗字さん。
けれど、その問いかけは、彼女の小さな身体に飛びついてきた2人によって飲み込まれてしまった。
「っ名前…、名前っ!」「ホントに?ホントに、戻ったんスか…?」
そう言って、苗字さんに抱きつく桃井さんと黄瀬くん。突然飛びついてきた2人に驚いていた苗字さんだったけれど、直ぐに目尻を柔らかく下げると、桃色と金色の髪を両手で撫でた。


『…今朝ね、“緑間くん”の…真太郎のシュートを見た時、面白いくらいに全部思い出したの。走馬灯ってああいうのを言うのかな?…皆との記憶を隠してたみたいにな靄が、すうっと消えていった』

「…っじゃあ、分かる?私のこと、本当に覚えてるの??」

『…ごめんね、さつき、黄瀬それに、みんなも。大事な友達を忘れたりしてごめんなさい』


申し訳なさそうに眉を下げる苗字さんに、桃井さんと黄瀬くんは大きく首をふった。
彼女が謝ることなんて何も無い。むしろ謝らなくてはならないのは、僕たちだ。
ゆっくりと懐かしい彼女に歩み寄れば、それに気づいた苗字さんが、前と後ろに桃井さんと黄瀬くんをくっつけたまま、振り返った。


「…謝らなくてはならないのは僕たちです」

『黒子、』

「…あの頃僕は、才能が開花してしまった彼らから逃げて、ただただ何も考えずにバスケをしていた。…あなたは、ずっと手を伸ばしてくれていたのに。僕らを助けてくれようと、手を伸ばしてくれていたのに…。だから、『違うよ、黒子』っえ…?」

『それは、違うんだよ、黒子』


苗字さんの瞳が、何処か寂しそうに揺らいだ。声も少し震えていて、そんな彼女に気づいた黄瀬くんと桃井さんも、ゆっくりと苗字さんに抱き着いていた腕をはなした。


『…事故にあう瞬間、思っちゃったの。辛いことは、全部忘れられたらいいなって。…そしたら、全部忘れてた。皆の事も、バスケの事も、中学の時の事は…全部、忘れてしまった。だから、私も黒子と変わらない。逃げようとした。だから忘れた』


ごめんなさい、と動いた唇。
違う。そうじゃない。それでもあなたは僕らがまた笑い合えるように頑張っていたのだと伝えようとしたとき、ずっと黙っていた青峰くんの手が、苗字さんに向かって伸ばされた。
あ、と思った時には、褐色の指が、白い彼女の額を弾いていた。所謂デコピンだ。


『いたっ!?…あ、あおみね…?』

「ごめんごめんってそれだけかよ。他に…何もねえのかよ」


ぶっきらぼうな青峰くんの言葉。それに額を押さえながら数回瞬きを落とした苗字さんが、小さく笑った。


『…ありがとう、皆』

『思い出させてくれて、ありがとう、皆』


桃井さんの目から涙が零れる。青峰くんが少し乱暴に苗字さんの髪を撫でて、黄瀬くんが嬉しそうにそれを見つめている。紫原くんも緑間くんも、どことなく頬を緩めて、赤司くんが、笑っている。
戻ってこないと思っていた“あの頃”が、今、戻ってきた気がした。


「…おかえりなさい、苗字さん」


頬を滑る涙は、きっと、赤司くんが流していた涙と同じものだ。

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