願望
涙を治めた紫原くんが体育館に行くのを見送り、自分の仕事に従事していたものの、どうしても、赤司くんや黒子くんの言葉に違和感を感じざる終えなかった。
それなら、確かめればいい。
そう分かっているのに、それができないのは、単に私が弱虫なせいなのだろうか。
洗濯籠に入った大量のタオルを運びながら小さくため息をついていると、「大変そうやなあ」前から声がかけられた。
『あ、こんにちは』
「おん。こんにちは」
『あの…まだ練習中じゃ…?』
「ワシら、ちょっと休憩に来てん。アイツらと違うて、ブランクがあるさかい」
眉を下げて笑った関西弁さん。
そういえば、今回の合宿には引退した3年生のみなさんも参加しているとか。この人たちはその3年生なのだろう。
「お疲れ様です」と笑って、隣を通り過ぎようとしたとき、不意に籠を持つ手を掴まれた。
「苗字さん、ちょっとワシらとお話せえへん?」
『へ?』
「森山ー、そっち持ってくんね?このシーツでけえわ」「任せろ」「福井!てめえちゃんと皺伸ばせや!」「わりーわりー」
…これ、本当に良かったのだろうか。3年生に洗濯物干しを手伝わせるなんて。
先ほどの関西弁さんもとい今吉さんのお誘いに「洗濯物を干し終わった後でなら」と返すと、「なら、俺らも手伝うか」という福井さんの一言で、大量のシーツやタオルを干すのを手伝ってもらうことになった。洗濯物の干場となっている合宿所の裏庭に移動する途中、皆さんの名前を聞きながら歩いていると、「代わるよ」と言ってスマートに籠を持ってくれた森山さんは何故か笠松さんという人に蹴られていた。
どことなく楽しそうに作業を進める3年生たちを横目に、手に持ったタオルを干しながら「すみません、」とそばにいた大坪さんに謝ると、「いや、気にしなくていい」と軽快に笑い返してくれた。うわ、大人だ。
優しい3年生の皆さんに顔を綻ばせながら、せっせと手を動かしていると、「なあ、苗字、」先ほど福井さんに怒鳴っていた宮地さんに声をかけられた。
『はい?どうしましたか?』
「…あー…そのよ、お前の、その…なくなったっつー記憶の事で聞きたいことがあるんだけどよ、」
宮地さんの言葉に、どこか楽しげに手を動かしていた皆の動きが止まる。多分、今吉さんの言っていた“お話”とはこれのことなのだろう。
『いいですよ。なんでも聞いて下さい』
「…いいのか?」
『え?あ、はい。大丈夫ですよ?』
ケロッとした顔で質問に促せば、少し戸惑ったように宮地さんが言葉を詰まらせた。言いにくいことなのだろうか?
言い出すまで大人しく待とうと、次に干すために手に持っていたタオルを籠に戻すと、「ほんなら、ワシからええ?」干し終えた大きなシーツの裏から、今吉さんが現れた。
「…もし、ワシらが“記憶を取り戻して欲しい”言うたらどうする?」
今吉さんの言葉に、シンとした空気が流れる。訪れた沈黙は、私の答えを待つものなのだろう。その証拠に皆から視線が集まっているのが分かった。
『どうして、そんなこと言うんですか?』
「…それは」
『…赤司くんは私と彼らは“初対面だ”と言っていました』
「…」
『…それなのに…どうして皆さんはそんなこと言うんですか?私は……私は、本当は、…あの人たちのことを、知っているんですか?』
赤司くんの言葉だけじゃない。今朝の紫原くんの涙にも、さつきの泣きそうな笑顔にも、黄瀬くんの揺れた瞳にも、黒子くんの震えた声にも、青峰くんの大きな背中にも、緑間くんの愛おしむようや目にも。
偶然ですますには感じ過ぎた既視感と違和感。
私は、彼らを、知っている。
そう思ってしまうのは、仕方ないと思う。でも。
“人違いですよ”
“俺たちは初対面だよ”
『…もし、皆さんにそう望まれたとしても、…私は、思い出しては、いけないんだと、思います』
「っ、そんなこと…!『ありますよ』っ!」
『だって、彼らが“初対面”だって言ってるんです。だから……忘れたままにしておいた方が…いいんだと、思います』
無理して思い出さなくてもいい。あの時の記憶がなくても、大丈夫だから。そう、何度も何度も言ってくれた父と母の言葉の裏に、“思い出してはいけない”という本音が隠れている気がした。
父と母は、望んでいない。私が思い出すことを望んでなんかいない。
そしてそれは、あの人たちも同じだ。
『望まれていないのなら…思い出す意味なんて、ありませんから』
笑って言ったつもりだったけれど、ちゃんと笑えただろうか。
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